鈴本演芸場14 その2(二ツ目昇進柳家小次郎「ガーコン」)

太神楽を挟んで、新二ツ目柳家小次郎さん。
前座時代の名は小きち。
柳家の出世名前に「小太郎」があるが、小太郎は今もいるので小次郎になったものか。
前座時代は数回聴いているが、それほど期待していたわけでもない。ただ、前座時代は一切派手なことをしないタイプなのだろうとは思っていた。
柳家小ふね(り助)とか、桂枝平とか、芸協の瀧川蛙朝(はち水鯉)みたいに前座の頃からやり過ぎの人もいるわけだけど。

二ツ目になっていきなりド派手。
ガーコンやるなんてまったく知らなかった。
ちなみに小せん師のように、川柳ガーコンを後世に残そうというやり方ではなく、小次郎さん自身の経験と先輩の話に基づく、オリジナルガーコン。
聴きながら、この演題は「新ガーコン」かななどと思っていたが、最後立ち上がって脱穀機に入った。
これはもう、ガーコンというべきであろう。

ファンとしての寄席の思い出はいろいろあるが最も印象的だったのは師匠ではない。
川柳川柳師匠だ。
軍歌を歌う川柳師匠に圧倒され、海上自衛隊に入ったと。時系列はどうなのだか知らないが。
海上自衛隊というと、志ん駒・才賀(ともに故人)であるが、川柳リスペクト。

自身が海上自衛隊の幹部候補生だった経験を語る。在籍中に試験を受けて入学したのだ。
戦前は、海軍兵学校の生徒はモテモテだったものだ。
生徒は海軍のほうがモテた。ただ、飛行機は陸軍航空隊のほうが人気あった。
海軍といえばゼロ戦だが、ゼロでは味気ない。
陸軍は、隼、鍾馗、飛燕、疾風など愛称が付いていて人気だった。

学校は戦前の海軍兵学校の流れを汲んでいる。
なので、太平洋戦争に従軍した先輩から直接話を聞く機会があった。貴重な経験。
なのに、落語家になっちゃうやつも通っていたと自虐も入る。

ちょっと気になったのは、この人戦前復古主義者なのかしらと客に思われやしないだろうか。
「戦争したがっている人」認定されやしないかなとちょっと心配。
私個人は、「戦争したがっている人」は現代社会に存在しないまったくのフィクションだと思ってるけど。自衛隊内部にだっていないはず。
ただ「戦争したがっている人がいることにしたい人」は常にいるのだ。
小せん師はガーコンやって、「右翼とかそういうことではありません」と断っていた。
そういう一言は結構大事な気がする。

ともかく、川柳師も歌わなかった軍歌も登場。いい声だ。
自衛隊上がりだからって、歌が下手だとガーコンできない。落語界において実に貴重な存在だ。
戦後GHQがやってきて、ジャズをガンガン流す。
川柳師と同じく、茶色の小瓶を口トランペットや口ドラムで演奏。上手い!
小せん師と同様、音楽の経験がないと無理だと思うけど。

黒紋付だが、立ち上がる際に羽織を脱いでいた。

飛び道具を抱えた新二ツ目。
でも、ガーコンで収まらないで古典落語もしっかりみっちりやって欲しいなと思います。
ガーコンも楽しみにするけど。

続いて、ずいぶん早い出番だが柳亭市馬師。
この後浅草の仲入りだからですね。逆に扇遊師が浅草早い出番の後、こちら鈴本で仲入り。

いや、すごいのが現れましたね。初めて聴きました。
高座で歌うようになったらおしまいですね。
二ツ目昇進は嬉しいものですよ。

昇進から身分制度を振って、殿さまへ。
殿さまと鯛の小噺へ。これはもう、目黒のさんまの付属小噺。
目黒のさんま今年初めて。
もっとも、遡ってみたら平均して1年に一度ぐらいしか聴いてない。そんなもんか。
市馬師の目黒のさんまは記憶にない。非常に楽しみ。

実にもってスタンダードなのだが、スタンダード感が強いということは、逆説的だがどこにもない目黒のさんまなのだ。
目黒のさんまは、普通、地噺として演じられる。
最初から地噺として仕上がっているというより、説明のセリフが多いため、それを活かしていくと地噺になってしまうのではないだろうか。
だが市馬師のもの、セリフが多い。
目黒における駆け比べもあり、そしてさんまを買い求めてくるあたりもすべてセリフで語られている。
親戚筋の会食でさんまを希望するくだりも、しっかりセリフで。
つまり普通の落語になっている。
普通の落語になった目黒のさんまは普通ではない。

感激しました。
多くの若手の教育係である市馬師のこの噺を、若手が引き継いでいないのは実に不思議だ。
今後、いかにも地噺の目黒のさんまを聴くとガッカリしそう。
芸協や円楽党で、目黒のさんま持ってない人は市馬師のとこ行ったらどうでしょう。ただ、希望する演目の稽古は付けてくれないらしいけど。

続きます。

 
 

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