落語家か噺家か

ブログのネタを探して、久々に「新ニッポンの話芸ポッドキャスト」を聴いた。You Tubeで聴けます。
メンバーは、三遊亭萬橘、立川こしら、鈴々舎馬るこ、広瀬和生。
かつてこの番組のテーマをヒントに、「立川流の傲慢」という記事を延々と繰り広げたことがあった。今でもアクセスが多い。
立川流のファンから苦情が来るかとも思ったが、全然来ない。

307回「落語家と噺家」から。

芸人の敬称をどうするかというのは常に問題になる。
このブログでは、用語を極力「噺家」にしているが、深い意味はない。それっぽいなと思っている素人了見に過ぎない。
「落語家」を用いている記事もあるが、別に統一する気はない。
ただ、「職業としての名称」を考えた場合は、自然と「落語家」にしてしまう傾向はあるかなと思う。
あと、「上方落語家」はいいけど、「上方噺家」はない。「上方の噺家」なら普通。

番組を聴く前に読んでいた、春風亭一之輔師のコラムが面白かった。
地方に行くと、会の主催者が師の肩書を「噺家」としたがる話。
わかるな。いや、その主催者の気持ちのほうもだ。「落語家」だとなんだか安っぽい気がするわけだ。
でも、一之輔師としては、頼みもしないのに「噺家」と定義したがる人は、自意識過剰でうっとうしいんだと。
落語ファン、どんな場面でも、自意識が目立つ瞬間からプロには嫌がられる。

一之輔師自身は、どっちでも構わないというこだわりなし派。
ただ、初心者が多い席なら「落語家」のほうがわかりやすくていいんじゃないかと。
一方で、こだわる人もいる。
「落語家」にこだわっていたのが立川談志。
「噺家」にこだわっているのが柳家小三治。

番組のこのテーマのきっかけは、司会、広瀬和生師のコラム。二人の噺家のこだわりに触れたもの。
よく考えると、小三治師のこだわりはまったくわからない。
「噺家」というのは、落とし噺だけじゃないですよ、人情噺を語るから噺家なんですよというニュアンスの漂う言葉。
滑稽噺のほうにこだわりを持つ人が、どうして「噺家」の呼称にこだわるのか? 昔からの言葉だからという以外に理由はなさそうだ。
「噺家と呼ばれたい」という希望自体が、自分本位な了見だ。こういう態度でファンを振り回すのはよくないと思う。

小三治師、先日も日本の話芸で、「落語家なんて呼ばれたくない。落伍家みたいで」なんて話していた。
本人の希望は別にいいけど、これを聴いて「そうか、噺家を使わないといけないんだな」と素人が思うようだと、前述の一之輔師につながる。

「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演時の肩書は、小三治師が希望に沿わない「落語家」で、一之輔師が「噺家」だった。
NHKが基準に従って「落語家」と決めるなら従わざるを得ないだろう。
だがNHKもそれなら落語家で、ずっと通せばいいのにとも思う。

「落語家」という新しい言葉がいつできたかを考える前に「落語」という言葉がいつ生まれたかを考える必要がある。
番組で馬るこ師が、この言葉がどこから生まれたかを解説していた。ここで文字に要約することはしないが。
学校寄席などに行くと、「落語」の説明をしなければならない。「オチのある話」が落語だと字で説明するが、でも「人情噺」もありますと付け加える。
するとポカン。そりゃそうだ。
そういえば以前、Yahoo知恵袋に「都内のどこで人情落語を聴けますか」という質問があった。
人情噺はいいけど、「人情落語」は変だな。といっても、人情噺も落語なんだから、変だと思う感覚自体、実は変なのだけど。

で、「落語家」の由来をいろいろ語っていたのだが、「噺家」の由来は実はわからないんだそうだ。
ひとつ広瀬氏が理屈を語っていた。
「はなし」という訓読みに、「か」という音読みがくっつくのはおかしいのではないかと。
なるほど。これは考えたことがなかった。不自然な湯桶読みだ。
「はなしや」なら自然なわけだ。誰もそう呼ばれたくはなかろうが。

三遊亭萬橘師は、談志の「落語家」へのこだわりは、キャッチコピーだったのではないかという。
広瀬氏これを受けて、「俺はそんじょそこらの《噺家》とは違うんだ」という意識だろうと。きっと、協会を出たときからの主張ではないかと。

立川こしら師がこの流れからちょっとはみ出て、落語を聴いたことのない人にも、「落語家さんなんですか。古典ですか新作ですか」と訊かれると話していた。
聴いたことがなくても、古典と新作の区別があるぐらいの知識はあるみたいだと。
そしてそこには「古典は難しい。新作はわれわれの落語だからとっつきやすい」という思い込みがあるんだろう、ただ実際に落語に接してみるとむしろ逆だったりすると。
新作のほうが、ずっとコアな部分を攻めていたりする。確かに、池袋や黒門亭ではこれを強く感じますね。
これはこしら師の発言ではないが、「新作嫌いの落語ファン」がかろうじて成り立っても、「古典嫌いの新作落語ファン」が成り立たないところに、この構造を感じる。
だからって、新作のほうが高度なんだという認識は、私にはないですけどね。

作成者: でっち定吉

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