五街道雲助師はすぐに町内の若い衆へ。
これまた軽いスタンダード演目だが、ひたすら楽しい。
完全に頭に入っていてもなお楽しい。
人間国宝の噺は、会話だけで楽しいですね。
橘之助師匠は、昔の喬太郎さんは私服がびっくりするほどダサかったと言っていたような。やや夢うつつ。
釈台とあいびき(折った座布団)が出て、いよいよ喬太郎師。
釈台が出る理由、客が知り尽くしていると判断してか、しばらく語らなかった気がする。
最近また改めて語るようになったみたい。
説明がないと、違和感抱えたまま終わっちゃう人がいるんでしょうか。
「笑点の司会は鼻メガネ先輩に任せる」「喬太郎の下半身見る会」までワンセット。
今回は、特徴的な釈台の使い方は特になかったけど。
マクラはこれだけで、飲む打つ買うから、四宿のひとつ品川へ。
初日は「品川心中」か「居残り佐平次」か?
居残り佐平次は6年前に聴いた。ご無沙汰だからこれだとしてもいい。
品川心中は、最近ラジオでは聴いたのだが、持ち時間が短かった。恐らく寄席のトリでは作法が違うのだろうと思っていたため、できればこちら品川心中が聴きたい。
板頭のお染が出てきて、品川心中。
品川女郎のお染は、最近ではお茶を挽く日も多い。後輩女郎にも馬鹿にされるようになり。
女郎の陰口はしっかりセリフ入りだ。
喬太郎師の描くお染には、ペーソスがない。実に軽い。
陰口をセリフで入れてもなお。
移り替えができないとなると、こんな屈辱的なことはないのに。
でも、心中相手を物色するお染、なんだか楽しそう。楽しいわきゃないけど。
あえての軽い演出なのだろう。
楽しいわけのない状況をテンション高く描くと、不思議な味わいが生まれる。
喬太郎師の品川心中は、楽しい心中の実践。
もともとそんな噺であり,しかし誰もそうはできなかったのかもしれない。
喬太郎師の場合、演者と登場人物との間にワンクッションあって、軽さを出すのが容易みたい。
ワンクッションとは、喬太郎落語の登場人物は、みな劇団キョータローの劇団員だからだ。
喬太郎師は劇団員を監督しているのである。
一応マジな心中シーンのはずなのに、金蔵がボケる(剃刀はあとが縫いにくい等)ことが笑いになる。
だが喬太郎師の品川心中の場合、そもそも世界にマジな部分がないのである。
この味わいが、だんだんとクセになる。
桟橋から海に人をひとり突き飛ばしておいて、死んじゃったと思ってもやっぱり実に軽い。
「こんな失礼な話はない」などの演者のツッコミがないのが、軽さの証明。
ひどいとも思わないし、可哀想でもない。
さすがに軽さのおかげでドキドキしたりはしないけど、でもずっと楽しいシーン。
演者自身のセリフは、ほとんど入っていなかったと思う。
犬には遭わず、自分の家はもうないから棟梁の家まで戻ってくる。
丁半博打やってるので、壺皿を持ち上げるシーンがある。
「狸は出てこないね」
これ、多分直前で気づいたのでしょうな。
意外な噺どうしが、ごく軽くつくということはあるもので。
ラジオでは省略されていた、次のシーンがあった。
- 金蔵が匕首を忘れてきた
- 糠床に金玉落っことした
1は回想シーンであり、死ぬ段になって金蔵が語っている。いとま乞いの時点で、頭領のおかみさんが気づいてるわけではない。
ラストシーンは、腰を抜かす先生や、肥溜めに落っこちる与太郎はいない。
頭領の背中駆け上がって天井にぶら下がるのはあった。
喬太郎師の場合さらに、「証拠隠滅を図りサイコロ飲み込む男」がある。役人ではなかったので、四苦八苦して吐き出す。
喬太郎師は先人を非常にリスペクトする人だが、それでもいろいろ噺を動かしている。
犬の町内送りは今回もなかった。
見せ場といえば見せ場だが、ダレ場といえばそうだからか。
最後は、お染に復讐に行く「下」を予告しておしまい。
宮戸川の下とか珍しいのをやり、そしてお若伊之助の続編までこしらえる喬太郎師だが、品川心中は多分下までやらないよな。
品川心中の下は、唯一三遊亭遊馬師から聴いたことがあるが。
白熱の鈴本でした。
当ブログ、12月を待たず、11月末まで休むかもしれません。
ちょっと本業に力を入れたくて。
12月が、毎年アクセスが2割減になるので休もうかと思っているのとはまた別の話です。