Googleポータルに、ラジオ深夜便が表示された。
直前にたまたま聴いたためだろう。三笑亭可風師の富士詣りなど。
Googleに表示された内容を開いてみたら、春風亭一蔵師のインタビューだった。師匠・一朝への愛をこれでもかと語った内容。
いたく感銘を受けた。
ラジオ深夜便は、真打ち競演ともども、たまにらじるらじるで番組内の落語を聴いている。
しかしGoogleに表示されない限り、このインタビュー「師匠を語る」は気づかなかっただろう。
一蔵師の語る師匠の話、非常に口慣れている。一蔵ファンなら何度か耳にしているのではないだろうか。
私はそれほど高座聴いてないので、おおむね初めて聴いた内容。
この記事へのアクセスがあったが、深夜便聴いた方からかもしれない。
弟子の10人いる一朝師の修業は、業界では珍しめである。
掃除や料理など一切させない。弟子は師匠の家で一緒にドラマを観ている。
一朝師自身が師匠の先代柳朝に対しそうであったように、弟子がなれなれしい口を利いても許容する、むしろそういった師弟関係を望む。
一蔵師が大声で語る、圧強めの落語も直さない。それでいいと。
ただ、弟子が本当に踏み外してしまいそうなときだけ、注意する。
打ち上げで弟子が気働きしようと一生懸命に振る舞っている。
だが先回りしようとすぎるため、師匠方に対し「こう動いて欲しい」と勝手に期待してしまう。師匠はその了見を見抜く。
同期が非常に優秀な一蔵師、くじけそうになることもある。
協会では扇橋、小燕枝。芸協では宮治、伯山が同期。
しかし師匠はそんなとき、腐るなと声を掛ける。くすぶっていてもあきらめるなと。
そうしているうちに、昇進後のトリが入った。
一蔵師のトリが決まったことを直接ではなく、他の弟子に対して喜びを見せる師匠。
真打の披露目が連日続く中、師匠の口上の内容がだんだん褒める内容になってくる。もともとあまり褒められたことなどなかったのにもかかわらず。
私はいつもいつも、繰り返し書いている。
落語界というもの、優しい師匠、じっと弟子を見守る師匠の一門から、次々優秀な弟子が出てくる。
弟子を往来でボコボコにする師匠は論外。それは別としても、「弟子には厳しくしなきゃ」と思い込んでわざわざ意味のない修業をさせる師匠や、一挙手一投足を厳しく監視する師匠の元からは、いい噺家は出ない。
人を支配しようとする人は、師弟関係も家族関係もだいたいダメ。
この関連性、とうに証明されていると思う。なのにアホな世間は、勝手に厳しい師匠に期待し続ける。
暴力師匠だって、「やりすぎ」だとしか見ないわけで。
実際に優しい師匠のもとで育った一蔵師、これこそ現代に向いた師弟関係だと考える。
このたび、七代目三遊亭円楽が誕生した。
元王楽の円楽師から、六代目円楽(楽太郎)のエピソードが数多く語られた。
当代にとって先代は、兄弟子である。
当代にとっての師弟関係は、師匠(五代目)がすでに好々爺となっていたため、厳しいものではなかったそうで。
上の弟子からすると驚くくらいの。
ところが、六代目が当代にやたら厳しかった。このエピソードが襲名前後で繰り返し語られるようになった。
やたら厳しかったのに、円楽の名を弟子でない当代に残してくれたというので、これが世間に感動エピソードとして伝わっている。
ちょっとイヤなエピソードだなと思った。
世間には感動秘話として伝わっているだけになおさら。
またしても、「噺家の修業は厳しくあるべき」だと、世間が理解しかけている気がする。
そもそも六代目が、次に王楽師に譲りたいとおかみさんに伝えたのは、フィクションだとは言わないが、本気だったろうかと私は訝しんですらいる。
たまたま、「俺の弟子は育ってない」と言いたい、そんな文脈だったのではないかと。
私は王楽師が円楽になったのは、おかみさんの意向のほうが大きいと思っている。もちろん想像だけど。
六代目自身、五代目の厳しすぎる指導に疑問を持ち、自分の師弟関係についてはやり方を変えたという。
なのに、今になって弟弟子にやたら厳しいエピソードだけ強調される。
矛盾よのう。
まあ、三平をラジオで公開処刑した、あれこそ六代目の本質だったと思っているので、王楽師に厳しかったエピソードは腑に落ちるところがある。
変に支配をしたがる人だったのでは。
結局、円楽党で最も弟子の枝葉を伸ばしたのは、優しい好楽師であった。
一朝・一蔵師弟の感動の逸話が、変なところに着地してしまった。
元からどこかで書こうと思っていた話なのでご容赦。
そういえば、今後円楽の六代目なのか七代目なのか、当ブログの古い記事もわかりにくくなる。
古い記事には注釈入れていこうかと思っている。