ちょっと寄席の続きものを中断しまして。
東大卒エリートが「60歳で落語家に転身」した結果(東洋経済)
業界で物議を醸している。
話題になっているのは、記事で取り上げられた人がどんなキャラクターかではない。プロ噺家や落語好きにとっては、「こんな人、落語家名乗ったらダメだろ」ということである。
落語家じゃないんだから、落語家扱いした記事が出るのは違うだろという、それだけ。
記事の入口でもって躓くので、書かれたことすべて入ってこない。
たまに、落語家という職業のプロアマ境界が問題になる。当ブログを初めた頃には、司馬龍鳳事件なんてあった。
プロアマの境界線については、司馬龍鳳事件と、協会に所属していない立川幸弥さんの記事で私はほぼ書き尽くした。
例外がいろいろあり厳密に分けるのは不可能だが、それでもこの記事の人は絶対にプロではない。
東洋経済にこんな記事が出るのは珍しい。
だが私日頃から、Yahoo!に転載されてくる全国の地方紙の記事にいつもツッコんでいるのだ。
どこかのアマチュア落語家が地元で落語をしたという、私にはニュースヴァリューがまったくわからない記事をよく目にする。今回の記事をつつくには、そうした背景(イライラ)もある。
東洋経済に寄稿している立川談慶師も、この東大卒元エリートという人の肩書に苦言を発した。
あとは柳亭信楽さんなど。
談慶、信楽のおふたりは慶応卒で、落語界ではエリート扱いされるほうの人ではある。
あと、本物の東大卒落語家(ちゃんと師匠に入門した)の古今亭菊正さんも。
プロが記事および人物に異議を唱えているその感覚は、非常によくわかる。
しかし、世間にはまるで伝わっているとはいえない。伝わっていない感覚のほうもわかる。
Yahoo!に転載された同じ記事のコメント(ヤフコメ)を読むと非常によくわかる。
東大→銀行員→MBA→社長…キラキラ経歴の彼が60歳で会社を辞め、落語家に転身した先にあったもの(Yahoo!ニュース・リンク切れ)
落語家扱いはおかしい、という極めてまっとうな落語好きのコメントに、ネガティブ評価が付きまくっている。これがこの世の現実。
落語のことなんか知らない人にとっては、「還暦になってから転身なんてすばらしい!」「好きなことを商売にできて幸せだ!」みたいな感動ニュースなのである。だからケチを付けやがってこのひねくれもの!と怒るのだ。
アホくさい。
記事に反発している人は、世間の感動の理由を理解できないわけではない。それ以前でずっこけてしまっているだけで。
なにを職業として選ぼうが自由である。既得権を持つ人が横槍を入れるのは間違いである。
という発想は、私だって想像の外にはない。全然わかる。
今やってる「べらぼう」では、地本問屋たちが吉原の蔦重を仲間に加えないよう企んでおり、そして視聴者は当然問屋側を悪と捉えている。
司馬龍鳳事件のときは、「司馬龍鳳はプロの噺家ではない」というプロの意見を理解しつつ、ちょっと嫌な感じを味わったのも事実だし、それも書いた。
既得権を持っているとされてしまう側からの発信が危険なことも、よくわかる。
プロに同調するただの落語好きだって、「落語をやる自由に対する排除に与するのか!」なんて、ヤフコメで悪評価を付けている人たちからそしられそうである。
司馬龍鳳事件の後、私の感覚はいささか変わってきた。
今回声を上げている人たちについて、100%賛同している。
発信者が違うというのもあるが、この間にあった事件に影響されたのが大きい。
最も重要な影響は、圓歌パワハラ事件。
真打にならないうちに協会をやめざるを得なくなれば、パワハラを受けた側は落語家ではなくなってしまう。
誰でも落語家として認められる世界ではないからこそ、パワハラと戦うことに意味があるというものだ。
ここまで踏まえても、「それは落語界が旧弊なままであって、本来自由であるべきものを不自由にしようという、ギルド的な発想があるのだ」という意見が出る。それも、理解できなくはない。
ただ、なにも知らないのに自由をと騒ぐ人のほうが、矛盾しそうな厳しい師弟関係に勝手に感心する気がする。これは偏見かもしれないが。
「自由に名乗っていいじゃないか」と「厳しい師弟関係が必要だ」の共通項は、「ちゃんと現実を見ていない」ということである。
落語というのは、一応は勝手にやろうとすればできる芸能である。
他の伝統芸能になると、そうでもない。
講談や浪曲は、素人なのにプロを名乗る人など出て来ないだろう。
地域の伝統歌舞伎をやっている人が、「職業:歌舞伎役者」と名乗ることはない。
能や狂言は、素人が勝手にやるのにも大きなハードルがあるだろう。
長くなったので続きます。明日はいったん続きものに戻る(書かないと忘れちゃうので)と思いますが。
楽しく拝見してまーす!
今回の記事って持ち込みなんでしょうかね?
改めて記者がいちいち取材するような内容でもないし。
東大卒なら春風亭昇吉さんがいるし。
立川志の春さんのイエール大学卒→三井物産→立川流ですし、しかも海外(ニューヨーク・シンガポールついには母校イエール大学、さらにはケンブリッジ大学他)で英語落語をされてる、そちらのほうが記事としてのバリューもあると思うんですけど。
まぁ基本的にはメディアは古典芸能に関しては(歌舞伎の襲名披露・落語の襲名披露・特別興行等)持ち込み対応だから仕方がないのでしょうか?
いらっしゃいませ。
記事の狙っている方向性はセカンドキャリアについてであって、これは学歴からダイレクトに出るわけじゃなく、切り口は私は理解しています。
ライターを非難している人もプロアマ含め多いのですが、私はその気になれません。むしろ多くの人を感動させた事実を見てしまいます。
自称落語家のほうが罪深いのでは。これは続編で書きますので。
いつも楽しく拝見しております。
この記事については、件の方が自ら「落語家」を自称しているのか、記者が「落語家」と書いたのか分からないですが、記事を読んだうえで勝手な想像ですが、この方がいわゆる「落語家、噺家」と自称している感じは受けませんでした。
参遊亭の亭号も正式に遊三師匠からもらっている(参遊亭落語会HPより)ということだから、僭称?的なものでもないようですね。
記者がどの程度の知識があるかわかりませんが、それなりに演芸に知識があるのなら確信犯的に「落語家」という単語を使ったのか、とも思うし、単に無知なだけで勘繰りすぎなのか?ともこちらも不明ですね。
ただ、前座修行をしていない人が「落語家」と呼ばれるのは釈然としないものがありますね。落語教室から実際に入門したら、落語教室時代の期間も繰入するのか?という(笑)
「今の各協会にこの人ぐらい独演会でカネの取れるプロの噺家がどれだけいるのか?」なんて意見も出てきそうですが、それは本筋ではないと思います。
いらっしゃいませ。
明日続きを出しますので乞うご期待。
先に予告しますと、この人絶対にカネは取れません。
理論上、修業してないスーパー噺家が突然出現する可能性はあります。圧巻の空座に客が詰めかけるという。
ただ、現在の落語界の仕組みが完全に機能不全に陥っていない限り、スーパー噺家は内側から出続けるでしょう。
私は世間にある真逆の誤解「厳しい修業により凡人が新たな生を受け、超人として生まれ変わる」も嫌いです。
ただ、現在の修業に代わるルートも、まずないでしょう。