立川流の傲慢

このブログのネタも提供してもらったわりには、しばらく聴いていなかった「新ニッポンの話芸 ポッドキャスト」。
You Tubeで聴けます。
全部聴いているわけでもないのだが、中だるみもあったのだろう。このところ、新鮮なネタが多数あり、またちょくちょく聴いている。

< 第242回 【今の立川流】>
が特に面白かった。

この番組のメンバーは、次の4人。

  • 鈴々舎馬るこ (落語協会)※この会は欠席
  • 立川こしら (立川流)
  • 三遊亭萬橘 (円楽党)
  • 広瀬和生

正直なところ、噺家として好きなのは萬橘師匠だけである。この師匠、知性に溢れる噺家である。
対象の捉え方と分析が非常に鋭い。決して押しつけがましくなく、対象を整理してしまう。
噺家さんへの通常の尊敬とは、少々別の部分で高い敬意を払っている。
もちろん、他のふたりのメンバーにも敬意を払われている風だ。

真打昇進した馬るこ師匠の真打披露パーティに行くべきか逡巡するこしら師匠。
悩むのは、「立川流」が、落語協会の古いメンバーに嫌われるからである。しかも、こしら師本人がどうというのではなく、「立川流」に所属しているというだけで嫌われてしまう。
そこを萬橘師匠はスパッと整理する。
よその組織に、自分たちの方法論を押し付けちゃいけないのだと。相手方に「方法論を押し付ける奴らだ」と思われてしまうからいけないのだ。
同じく、落語協会から出た組織である円楽党にいる萬橘師だが、相手と共存する方法を常に考えている点において、立川流とはだいぶ違っている。

 

こしら師というのは、立川流の保守本流を自称、ということは落語協会から最も嫌われている志らく師の弟子である。談志に「寄席のバカと付き合うな」と言われてそれを実践してしまう志らくの弟子である点も、弟子にとってさらに不利。
実際のところは、志らくの弟子でありながら、もっとも立川流の空気をまとっていないのがこしら師とされている。師匠からの評価も低いし。
広瀬氏は、明らかにその部分を評価している。立川流にいながらして、違う空気をまとう、つまりワンアンドオンリー。
だが、落語協会の古株からしてみれば「立川流」としてひとくくりにされてしまう。

立川流と円楽党の、他団体に対する空気感はだいぶ異なる。
番組では語っていないが、このたびの円楽師匠の芸協入りというのにも、間違いなくこの空気の差がある。
最初から共存を目的に芸協入りした円楽師と、立川流とけじめをつけてたもとを分かち、「自分が寄席に出たいのだ」と芸協入りした立川談幸師との比較によく表れている。

***

円楽党は、もともと落語協会から飛び出した、三遊亭圓生の一門である。
「真打乱造」に反対したから飛び出したというのは、今はむかし。現在の円楽党は、最速の年功序列で真打に昇進する組織。特定の理念に基づいた組織とはいえない。
理念でつながっているわけではないので、先代円楽が亡くなった後も、組織はその体を維持している。
当代円楽師が落語芸術協会入りすることも、「離反」とは捉えられていない。
円楽党の噺家さんはみな、両国寄席でない、都内の普通の寄席にも出たいと思っているだろうし、その動きはまだ水面下に存在している。
その思いは落語協会の古株からすると、「なんて虫のいい」ということになるかもしれない。だが、その分裂当時のいきさつ以外には、別段複雑な感情は互いにないだろう。落語協会に対して敵意を露わにした組織ではないからである。そこが、萬橘師のいう、「他人に方法論を押し付けない」ということ。
円楽師を受け入れる芸協にしてみても、円楽党を全員受け入れて、落語協会と並び立つ組織になるという発想(というか席亭たちの希望)だって実際あったわけだ。思想的に対立していたことはない。ただ、芸協の身の丈からして、いきなりそこまでは無理だったのだろう。

他方「立川流」は、同じく協会を飛び出してできた組織だとしても、その中身が大きく異なる。
談志家元逝去後は、すでに組織としての体をなしていない。もともとすべてが談志につながっていたのだから、これは必然の結果でもある。
きちんとした組織でなく、談志家元の私物に過ぎなかったのが立川流。
しかし、偉大な談志だから弟子は従っていたのであって、談志没後に瓦解していくのも必然。
談志家元も、後継者も立てず、組織が崩壊してもそれでよしとしていたようだ。
自分亡き後を一切考えなかったのだから、真の家元じゃない。家元ごっこをしていたのだ。
弟子・孫弟子・曾孫弟子らが、「ごっこが終わった」ことを理解していないから、おかしなことになる。

談志の声をいまだに聴いている志らく師のことをよく思う兄弟弟子などいるわけがない。
円楽党の会長、三遊亭好楽師匠に対応するのは、立川流では談志の惣領弟子である土橋亭里う馬師であるが、この人は組織とりまとめ機能を発揮する気がまったくなさそうだ。人望もないみたいだし。

萬橘師は「新ニッポンの話芸 ポッドキャスト」において、談志の理念にとらわれた立川流の若手を厳しく糾弾している。
そもそも理念とやらが、フィクションというかシャレだろうに。
広瀬氏が萬橘師に応じて、そういう立川流の若手の落語はつまらないし嫌いだと。談志になりたくて、志らくになりたくて噺家になった人には「落語」という自分の好きな芯がない。そして立川流だから、「マクラで世間に毒づくべきだ」と思い込むなど、間違った方法論にもほどがある。
こしら師は、立川流でなかったとしても面白いし、立川流のファンがついているわけでもない。そこがいいと。
「立川流でい続けること」自体がレゾンデートルになってる噺家など、確かに面白いわけはない。すでに存在しないバックボーンだけが頼りだなんて。
広瀬氏、こしらの師匠志らくに対しても、まるっきり評価していないわけでもないのだろうけどかなり辛辣である。その弟子たち(異端児こしらを除く)に対しても。

***

「新ニッポンの話芸 ポッドキャスト」を聴いて、円楽党の噺家、三遊亭萬橘師の溢れる英知に感嘆したところである。
談志家元から始まるジョークの積み重ねを、あっさり切り捨てるところがすごい。
といって、萬橘師は立川流に喧嘩を売っているわけでもなんでもない。理知を追求しての結論を出しただけである。
「立川流は間違っている」と声を大にするとなると、それは違うのだ。それは、萬橘師自身が嫌な「方法論を押し付ける」ことになってしまうから。
日々、他団体に喧嘩を売っているのは萬橘師ではなく、立川流に所属してつまらない落語をする面々のほうである。
まあ、それをよしとする噺家がいて、よしとするファンがいる間は、かろうじて立川流、成り立っている。

立川流にも上野広小路亭や日暮里等、実にささやかな寄席機能が存在している。そしてこのとりまとめくらいでしか、もはや立川流は存在理由を持っていない。
志の輔師、談春師など売れている人にとっては、立川流の枠組みはまったく不要である。師らは実質フリーの噺家だといっていい。
都内の寄席には出たいと思っておらず(バカがうつるから)、寄席芸人を否定しながら、自分たちだけの小さな寄席はやっている。しかも芸協が主として使っている広小路亭の隙間で。
自己矛盾した変な組織である。
立川流の噺家さんがみなガチガチの家元理念保持者だとは思わない。ただ、外部と接触する機会が少ない若手は、やがて矛盾を感じなくなるのかなとも思う。
ところで広小路亭や日暮里は、一軍の試合である「ホール落語」からお呼びがかからない選手の出番、いわばイースタンリーグである。
円楽党で売れている師匠は、両国や亀戸梅屋敷寄席などに定期的に出ている。だが、広小路亭に立川流の売れっ子は一切出ない。
両国には、他団体の噺家さんも混じって出る。立川流にはそういうことはない。
この違いも、相当に大きい。立川流の噺家は両国に呼んでもらえるのに、逆はない。
立川流の寄席、二軍なのにそこには独自のファンがいる。「立川流二軍のファン」だというならそれはそれでわかるが、「立川流」のファンらしい。立川流以外を聴かないのに、立川流が一番だと信じているらしい。
立川流ファンがいるなら「落語協会ファン」「芸協ファン」「円楽党ファン」もいていいはずだ。あまり聞きませんね。
立川流は、ファンまで理念ぽい。理念が過ぎて、本当にそんな人たちが現存しているのかすら、実のところ私にはよくわからないのだが。
でも、立川流の二軍が、円楽党の一軍より上だと信じている人ならまだいっぱいいそうだ。

断っておくが、一軍・二軍というのは「売れてる」かどうかを基準にした話であって、「広小路亭で立川流の定席を聴いてもヘタクソばっかりでつまらないよ」と言うつもりはない。私だって、機会が合えば行くつもりがある。
ただ、そこに出る噺家さん、下手だなどと思わないけど、「立川流」のくくりなしでやっていけるのだろうか。
寄席以外でやっていけという、談志の理念を具現化できていないのが二軍選手。

立川流が組織として機能していないことを物語るひとつの事実として、上野広小路や日暮里に出してもらえない三軍芸人の存在がある(ひとりだけみたいだが)。
今は雲水師がとりまとめをしているようだが、二軍監督兼選手が、勝手に三軍を作っていいのだろうか?
嫌われ者の三軍選手が二軍の試合に出ていたら、立川流のファンには確かに迷惑だろう。だが、「二軍を勝手に運営」するのは、まともな組織がやることではない。

***

さて、この項を起こしたきっかけは萬橘師であるが、もうひとつ、ちょうど不愉快な文章を読んだこともある。
萬橘師の苦言の示す方向の正面にあるような文章を読んで、「立川流の理念」的な、正体の分からないものが立ち昇ってきたのだ。

立川談四楼師の「そこでだ、若旦那」。ひと昔前のエッセイであるが、本が出たのは2016年。
連載していたエッセイをまとめたものだが、掲載誌は広瀬和生氏が編集長を務める雑誌「BURRN!」である。
談四楼師の文章は確かに面白い。小説も含め、私も過去、結構好きで読んでいる。
立川流という組織は、「赤めだか」の談春師をはじめ、文筆家が多いところである。それにより、理論派集団として世間からまた敬意を持たれるという好循環が、間違いなくあった。
そしてこのことは、特定のリクツっぽい集団を周囲から切り分ける方向にも働く。
円楽党の師匠方はものを書かない。

名文筆家である談四楼師の落語、広小路亭で随分前に一度聴いただけなのだが、その際の感動はよく覚えている。
だが、談四楼師は、先の私の定義を再度持ち出すなら立川流の「一軍」ではない。ホール落語をメインに活躍している師匠ではないということ。
文筆家として売れているからといって、すなわち一流(売れているという意味)の噺家というわけではない。
いや、本来的にはかなり近い要素であるはずだ。文筆家として売れ、本業で売れていないのはなぜか。

この本に詳しく載っていたのが、三遊亭遊雀師が、かつての師である柳家権太楼師から破門になり芸協に移ったいきさつ。
この移籍自体は大変有名だが、詳しく書かれているのはこの本が唯一ではないか。
談四楼師、業界内で得た情報を元に、極めて批判的にこのいきさつを記している。
要は、師匠を殴って協会を退会した噺家を、すんなり移籍させるなんて、関係者はどういう了見なのかということである。
批判の矛先は、師と落語協会の同期である権太楼師、遊雀師を受け入れた小遊三師、それから両協会の幹部など多方面に渡っている。
遊雀師の移籍は、権太楼師と小遊三師との間で円満に挨拶が交わされ、あとに遺恨を残さずきれいに解決した。
それを、まったく関係ない第三者に過ぎない談四楼師が批判しまくるというのは、それこそどういう了見に基づいてのものなのだろう。
「噺家には、絶対に守らなければならない掟がある」ということだ。そのことはわからなくはない。
その掟の元では、ルールを破った噺家は干されるべきであるというのだ。
その当時から、将来を嘱望されていた元三太楼の遊雀師を、実力には関係なく干すべきだと述べる談四楼師。
いったい、どの立ち位置から論じているのだろうか。
なにか被害を受けたわけでもないのに、才能あるひとりの噺家を潰してしまうことのほうを望む。この発想のほうに罪はないのか。
さすがに理念が勝ち過ぎていて鼻白む。
しかも、連載中に「このバカ(遊雀)を一体どこの誰が引き受けるのか」と書く。その予想に反し芸協入りが実現しそうになるとみるや、今度は「悪しき前例」だと関係者をなじるのである。
それでも、まだ「真っ当な了見」がどこかで機能することを談四楼師は期待するが、連載中にどんどん移籍は進行する。
そして、両協会の一部の憤っている若手真打(それすらいるのかわからない)と一緒になって、自分だけが正義の代弁者ヅラをするのだ。

***

三遊亭萬橘師が戒める、「自分の方法論を押し付ける」ことを、はるか以前に実践してしまっていた立川談四楼師。
「自分の了見のほうが間違っているかも」とは一切思わないのだろうか。
関係者が全員納得し、貴重な才能を協会の移籍により守れて、よかったよかったと一同ひと安心しているところに、自分が落語界を勝手に代表してその構図そのものを批判する。
移籍から数年が経ち芸協のエースになりつつある遊雀師が、こんなところで潰れなくてよかったのは確か。しかし、そういう後付けの理由でもって談四楼師を批判する気はない。
談四楼師のこねまわす理屈、そもそもまったく通らないではないか。

《最初の論理》
師匠を殴った弟子が、すんなり移籍するのは許せない。同期の権太楼とは絶交しているが、それでも権太楼の肩を俺は持つ。権太楼の立場はどうなる。

《中間の論理》
自分を殴った弟子を受け入れる小遊三に頭を下げる権太楼は頭がおかしい。

《結論》
権太楼は馬鹿だ。同期のこやつにはかつて散々ひどい目に遭った。やはり馬鹿な男だった。

「権太楼の立場」はいったいどこに消えた? その代わりに私憤を思い出す。こんなの、理屈以前。
談四楼師の理屈に付き合うなら、権太楼師には、弟子を赦す資格もないということになる。弟子を赦さず移籍を妨害するのが正義だということになる。
なんたる大きなお世話。落語の神様は、こんな破綻した理屈を振り回さないぞ。
論理の破綻に気づかない人がインテリ面しているのだと思ったら、一気に談四楼師のことが嫌になってしまった。
さらに、本書の後半では、権太楼師との和解が書かれている。なんじゃそりゃ。
あとがきではさらに、「小遊三から権太楼への仁義」自体がなかったことが明かされている。なんと、架空の情報をもとに、勝手に憤っていただけなのだ。
だが、「情報が嘘だったから論理が誤っていた」わけではない。最初から破綻している論理の責任は自分で取らなければ。

破綻している論理を元に他人・他団体を批判するとは、立川流の了見とはこの程度のものなのか。萬橘師の立川流理念への批判が、ここで見事にシンクロした。
そして、談四楼師のものをいう了見には残念ながら「シャレ」がない。噺家らしく「シャレを加えよう」と腐心している様子がうかがえるのにもかかわらず。
なるほど、談四楼師が本業で売れていないわけが、皮肉ではなくいきなり腑に落ちた。
天才・談志の狂気を引き継げないのは、多くの弟子同様仕方ない。しかし、その天才の狂気と矛盾を、薄っぺらい理屈でもって、一見整合性があるように解釈してきてしまったところが、この噺家の限界なのだろう。
こんな解釈をしてこなかった志の輔師は、だから成功している。

***

このブログをいつも読んでくださっている方なら先刻ご承知いただいていると思うが、私、丁稚定吉は大変理屈っぽい落語ファンである。
理屈が好きで、理屈のとおる世界に対しては深い敬意を払う。
しかし、破綻した理屈に対しては軽蔑しか抱けない。
談四楼師はインテリ面をし、そう見られたい了見もあるものの、肝心の知性が伴っていない。
北朝鮮になぞらえられる立川流の、おかしな思想を代弁するために、壊れた論理をふりかざす。
師は立川流のスポークスマンではない。だが、根本の思想が毒されているのである。
私は萬橘師のような、真のインテリ噺家が好きだ。萬橘師は、溢れる知性を自分一人のためでなく、「チームプレイ」のために、つまり落語界全体のために用いている。

談四楼師がインテリ面をしつつ知性が伴っていない証拠はいくつかある。
この人、よく「裁判」について触れるんである。
師がツイッターで連載して話題になった「文字助コンフィデンシャル」にも裁判の様子が書かれていたし、本書にも一部、有名な談志独演会の居眠り訴訟の件でも触れられている。
だが談四楼師、哀しいかな、刑事訴訟と民事訴訟の区別すらついていない。
「文字助コンフィデンシャル」にも、「文字助を訴えた原告が後悔している」というくだりがあった。そこだけ読んだら明らかに民事訴訟のことだと思うが、実はこれが刑事訴訟なのである。原告は検察官だ。
今回取り上げている書物「そこでだ!若旦那」でも、談志独演会の居眠り訴訟の件で、「原告(談志の会で寝た人)は口頭弁論で、検察官気取りで被告を攻撃した」なんて一文がある。もちろん真の民事訴訟である。検事の出てくる余地などない。
刑事被告人と、民事の被告をアナロジーで結びつけてしまう、知のセンスの致命的な欠落。
民事と刑事の区別がつかない人間は世にざらにいて、その人たちのことをすべて無知だなんて思っているわけではない。
だが、裁判をネタにしておきながら区別がついていない人間など、似非インテリにすぎない。

噺家さん、一匹狼として生きていくのは勝手だし、論理矛盾だが「一匹狼団体」に所属していてもいい。
はぐれ者に漂う魅力を理解しないわけでも、できないわけでもない。そこにシンパシーを感じるファンの気持ちも、そういう組織に憧れる噺家志望者の思いもよくわかる。
だが、私が寄席に通って学んだことは、結局「落語は個人競技ではなく、チームプレイだ」ということなのである。そして、寄席はさらなるチーム力強化を求めている。円楽師の芸協入りにも、これを強化する目論見がある。
はぐれ者に寄せるシンパシーより、チームプレイに満ち溢れる、寄席に対する愛情のほうが私にはずっと強い。

上方の落語界も含め、噺家の人数が増えるのに反比例して、団体収斂の動きはますます盛んになっていく。
そして、萬橘師のような円楽党の噺家さんを見る限り、団体間の壁を取り払っていく気持ちは間違いなく強いようである。当代円楽師にも、芸協を垂らし込んでやれというような邪心は感じられない。
それに対して、談志亡き後の立川流、いまだに心理的に高い壁を自ら築き上げているのか。
だが、そこには芯がなにもない。あるのは、「談志の弟子」だという、中身のないエリート意識。

***

談四楼師さらに困ったことに、遊雀師への怒りをたぎらせるいっぽうで、落語協会にひっそり戻った喜久亭寿楽に対しては攻撃の手を緩めている。
それはまあ、寿楽師のことを取り上げているのが訃報としてだからではある。だが、関係円満だった談志と馬風師の間に波風を起こした移籍なのだ。そちらについて、すべてを赦してしまうような書き方、はなはだ一貫性に欠けている。遊雀師の落語生命は、絶ってもいい、絶つべきと主張していながら。
「インテリぶらないと落語はできない」と思っているなら大きな勘違い。師のツイッターにもその臭いがするが。
春風亭一之輔師のようにインテリジェンスに溢れる噺家さんが、その知性を活かしてやる落語は楽しい。だが、落語のスタイルはそれだけではもちろんない。
談志なら「やかん」の先生の楽しさを知り尽くしているが、弟子は「リアルやかん」になってしまうのである。

落語協会の古株噺家が、「立川流」というだけで、個人の属性を無視して嫌うのは、イヤな了見だなあと思う。
だが、立川流について調べていくと、その気持ちに理解もできるようになってくる。「寄席で修業したこともないくせに」「あいつら着物もたためない癖に」と言い放つのは、たぶん単なる理由づけであり、その感情はもっと深いところに根差しているようだ。
協会の噺家から大人げない態度をとられると、立川流の噺家さんは談志に回帰してしまう。まあ、わからなくはない。
しかし、そこまで露骨に遠ざけられないとしてもある種の拒否反応を受けたときに、そこの壁を溶かしていくことを考え、実践していく円楽党の萬橘師。どちらが大人の態度か。どちらが落語世界に貢献しているか。
立川流だと、「着物なんかたためなくていいじゃねえか」になってしまう。
自分たちの巣にこもりたくなる立川流の心情は、わからないわけではない。だが、談志没後にそこから生まれてくるものは、もはやない。

立川流ファンのほうも、「立川流はエリート集団。円楽党はヘタクソ」と思っているのだろう。だが、真の立川流エリートは、とうに立川流の枠組みにいない。
一枚岩の円楽党のほうからは、兼好・萬橘といった、とんがらずに優れた噺家が誕生している。
「これでいい」と思っていた集団と「これじゃいけない」と思っていた集団との間に、差が生じつつある。

さて、たまたまNHKの「バクモン」を視ていたが、哀しいくらいひどい番組であった。
ブログで触れないわけにもいかないだろうからと我慢して視たのである。
談志没後から急に身内ネタを披露するようになった娘、おぞましく汚らわしい。
番組テーマは「談志の家」だが、だいたい娘なんてかつてその家に住んでいたわけじゃないはずだ。あくまでも、落語界に向けてのみ開かれた家であったろうに。
しかし、さらにおぞましいのは勝手に二代目家元になり切っている志らく。あえて敬称略。
前述の「着物なんてたためなくていいじゃねえか」というのは志らくの発言である。「5人の落語家が語る ザ・前座修業」に書いてある。
そこにも、談志の教えとして「バカと付き合うな」と言われたのを実践したので噺家に敵が多いものの、後悔していないというくだりがある。
後悔すべきだろう。
談志には、落語界に本当の敵など、実のところさほどいなかったのだから。
若い萬橘師が見抜いて、志らくの嫌う弟子こしらをも感嘆せしめた落語界の掟は、「和こそ大事」というものであった。
自分の一門は数が多いとしても、立川流の中でも孤立している志らくに未来はないだろう。落語が圧倒的に上手けりゃそれでも全然いいのだけど・・・

立川流、今後も動きがあるとしても、談幸師のように脱退して個別に移籍する流れだけだろう。

この先の見通しは、どう考えても暗そうだ。一匹狼集団は、必然的に力を弱めていく。
もっと悲しいことには、落語界全体に対する貢献も、今後はさしてなさそうだ。

***

このブログ、「噺家さんの悪口は書かない」ことをモットーにしているのだが、結構、いろいろな噺家さんを槍玉にあげてしまったいま、もうその看板は下ろしたほうがいいかもしれない。
立川流に対して延々呪詛を吐き続けるような格好になってしまった。
この間、多くのご来場をいただき感謝に堪えません。ふざけやがって、というご意見もあるでしょうが。

一落語ファンに過ぎない私、かの団体にもともとの恨みつらみなど持っていない。
だが、そもそも団体として批判される対象になるのは「立川流」だけである。「落語協会の思想は偏向している」などと言う人はいない。
「春風亭一之輔師は上手いし面白い。さすが落語協会だ」という人もいないだろう、たぶん。
立川流も、せっかく落語界に存在している団体なんだから、ちゃんとして欲しいなと思うわけである。このままだと将来的に「合流」もできず、おのおの朽ちていくだけではなかろうか。まあ、売れっ子や、才能がある人には関係ないだろうが。

三連休の最後、海の日には落語を聴きに行こうと思った。
行きたい落語会がひとつあったのだが、直前に売り切れてしまった。
であれば、ホームグラウンドの池袋、主任の柳家小のぶ師を聴きにぜひ行ってみたいと思った。小のぶ師の割引はないが、探したら夜トリの馬石師匠のチラシ印刷で2,000円になるので、印刷して用意しておいた。だが、小のぶ師は結局この日休演であった。
池袋、「本日の寄席」情報が出るのが遅いのである。
他にはなにがあるか。上野広小路亭では、立川流の席があった。毎月16・17の昼席は立川流である。色物も入らず、落語だけの席。
ブログで叩いた談四楼師も顔付けされている。トリは龍志師、仲入り前は里う馬師。
これに行くことも考えたのだが、結局止めてしまった。
行こうと一瞬思ったのは、現在の立川流の中堅どころの師匠の実力を確かめようと思ったからだ。
しかし、筆が止まらず書き続けた自分の記事に吹き込まれ、「行く価値なし」という結論になってしまった。
言葉の力は恐ろしいものだ。自分の書いたものに、自分でとことん影響されてしまった。まあ、手前味噌だがそれくらいのインパクトはあったのだと思う。
行かなきゃなにも確かめられないのに。まあ、そのうち行かねば。
4~5年くらい前に続けて立川流の二軍を聴きにいき、そこそこのインパクトを受けたにもかかわらず、その後まったく行っていないことには理由はあるはず。拒否していたわけではないのだ。
いっぽう、池袋に行けば、ほぼ毎回感動して帰ってくるわけで。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。