大河と朝ドラは日頃まったく観ていない。
6年前の「いだてん」もまったく観なかった。志ん生が肝だったのに。
だが「べらぼう」については、事前の番宣でもって、もうこれは見逃せないなと思った。
歴史上の英雄が出てくるドラマではない。主人公は民間人の蔦屋重三郎であって、扱う素材も文化史。
ごく冷静に考えれば、世間で流行りそうな予感は一切しない。
だが吉原から始まって、江戸の爛熟期における出版、浮世絵、それらを束ねるプロデュースのストーリーなど、私の大好物。
世間はともかく落語界に関しては、一年間べらぼうの話題で持ちきりになるだろう。
そして、観てない人にはマクラで話題を振ってもまるで伝わらない。なんのことはなくて、日ごろの私はそんな客であるが。
江戸名所のガイドもしている三遊亭遊七さんも、昨年から吉原のガイドの仕事が増えたと語っていた。他の二ツ目や講談師にもおこぼれがあるかもしれない。
具体的な仕事にまで結びつかなくても、廓噺を始める二ツ目さんは増えそうな気がする。
そういえば柳家小はぜさんも、今までやっていたか知らないが、蔵前駕籠と明烏を掛けていて驚かされた。
CGも駆使したドラマのおかげで、噺家さんも大門であるとか花魁道中であるとか、イメージがつかめていいんじゃないか。
女流も廓噺、どんどん始めそう。中には「文違い」とか、女郎の立場でやる人も出るだろう。これは内藤新宿の噺だが。
吉原という立地の重要なポイントは、「浅草の裏手」ではあるが、入口が北側にしかないところでしょう。
北側から大門をくくらないと吉原には入れない。吉原田圃にせり出した袋小路なのであり、城郭なのである。
金持ちは駕籠や船で出向く。
そういえば、吉原名物の冷やかしの描写は(直接は)なかったね。今後のお楽しみか。
べらぼうの第1回では、死んだら裸に剥かれて投げ込まれる女郎たちの悲惨な境遇が強調されていた。
吉原でも最下層の店が並ぶ、羅生門河岸のようすも。ここは「お直し」の舞台。
ただ、悲惨な描写は最初にまとめて出てしまったような気がする。免罪符のように。
悲惨な裏側はありつつも、吉原は華やかな文化の発信地なのであり、今後はそうした要素も強調されていくのだろう。
第2回はそもそも、蔦重の吉原プロデュースデビューが描かれるのだろうし。
「吉原はとにかく悲惨であった」と考えたい人もたくさんいて、その人たちの不満が今後だんだん拡大していきそう。
遊びを知らず粋がっている、無粋な若き長谷川平蔵も登場している。つまり、遊びの作法についても今後学びがあるわけだ。
そして、廓の存在を経済的側面から描ききった点も特筆すべき。
満足な食事もできない女郎の待遇を改善するため、お上の権力を発動してほしいと渡辺謙の田沼意次に訴え出る蔦屋重三郎が、そこに国益があるのか問い詰められるシーンはかなり象徴的である。
蔦重だって、廓の根幹であるべき女郎が大事にされないと吉原の発展はない、そこまでは考えているのだ。
だが、吉原の経済的発展を図ることで女郎の待遇が改善されるという捉え方もある。表裏一体のここまでは、蔦重の理解にはなかった。
そして、四宿に飯盛女が置かれているお上の目的までもが語られる。
女郎たちを食うや食わずの状態で管理する亡八どももまた、廓の経済を考えている。
女郎なんて若い内にくたばってしまえば入れ替えできて、客も店もみな喜ぶではないかと。
ここまで言い切るとはある種すがすがしい。ひどいやつだけど。
落語でおなじみ、浮世小路の料亭「百川」も名が頻出していた。
落語を聴いてるだけでは、ここが吉原と密接な関係に遭ったことまではわからない。
階段落ちまであって贅沢。
楽しみですね。