客の少ない席での演者のふるまい

今月久々に神戸新開地喜楽館の配信に加入した。
1週目は個人的にヒットだったのだが、2週目はイマイチ。まあ、そんなもんだというのはわかっている。毎週いいはずがない。
収穫は、若手の女流落語家が「母恋くらげ」を出していて驚いた程度。あと、東の旅の一編、珍品の「軽石屁」が出ていた。
寄席の様子をそのまま流しているわけだから。配信以前にそもそも、寄席のレベルは本当にピンキリ。

デキがイマイチでもまあ、いいのだ。
配信というものは、自分に合う合わない以前に、わりと聴けてしまうということもすでに発見している。
現場にいると、他にすることがなくて、なかなか地獄だったりもするが。

ところで、レベルとは別に、またしても少ない客いじりに少々うんざりして。
これはすでに、再加入する前に、懸念材料として存在していた。
平日夜の収録なので、少ないのは最初からわかっていること。
そして、演者が義務的に少ない客席をいじることも理解はしている。一言断らないと先に進めないであろうことも。
「真ん中空いてますね。どっち向いて喋ったらいいかわかりません」
「指定席なんですか? よろしければ真ん中へどうぞ」

それでも演者はたまに来て少ない席を見回し、言うのだからまだいい。
配信の客である私としては、毎週言われるわけなので、いささかうんざりしてならない。
もちろん、演者が「毎回観ている配信の客」に配慮すべきかどうかは別の話。演者が見ているのは目の前の客だけなのであって。

それでも、もうちょっと洗練された一言がないかな。

ひとつ思い出した。先代古今亭圓菊が、客の少ない夜席でもって。
「こういう席を、我々のほうではアメリカンと呼んでいます」
いいな、アメリカン。

今でもよく聴くのは、「空席以外は満席です」。まあ、それがどうしただけど。
「いやーすごい入りですね…ダメですよ後ろ見ちゃ」

「伯山さんの主任の席に出てきたら超満員で。桟敷も3列でしたよ。緊張してしまいました。このぐらいの人数がいいですね」
これは瀧川鯉橋師。

こういうの、雲助さん喬喬太郎白酒三三兼好一之輔宮治、そうしたホール落語ばっかり行ってる人はもしかすると聴いたことないのかもしれないな。
私はしょっちゅう聴いてます。
演者のほうもこちらを見ているから、「あ、でっち定吉が来た」と思っていたりもするのでしょう。

逆に平日昼になぜか満員でも、「どうしてこんなに集まるんでしょう」と語ってると、白ける(ヒルハラ)。
三遊亭兼太郎さんは、挨拶が上手くて期待している。
少ない席でもって「大入りですね。我々の方では10人超えたら大入りと呼んでます」。
逆に多い席で「ほか行くとこなかったんですか」。
演者がバカになってると、何言っても許される。兼太郎さんはバカ発言のホープだ。

少ない客数に触れるのは義務的でもあるものの、客が気づいてしまうデメリットも。
「あ、そうだ、どうして俺こんなとこ来てんだろう。立ち飲み行ったほうがよかった」なんて。

鶴光師がよく語っているエピソードがある。私もたびたび引用している。
先代春團治は、タチの良くない客の前でやるときに、客席との間に一線を引き、その中できちんと演じることに努めたという。
しかしそうしているうちに、その様子に惹かれた客が徐々に一線を超えて演者の側に行き(もちろん、物理的にではない)、最終的には場内一体化して盛り上がることがあったのだという。

これ、質でなく量に問題がある場合も、一緒ではないかと思うのだが。
少ない客と、なんとかマクラでつながろうとするのではなくて、芸でもってつながるという。
まあ、できない人にはもちろんできなかろうが。

私は客2人、というのは経験している。
3人、4人ぐらいもたまにある。
もっとも、そういう席で手を抜いた人は知らない。公開稽古みたいな気持ちもあるかもしれないが、それでも客は構わない。
演者の側からは、しばしばあることなのだ。ある程度人気の噺家には絶対ないことかというと、そうでもない。

東京のほうが、少ない席の伝統があるかもしれないな。
喜楽館にご出演の皆様も、客の人数いじりの際はもう少し洗練されたものをお願いします。
配信の客がいることを思い出してもらって、堂々やってほしい気もする。
客の人数いじりにあまりにもうんざりしたら、今月だけで配信やめてしまうかもしれない。

作成者: でっち定吉

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