あかね噺15巻(なにこの回収できなそうな大ブロシキ)

あかね噺の16巻が出たと知り、15巻を買いました。
相変わらずひねくれた私。
ちなみに半額だった。

監修の林家けい木さんは真打昇進して木久彦。鈴本で始めて実際の高座を聴いた。
ちなみに、「きくひこ」で変換すると「菊比古」が出る。
あかね噺の監修者なのに、名前は昭和元禄落語心中。

当ブログのあかね噺レビューは、各巻ごとにしている。
アクセスが多いのは、1巻、4巻、6巻。検索に掛かるからだ。
あとはそこそこ。
横断してくれる読者は決して多くはないようで。
当ブログに対するネタとしての貢献度は中の上ぐらいで、たいそうなものではない。

なんだかなあ。15巻読んでガッカリしちゃって。
私もここで離脱してしまう可能性あり。
アニメにもならないのでは。なって欲しくないわけではないが。
ちなみに、アニメ化されたら鈴々舎美馬さんが声当てそう。

このマンガ、1巻の酷評からスタートしていたが、だからといってけなしまくって15巻まで読み進めたわけではない。
作者独自の、落語界に対するものの見方に感嘆したことも多い。
とはいうものの、スタートが「阿良川流の真打になる」だったのは、だいぶ設定の首を絞めている気がする。
主人公あかねがライバルたちと切磋琢磨して成長していくのだが、早々二ツ目にも昇進したし、いずれ真打になってしまう。
そりゃそうだ。辞めなきゃみんな真打になるんだもん。
マンガの中では、阿良川流だけ、落語連盟の中で真打になれる人間が少ないと描かれているのだが、そんなわけにはいかない。
真打になれない噺家の処遇問題をずっと抱え続けてきたのが現実の落語界なのである。

もうひとつのテーマが、「あかね父の破門の謎を解け」なのだが、これは後付けにしか思えない。
連載がだいぶ進んでから、突然ぶり返した設定だ。
4巻でいったん解決した「落語界の質を保つため」もとってつけたようだが、ここでの説明はでたらめだったのだということにすれば、納得は行く。
だが、「先代志ぐまの芸」に遠因があるとほのめかされても。これだって、ちゃんと着地すればいいけども、できるのか?
回収できなそうな気がしてならない。
回収できたとして、なんじゃそれになるのでは。なぜなら、現実の落語界においてなんらモデルが存在しないからだ。
作者なりの落語界を追いかけ続けてきたあかね噺、破門の真実については、落語界と無関係な架空のストーリーとして描く必要があるが、そんなものに心動かされるでしょうか?

15巻に来て、あかね噺は落語のマンガでなくなってしまった。
そうなったときに、なおも引き付けられる要素があればいい。私には見つからない。

なんだかこの巻からいきなり「しょっぱい」(しょっぺえ)という用語が頻出している。
文脈的には「無様」というような使い方。
なんだか、特定分野のジャーゴンを目指したかもしれないけど、噺家さんが「しょっぱい」って言うの聞いたことないけどな。
Wikipediaにもこの項が立てられていて、芸人ではウッチャンが使いだしたのだと。記述内容の正確性についてはどうだかわからないが、ただ間違いなく落語界の用語でないとはいえる。

師匠・志ぐまが倒れてしまい、バタバタの中一門が解体される。
仲良く一門で流しソーメンしていた直後である。
一門の二ツ目が、師匠に亡くなられて、あるいは倒れられて移籍するのは普通。預かり弟子となるわけだ。
どこかの一門にいないと、東京では噺家を続けられない。真打にもなれない。

「仲良し一門がバラバラになる」という悲劇を描きたいわけだ。
でも、実際にそんなケースはあまり知らない。二ツ目の弟子があちらこちらに引き取られていったなんていうのは。
六代目円楽師が亡くなったときに二ツ目が4人いた(楽天、落八、楽㐂、楽花山)。
楽㐂だけ辞めたが、あとは小円楽師にまとめて引き取られた。だいたいそういうものだ。
前座だった楽太(現・萬次郎)だけ萬橘門下になったが、なぜかは知らない。ただ、本人の希望はあったのだろう。

「お前は新たにここの弟子(指定)」なんてのは聞いたことがない。
新たな師弟関係を結ぼうというのに、弟子の側の意見が聞き入れられないなんてあり得ない。選んでもいない師匠から破門されたりしたら意味不明。
ただし、好きなところに行けるというわけでもない。不可能とまでは言えないにせよ。
真打昇進目前で師匠に亡くなられた古今亭駒次さん(現・駒治)は、所属が宙ぶらりんな時期において落語会のトークコーナーで、「まるっきり違う一門に行くというのはない」と語っていた。
仮に新作つながりで柳家小ゑん師匠のところに移籍したいと思っても、なんだそれはと言われると。
だからあかねが師匠の兄弟子、一生預かりになってもおかしくはないのだが、本人が嫌がっていたらまず実現しないだろう。

最後に、マンガは時代を遡る。
1964年の東京・新宿。
おいおい。古すぎるだろ。61年前ですからね。
この頃20歳前後だとしたら、現在は81歳だ。
ところで一生・志ぐまの兄弟弟子がそんな歳だとして、だいぶ無理はあると思うがまあ成り立つ。
うらら師匠が同世代ってなんだそれ。色っぽい師匠だと思ったら、年金もらって久しい婆さんだったとは。

あの時代はマンガで懐かしく語られがち。
だが、現在地がどんどん後ろに下がってきているのに、あの時代の空気だけ取り入れようというのはどうなんでしょう。
かなり白けてしまった。

破門の謎にも興味はない。無理やりこさえたものには。
15巻のトラウマが解消するまで、どこへも行けません。

作成者: でっち定吉

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