「高田馬場」は珍品の類であろうが、小八師からは別に、珍しいものを出そうという気負いは感じられない。
珍しいほうがお客さんは喜んでくれるだろう、という程度ではないだろうか。
私も速記で読んだことしかない噺で、初めて聴いた。
「ガマの油」との冒頭の大きな違いは、鎖鎌の娘が出てくることみたい。
思わぬところで出くわした仇討ちに、江戸の町人は大喜び。
しかし敵である老武士が、これでも仕えの身であるので1日待ってくれという。意外にもガマの油売りは応じ、翌日決戦を高田馬場で行うことになる。
物見高い江戸っ子たちは、仕事を休んで連れ立って高田馬場へ。飲み屋は大繁盛。
やたら酸っぱい、酢じゃねえかという酒を顔をしかめてちびちび飲みながら決闘開始を待つのんきな人たち。
老武士が語る、同僚の夫人に懸想し、そして同僚を斬り殺して逐電するエピソードは、落語の客にとっても実にリアリティを持って響いてくるものである。
この部分こそ、この噺を分厚く成り立たせている秘訣のようだ。
そして、人の生き死にがかかっているというのに、町人たちからすれば酒の肴になればそれでいいのだ。
回想シーンのリアリティと真逆な、ごく自然のリアリティ。
この対比はたまらない。
そして、壮大な仕掛けに騙されるのもまた楽しいもの。騙すほうだって、こんなことなら罪悪感など感じないのだ。
この骨太でありながら軽い噺は、生半可な腕では語れない。
小八師、見事であります。
仲入り休憩時に、引換券でアイスコーヒーをいただく。寒い日だが、熱気むんむん。
休憩終了直前に、らくごカフェの奥、仕切っただけの控室から三三師が出てきて、高座の袖に入る。
三三師を聴くのは1年半振り。年イチペースである。
とてもファンだなんて言える頻度ではないが、聴けばなにかしら刺激を受けるのも事実。
最近、産経らくごの配信では結構聴いている。
三三師、この夜は調布で喬太郎師との二人会だ。
この会場は、いつも下でいい匂いに包まれてます。
ボンディで食べてから高座上がってみたいんですけど、時間が読めませんからね。散々並んでおいて、「師匠、出番です」って言われそうで。
昔はあんなに並んでなかったっていいますけどね。
小八さんのときは休んでいた工事も再開しましたようで。声を張っていかないとなりません。
隣でビル建ててるからね。でも、噺に集中してればそれほど気になるわけじゃない。
下谷の山崎町について。今は東京メトロの操車場、車庫みたいなのがありますねと。
ああ、あのあたりかと思う。銀座線に踏切(横から集電しているため、危険)があるというのでちょっと有名なスポット。
昔は貧乏長屋が立ち並んでいたそうで。
山崎町といえば西念坊主。
気負いもてらいもなく、黄金餅に入る。そんなに気軽に入る噺ではなかろうが。
黄金餅は、橘家圓太郎師から2年半前に聴いて以来。
これでも十分すぎる頻度だろう。グロ描写があるので、現代ではそうそう掛けづらい。
らくだの暴力描写をいかにマイルドにするかというテーマはよく見るけども、黄金餅はグロ描写から逃げられないし。
とはいえ、なんだかやたら楽しい噺。人間の欲を振り切ってるからか。
圓太郎師と、演出がまるで違うので驚いた。
終盤のグロ描写は似てる(当たり前だ)が、まるで違う噺というムード。
三三師のものは、序盤の描写を徹底している。
すなわち、
- 患った西念を隣人金兵衛が見舞う
- あんころ餅が食いたいと西念
- 金兵衛が隣から、西念が餅に金銀を仕込むのを覗く
- 金兵衛主体で長屋での人員手配
- 道中付け
- 麻布絶口釜無村木蓮寺での弔い
- 桐ケ谷の焼き場
このうち、4までがとにかく長い。こんな噺だったけと。
長いと言っても、退屈する場面などまったくない。カネに対する人間の欲求が詰まっていて、目を離せない。
不思議なことに、欲求の恐るべき強さについては、ごく自然に描かれるのだった。
三三師の、対象からわりと距離を置く語り口のおかげなのでしょう。
落語の客は、主人公金兵衛からもわりと距離を置いて眺めている。共感が必要な噺ではないのだ。
もっとも「腹の中のカネをどうやって取り出すか」と考えて行動する点には、意外と共感したりして。もったいないもんね。
ただ、後で思ったのだが西念坊主、カネを呑み込むのは地獄で使おうとしたためじゃないのかな。そう思うとこの世の人間がかっぱらうのは思いのほか罪深い。
カネを飲み込んだおかげで死ぬ西念に、慌てて駆けつけた金兵衛。「一個ぐらいほき出してくれればよかったのに」。
このクスグリ爆笑。
道中付けのあと、客に中手を入れさせないのは先の小八師と同様。
「たいそうくたびれた」の後、セリフをつなげてしまえばOK。
市馬、小せんといった師匠も使うテク。中手を求めないのはカッコよくはある。
ボロボロ寺の木蓮寺の和尚の経は、「座ったまま握手すんじゃねえ。誰が石破を選んだ」などと入っていた。
ここまでは長屋の月番も一緒なので、ツッコミがいる。
ここで(ひどいことに手ぶらで)月番ふたりを帰してしまい、金兵衛ひとりで西念を背負って焼き場へ。寺の包丁も拝借している。
焼き場では隠亡に無理難題のオンパレードの末、ついにアツアツのカネを拾い上げる。
「黄金餅という、午後のひとときにふさわしい噺でした」
聴き応え十分であったし、行きたい場所の多い中、また来ようかな。
来月は若手に駒治師も出ることだし。
いずれも長講なのはシブラクに似てるが、こっちの2時間のほうがいいかも。