男が羽織を脱ぐとき

なんとなくカッコいいタイトルをつけようと考えて、大失敗してみました。

石橋貴明のセクハラをヒントに、「打ち上げですぐ脱ぐ噺家も気をつけよう」という内容を書こうかと思ったのだ。
検索したら、名文筆家林家はな平師の「噺家が高座で羽織を脱ぐわけ」というコラムにヒットした。

すぐ脱ぐ噺家の話はまた今度。
女の弟子に脱いだ服を集めさせるような某師匠はくれぐれも気をつけてください。令和ですから。

私が客として経験した羽織の使い方のいろいろを。

一般的には、マクラを終えて本編に入るときに羽織を脱ぐ。
カッコよく脱ぐ。
ただ高座の後ろが狭く、脱いだ羽織が高座の下に落っこちていったのを見たことがある。

出てきてすぐ脱ぐ人もいる。
「羽織を持ってるということだけ知っていただいたらそれで結構です」
「あ、着てると傷みますんでね」

羽織自慢をする人も。
三遊亭遊雀師は、「こう見えて結構いい着物着てんのよ。アタシの羽織は火を近づけると燃えるの。若手のは溶けるの」

羽織を忘れてきてしまう人もいる。
羽織の代わりに着物2枚持ってきていたり、逆に羽織2枚だったりするそうで。
忘れたときは楽屋で人のを借りて出る。
黙ってりゃ客にはわからないが、せっかくだからこういう失敗談は話したくなるみたい。
帯や足袋を忘れることもある。帯は風呂敷で、足袋は白い靴下で代用する。
襦袢を忘れて羽織を下に着るなんて聞いたが、本当かな。

袴を履く場合、だいたい羽織は着ていないので、脱ぐシーンもない。

三遊亭好二郎さんの二ツ目昇進時の披露目を見にいった(いつもあるわけではない)。
二ツ目昇進とはいえ普通は先に出るわけだけども、配慮でもって出番が後半になった。
口上の司会を務めた三遊亭楽生師が自分の高座で、「羽織を最初に脱ぐときは緊張するんですよ。見てやってください」と散々振った。
ご本人、羽織の紐に手を掛けただけで笑われていた。

先代の桂春團治の羽織の脱ぎ方は天下一品で、弟子はみな真似をしたという。
そう簡単にはスッとは脱げない。

三遊亭好の助師は、羽織を脱いで客の目の前で畳んでいた。「きっちりしてる人間なんです」。
もちろんこれ自体斬新なギャグ。

羽織を着たまま一席やることもある。
独演会でもって、連続2席務めるときに、1席めは脱がないというのをしばしば見る。
脱いでから、2席目のマクラで着直してもいいけども、それだとダレるものか。

本編の途中で脱ぐとすると、「羽織を着た登場人物が脱ぐシーン」の描写である。
だいたいは幇間である。たいこ腹は、若旦那に鍼を刺されるので必ず脱ぐ。
鰻の幇間だと、旦那が帰ってしまったのを知ってから脱ぐことがあるか。

夢金で、船頭の熊さんが一服つけろと客に言われ、船内に入り羽織を脱いで雪を払うシーンがある。
五街道雲助師がこれをやっていて、古今亭菊之丞師も受け継いでいる。

羽織を見立てるという珍しい使い方もある。
瀧川鯉朝師は新作落語「すたんどさん」で、羽織の紐をアンティーク電気スタンドのスイッチに見立てて引いていた。

笑福亭羽光師はNHK新人落語大賞を獲った「ペラペラ王国」でもって、雪山で救助を呼ぶのに使っていた。
新作落語では、座布団でもなんでも使えるものはなんでも使う。
故・三遊亭円丈師はタイタニックの名シーンを羽織の上で再現していた。
弟子のわん丈師は、羽織を折って紙入れのベッドシーンを再現していた。

柳家喬太郎師は、日本の話芸の冒頭(高座ではない)で羽織を頭に被って「どーもくんです」。
本編、紙入れでは、浮気なおかみさんが羽織の紐を手でぶん回して「ヤダヤダヤダー」。

柳家花いち師は、「いいからいいから」で水色の羽織を着て後ろを向き、裾を広げて富士山を再現していた。

通常羽織は脱ぐものだが、一度だけ「劇中で羽織を着る」シーンにお目にかかったことがある。
雲龍亭雨花師が昇進直前、「水神」をやって、劇中の黒い羽織を着るシーンでもって、高座の最初から持ってきていた黒紋付を着ていた。
びっくりした。

羽織そのものがテーマの黄金の大黒で、この手は使えそうだけど。
ボロボロの羽織を、毎回着直して口上に挑めそうだ。面倒だろうか。

羽織がないのにイメージの羽織を使うという荒業も見たことがある。
漫才のホンキートンク(旧)のネタで、二人揃ってジャケットを脱ぐというのがあった。今から本番らしい。
らくごカフェの「柳家花緑弟子の会」では、最終回に出番のない緑也師が私服のまま高座に上がらされ、羽織の代わりにカーディガンを脱いでいた。

脱いだ羽織は、一席終えてから自分で持って帰る人と、置きっぱなしの人とがいる。
置きっぱなしの場合、前座さんが高座返しの際に回収していく。たぶんそのまま楽屋で畳んでさしあげるのだろう。

当ブログの昔の記事を振り返ってみたら、羽織のネタだけで結構たくさんありました。