噺家が主人公の映画「みんな笑え」

落語芸術協会と浅草演芸ホールが協力した「みんな笑え」という映画が公開されています。ご存じでしょうか。
東京では新宿東南口「ケイズシネマ」で上映中。20日観てまいりました。

ダメな主人公から元気をもらえる映画。
そして、落語界という特殊な世界を扱っているのに、嘘のない映画だと思った。

劇中の寄席は浅草1か所だが、主人公の生活拠点はもっぱら高円寺である。
画面に映る高円寺の景色を眺めつつ、この映画の存在を知ったのも、高円寺を歩いていたときだったのを思い出した。
高円寺は演芸まつり開催中。

主人公は二世の噺家、二代目萬大亭勘太。
初代は父親だが、認知症である。
先代が存命なのに名跡を継いでいるのはやや妙だが、どうやら大工調べを演じていた際、セリフが出てこず引退したようだ。
母親は亡くなっていて、ボケ親父との二人暮らしは大変だ。
50歳の勘太は寄席でいつも変な新作を掛けている。理想の女で打順組んでみましたという。
いつもウケない。
別に萬大亭、新作の一門ではないのだ。弟弟子の勘之助は師匠譲りの大工調べなど古典で売れてるし。
先代からも、自身の看板ネタだった抜け雀が向いていると言われているのに、頑なに背を向けてきた。
昔を知る副主人公の母親によると、どうやらずっと逃げ続けてきた人生らしい。

別に浜野矩随のごとく、ダメな二世が劇的に蘇るストーリーではない。
一流になる未来が絶対来ないと暗示されているわけではないのだが、でも名を上げることまではきっとないだろう。
でも、ダメな自分も含めて現実だし、根本的にどうにもならないのであればダメな自分を笑う方がいい。そういう前向きなメッセージ。
ずっと後ろ向きで、落語やめるというのが口癖の主人公が、前を向き出したのは大きな救いなのだ。

副主人公は、売れない女性漫才コンビのボケ。
アドリブ100%漫才とやらは不発で、ネタ見せではダメ出し。
ツッコミの相方はやる気を失いつつあるし、そしてホストに貢がされている。
だが、唯一愚痴を聞いてくれる、芸人上がりの若手噺家(リアルだね)に誘われ、勉強のため浅草演芸ホールに出かける。
そこで勘太の高座に遭遇し、大きな触発を受ける。
他の客は飽き飽きしてるのに、なぜか「打線組んでみました」からヒントをもらう漫才師。
売れない漫才だからセンスないのか? そうじゃない。
これをきっかけに、孤立した噺家と、売れない若手との間に交流が生まれだす。
といって、噺家の主人公のほうはこの出会いでいきなり変わったりなんかしないのだ。ひねた人生が、ごくささやかな出会いで劇的に変わることもない。
いっぽう漫才師の人生は、劇的に動き出す。

登場人物は、ひとり残らず欠落を抱えている。
まだ若い副主人公を除けば、女性はみなシングルばかりだし。
人生における欠落をごっそり埋めてくれるものは別にない。ただ、落語というものはほんの少々その手助けにはなるかもしれないツールだ。
人生のつらさの描写は、ごく控えめに遠景だけ描かれている。
意図してのことだろう。
誰の人生だってそこそこ辛いのだが、現実を掘り下げすぎるのがテーマではないのだ。

主役に大抜擢された野辺富三という人の演技は、まったくもって作り込んでいるように見えない。
劇中の落語もそうだが、演技から役者の欲のひとつもまったくうかがえない、そんな透明さ。
しかし終盤において、カラッポの人生に期せずして燃料を入れる機会が生じる。

ラストシーンでは、父に対する万感の思いを込めて抜け雀を演じている。
しかし、これおかしいのだ。
大きな名前の二代目とはいえ、どう考えてもトリの取れる噺家ではない。
仲入りに入ることもないだろう。寄席で大ネタの抜け雀を掛ける機会など、ある?
もしかしたらこれ、全部妄想かもしれないなんて思う。
チャップリンの独裁者のラストシーンみたいな雰囲気。

前半繰り返し出てくる打線組んでみた新作落語はしっかりとヘタ。
しかし、抜け雀はなかなかいいデキ。
思い切り力を抜いて、淡々と語ることで、意外なくらいの景色が見えてくる。冒頭と同じ演者の落語として断絶がないところはすごい。

噺家というもの、「売れてなくても楽しそう」という姿が、ノンフィクションでの共通認識のような気がする。
この点では、「売れてなくてつらそう」な造形は、フィクションとしても極めて異色ではある。
しかしながら、だからこそ芸人の心の声が吹き出ている。
監督は、二世噺家がとりわけつらそうに見えたのでしょうか。

落語が好きで、落語と噺家の世界が好きでよかった。そう思います。
しかし、落語にもやはり迫りすぎていない。それがいい。

芸協の噺家さんは多数出演している。落語指導の枝太郎師をはじめ、文治、竹丸、宮田陽。
文治師はやたら演技が上手いなと思った。

「師匠はゴミなんかじゃありません。ぼくのホコリです」という、三笑亭可風師が高座で使っている小噺を、弟弟子の勘之助(今野浩喜)が、恍惚の師匠(渡辺哲)に用いていた。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. ご鑑賞、ありがとうございます。イケメンも天才も下町人情もない、リアルな落語映画です。各々モデルの師匠はおります。映画を見た方が「人生、悪くないかな。明日も頑張ろう」と思ってくだされば嬉しいです。「ゴミがホコリ」ってのは、うちの師匠がやっていたネタの引用です。追い出し〜一番太鼓でエンディングは、人生の昼席が終わり、夜席が始まる事を意味します。夜席編も作れるといいですね。感謝申し上げます。

    1. 枝太郎師匠、素人のブログにコメントありがとうございます。
      補足もいただき恐縮です。

      打線組んでみましたの新作は、師匠がアイディア出していらしたのかと勝手に想像しておりました。

      「人望のない噺家」という触れ込みであり、弟弟子にもそう罵られていましたが、本当に人望ないわけじゃないですよね。
      モデルの方もきっとそうで、どこか愛嬌のある人だったのではないかと。

      昨日は「七人の侍」に行こうかとも思ったのですが…また伺います。

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