昨日は高座での失敗を面白がって取り上げた。
でもまあ、高座は生もの。よくあることでもあり。
失敗してからこそが噺家さんの本領発揮でもある。
客にしくじりがバレてるのはもう仕方ないとして、どう処理する方法があっただろう。
「1周めの男が多めに払っちゃって、なぜかその真似をしてみたい男がやってみたら儲かっちゃった」ってのはどうか。
そんなに面白くはないな。ただ、ここに演者のメタ視線があれは意外と成り立つかもしれない。
「勉強し直してまいります」と言って下がると、引退しなくちゃならないし。
やはり、しくじった演者そのものを笑ってみせないと、演者も客も救われないだろう。
喬太郎師なんて、言い間違った後でことごとく予想外のウケをかっぱいでいく。
トリの小せん師登場。
今度は茶の着物なので、後ろ幕には溶け込まない。
噺を間違えるということもありまして。自分自身でなんとか取返せばそれはそれでいいんです。
ただ問題がまだあるんです。
こういうの、なんだか知りませんが伝染するんですよ。浅い出番の人の失敗が、楽屋で顔を合わせていない師匠に現れたりすることまであるんです。
ちょっと怖いですね。
とはいうものの、小せん師の言い間違いというのは聴いたことない気がする。
小せん師はエンジン上げると非常な訥弁だが、普段はじっくり言葉を選びながら語りこんでいく人だと思う。言葉を口から離す瞬間が遅めの人は、比較的言い間違いはないように思う。
でもまあ、遭遇してないだけであるんでしょうね。あるいは、しくじったように見せないのがやたら上手いのか。
ケチの小噺。隣の金槌借りてきなさい。
この小噺がやたらとウケる。別にお客が甘いわけではなくて、実際に楽しい。
「うちのを出して使え」と言う旦那が、本当にお隣に憤ってるからなんでしょうね。
ここから始まるのは季節の噺、味噌蔵。
久々に遭遇する。
ケチの王様級の一品で、私大好きなんだけど。
「帳面をドガチャカ」は落語屈指の名フレーズだが、そんなに出てくるわけでもない。あとは二階ぞめきぐらい?
山崎屋にはドガチャカの行為は出ても、フレーズは出ないし。
やる人としてはまず瀧川鯉昇師。小せん師のイメージはない。
だが非常に楽しいものでした。
どこを切り取ってもストレートに笑えるという、小せん師の持つひとつの側面の王道であった。
ケチで名を馳せるあかにし家ケチ兵衛も、親戚中から圧力かけられ、ついに結婚を承諾させられる。
かみさんなんてものはカネを使いたがる生きもんだ、親戚付き合いがなんだと強気だが、商売からも手を引くと脅されては万事休す。
結婚したって世継ぎを儲けようなんて恐ろしい考えはない。
仮に男の子でも生まれて、米を食い尽くされやしないか考えると夜も眠れない。
小せん師の味噌蔵がやたら楽しいのは、とにかくケチ兵衛さんのケチっぷりが本気で、マジメだかららしい。
この点がマジメな小せん師にぴったりなのだ。
ケチの噺でも片棒だったら、イメージさらに湧かないところ。あれは登場人物もふざけている噺であり。
子供は作らないはずだったのに、ある夜あまりにも寒い。なに、布団もケチって綿が年々減ってるからなのだが。
2階に遠ざけておいたかみさんは、実家から絹布の布団を持ってきている。ご相伴に預かろう。
そしてついにご懐妊。なんてことだ。
一度ご帰省いただいて産んでいただきましょうと番頭の入れ知恵。
ここまでが第一幕だ。
無事赤ちゃんが生まれて、旦那がかみさんの実家に行ってくる。ここからが趣のガラッと変わる第二幕。
旦那の忠実な部下だと思っていた番頭さんが、ドガチャカに手を染める。かなりの計画的反抗。
タニシの入った味噌汁が出たと喜んだのに、自分の目が映っていたと嘆く奉公人たち。
「から屋」のクスグリはなかった。
奉公人たちもあんまりいいものは食べてはいないが、世間のうまいもんの価値と断絶してしまうほどではないらしい。ここで笑わせる誘惑には駆られない。
小せん師からすると、この噺、クレージーなのは旦那だけでいいんでしょうね。
それより、男たちを酔わせておいて、自慢の喉を披露したほうがいい。
楽しい宴会は、落語の場合だいたい中断を余儀なくされるものだ。
風が強いので心配した旦那が帰ってきてしまう。
もし旦那が帰ってきても、この鯛見せたらひっくり返りますからその隙に夢にしちゃいましょう。
なんて言ってるが、あいにく義実家で見てきたので耐性がついていた。
この一席は本当にレベルが高かった。
いずれ落語研究会に出るんじゃないだろうか。また聴きたいので楽しみにしている。