宝井琴調@新宿健康プラザハイジア(下・赤穂義士銘々伝三村の薪割り)

講談は教養の宝庫。
一つ思い出した。
細川藩の田中卯兵衛が、屑屋太兵衛の持ってきた仏さまを見て言う。
阿弥陀さまではないか。わからない太兵衛。
親指と人差し指をこう、くっつけていると阿弥陀さまなのだ。
親指と中指だと、お釈迦さま、親指と薬指だと、薬師さま。
親指と小指はなんだっけ(調べてもわからない)。
それ本当なんですか? 講釈師に教わったからあてにはならんがな。

田中を案内して、川村の家に連れていく太兵衛は、案内なのに「くずーい」を唱える。
これこれ、わしが屑屋の頭領みたいではないか。
これ言わねえと、足が動かねえんです。
仕方ない。唱えてもよいが、商売はするなよ。
屑屋さーん。
今日は休みです。

原型の講談も、落語とは笑いの要素はだいぶ違うものの、面白いんだよなあ。

スマホ鳴ってました。
いい場面だったのだが、まあこんな公共のスペースで鳴ったところで文句言う筋合いもなかろう。
そして、大きな荷物を運ぶ音が響き渡る。これもまあ、仕方ない。

12時開始という妙な時間帯の会だが、ご近所の勤め人を当てこんでいるらしい。
だから途中からどんどん人が増えるのだった。

鈴本で12月中席夜、毎日鰍沢を演者日替わりで出す芝居がある。
琴調先生はそこで毎日仲入りで忠臣蔵をやりますとのこと。
さらに、語らなかったが下席夜は琴調先生の主任。
今年は5日間しかないんだ。鈴本は27日からもうお休みである。

忠臣蔵も、昔は世間の共通認識でしたが、今はわからなくなっちゃってと。
まあそうでしょうね。
忠臣蔵、も読めなかくてちゅうしんぞうになっちゃったりという、これはまあギャグですが。

昔の役者の出ていたテレビ・映画で誰がよかったかという話をしばし。
浅野内匠頭は、市川雷蔵はよくなかったと思う。雷蔵だったら、斬り殺すのを失敗しないでしょ。
よかったのは大川橋蔵です。
吉良は誰がいいって言ってたっけ。
水戸黄門も、TBSの前の月形龍之介がよかったですね。こんなこと言いまして誰も知らない。今日のお客さんは大丈夫でしょうけども。
って、調べたら70年前ですがね。

三村次郎左衛門の読みもの。初めて聴く。
浪士たちは様々な物売りに身をやつしていたが、無骨な三村は薪割りの仕事。
今日も吉良邸そばを流して歩く。
スパイとしては僥倖であるが、刀研ぎの名人、竹屋に気に入られる。
なんと見事な薪割りだ。そしてその立ち振る舞い、さてはお武家の出であろう。
いえいえ、奥州の百姓の出です。
まあ、ともかく毎日おいで。

竹屋が三村に目利きをさせる。
中腰になり、エア刀を睨む三村。ひそやかに入れているが、大変な迫力が伝わってくる所作だ。

三村は刀の目利きもできて、筆も持つ。
竹屋が新たに掲げる看板をぜひ書かせていただきたいと。
もうじき討ち入りし、切腹する立場だ。その前にこの世に作品を残したいのだ。
三村は筆を握り、おかしな振る舞いをする。筆を耳の穴に突っ込むのだ。
なんの冗談だい?
木の板に筆を滑らすと、滲みます。ところが耳垢を混ぜると、滲まないのです。
驚く竹屋。

ここで脱線するのは、落語の地噺に似ている。
私の師匠はよく、表札に文字を書くのを頼まれてました。
この際に、この耳垢のくだりを実際にやってみたんですね。
そしたら滲みました。
師匠、講談もあてになんねえなって言ってました。

いよいよ討ち入りが近づいた。
あえて竹屋に顔を出さない三村。
しかし直前にお武家の正装で現れ、自分の刀の研ぎを願う。
やはりお武家であったか。承った。
しかしまだ偽名。

無事、討ち入り当日刀は仕上がる。
自らが書いていた看板を支える、庇の腕木は桑。これを試し切りしてみたい。
桑は硬い。切れるはずがないと皆は言うが、しかしスパッと。

夜中になって吉良邸が騒がしい。飛び起きて見にいく竹屋。
本懐遂げた浪士たちは胸を張って、泉岳寺に向け行進している。そこに三村が。
ああ、浪士でござったか。斬れ味はいかがであった。
これがもう、スパスパと敵を真っ二つに。

と言うわけで、長講2本、ともに30分。
極めて濃密な時間でありました。
暮れに聴く忠臣蔵もいいもので。

来週は玉川太福師匠の浪曲もここである。やはり忠臣蔵だそうで。

(上)に戻る

コメントする

失礼のないコメントでメールアドレスが本物なら承認しています。