寄席芸人伝18「師匠とその弟子 柳家百蔵」

なんと、2年振りに「寄席芸人伝」を取り上げる。
第4巻から。第56話「師匠とその弟子 柳家百蔵」。
私の大好きな、落語界の師匠と弟子の関係性の物語。

落語を聴く生活の中で、このマンガの各エピソード、ときどきふっと脳裏をよぎるのである。
たびたび落語界のワースト事例として繰り返し取り上げている、立川志らく師の師弟関係を嘆いているうちに、このマンガの中でももっとも美しいエピソードのことを思い出した。
先日、志らく絡みでリンクを張った過去の記事、「後生楽一門 林家生楽」もそう。

志らくという人の新番組、視聴率がひどいらしい。高いよりは愉快だ。
この人の人気が高かったら困るのか。別に困りはしない。
でも、自分に徹底的に甘い人間に対し、たまにはお仕置きもあっていいのではないか。
数字の体たらくについて「全部私の責任です」と言える人間だったら、最初からもっと好感度が高いのでしょうが・・・

志らくという人の人間性、落語界においていかにおかしなものか、それはたびたび書いている。
その人間性を語るエピソードはたくさんある。この人自分の本でもって、辞めた弟子のことをボロクソに書くのである。
師弟関係が切れた人間にまで対してまで、師匠である自分の正しさを世間に向かってアピールするという了見。
談志だって圓生だって、そんなことはしていない。

もちろん、マンガに描かれる師弟関係は、ドロドロした部分を純化したもの。必ずしも現実は、そんなにきれいなものじゃないだろう。
しかし、その描かれ方は現実の世界と通じるリアリティを持っていて、美しい。
多くの噺家だってきっと、ここに描かれた理想のエピソードに共感せずにはおれないと思うのだ。

実に不思議な風習だが、稽古料も取らずに弟子の世話を見るのが落語の師匠というもの。
柳家百蔵は多くの弟子を抱えているが、さらなる弟子入り志願者は引きも切らない。
目つきの悪い弟子入り志願者に、市電でずっと後を付けられたり。これ、実在の噺家の誰かにあったエピソード。
田舎から来た、すごい訛りの男の弟子入りを断ったら「オラひょうずんごだ!」とキレられる。
またある弟子は、吉原から馬を引っ張って帰ってくる。「付き馬」の馬ですね。
馬に金を渡して帰ってもらうのは師匠である。
またあるときは、弟子のかみさんが旦那のひどさを訴えにくる。別れちまえと諭すと、厩火事みたいな展開に呆れる師匠。

真面目だが、目の出ない弟子に引導を渡すのも師匠の仕事。
優しく転業を勧める師匠に対し頭を下げ、職人を目指すことにする弟子。
それを横目で見ているのは、吉原から馬を引いてきた弟弟子。これは有望で、真を打たせ、襲名もしたらどうだと柏木亭の席亭に勧められる。
柏木亭なんて寄席はなかったが、柏木の師匠と呼ばれた圓生から来ているのだろう。

だが、真打して、襲名までするとなると多額の費用が掛かる。師匠には、嫁入りする娘がいるのに。
当の娘が、真打の披露目のほうにまわしてやってというので、決断する師匠。
真打の披露宴には、予想を上回る客が来て、費用が足りず頭を抱えつつも、弟子のために賑やかに踊りを見せる師匠の泣き笑い。

史実も交え、落語の師匠の苦労をリアルに描いたエピソード。
決してきれいごとだけが描かれているわけではない。
抜擢されて真打に昇進するのは、一生懸命努力はしても目の出ない真面目な弟子より、吉原で遊びすぎて馬を引いてくる弟子のほうだ。
だが、そのことを疑問に思う人物はいない。師匠の娘さんだって、「あたしは平凡なおかみさんになるだけ」だからと譲るのだ。

このエピソードを、当ブログで過去に取り上げなかった理由ははっきりしている。
廃業を勧められる弟子というもの、素行に問題があった場合は別にして、現在はそうそういない。立川談笑師のところぐらいだろう。
この点に踏ん切りがつかなかった。
実際の落語界では、ダメな人でも辞めなければ真打披露目をしてもらえる。その後は仕事がなかったりするが。
だが、この師匠、柳家百蔵はやはり優しい。
廃業を勧める価値観はともかくとして、決して弟子に冷たいのではない。
弟子のために、まだ若い今のうちに転業を勧めているのである。
その精神にはやはり、心を打たれる。

マンガに描かれる師弟関係、押さえておいたほうがいい。
さもないと、自分の芝居に来ない弟子を前座に降格して平気な噺家を「優しい」なんてアホみたいな感想を持ってしまったりする。

【1-5セット】寄席芸人伝

作成者: でっち定吉

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