桂文鹿が落語家を引退 「高座に上がる恐怖心が常に私を覆い尽くすようになっていた」 芸歴30年(サンスポ)
年末に、実に不思議なニュース。
ご本人のブログはこちら。ブログ「東方見文鹿」(リンク切れ)
ひとつ前の26日の記事にも、さりげなく引退について言及されている。
文鹿師は一度聴きたいと思っていたので残念ではある。
先日も妹弟子のぽんぽ娘さんとらくごカフェに出ていらしたので聴きにいこうかと思ったのだ。
入念に準備をしていたのではなく、急に引退を決意して、奈良のラジオは中途降板らしい。
どこにも所属していないフリー芸人なので、ご本人が引退と言えば即引退。廃業。
残念だが、やっぱり不思議。
噺家という生きもの、そうそう引退なんてしないからだ。
人生の最晩年を迎え、高座に上がっていない人はたくさんいる。だが誰も引退宣言なんてしていない。
他にもある。
年齢に関係なく、普段なにしてるかわからない噺家も多数。
だが 辞めるチャンスは二ツ目まで。
いったん真打になっていれば、やはりめったに廃業することはない。
実質引退しているような人はいても、引退宣言する人はなかなかいない。
だから文鹿師だって、そのうちひょっこり復活しても驚きはしない。
噺家は、自分の意志でもって噺家でなくなることはそうそうないのだ。
とはいうものの、引退理由を読むと、腑に落ちることもある。
腑に落ちるといっても、「人にはそんなこともあるんだろう」であって、「この師匠ならさもありなん」というほど、深くわかりはしないけども。
<「怒り」に任せて筆を走らせた160本の新作だが、怒りの感情がワタシの身体から一気に抜け落ち、「穏やかさを得る」と引き換えに「力で捻じ伏せるような勝負勘」を失い、高座に上がる恐怖心が常に私を覆い尽くすようになっていた>
とのこと。
怒りが原動力であったというのは、落語の世界では珍しい気がする。
怒りを原動力に笑いが生まれるのだろうか? そういう人もいるのだろうとしか。
ともかく怒りが原動力であった以上、それが喪われた今、代わる原動力がないのだ。
怒りが、文枝元会長と戦わせ、そして協会脱退につながったのだろうが、もはやその先に道がないということらしい。
しかしなあ、穏やかさが得られたなら、落語の場合、それが原動力にはならないのだろうか?
桂枝雀など、ニコニコしたままで高座が終えられればという理想を述べていたのだ。まあ、当人はそんな心穏やかな境地には、憧れだけで一生たどり着かなかったのだが。
まあ、いろいろなスタイルの落語がありますから。
破天荒さがピークを越えたことを自覚しており、辞めどきなのだという。
高座に上がる恐怖心、と似たものは、スポーツ選手の引退時にたまに聞くところ。
自分は年取って味の出るタイプではない、と決めつけるのは、カッコよくはあるが、別の道もないものだろうかと。
別の道を探すことをよしとしないなら仕方ない。
ブログには「とうとう『あの脇差』を抜く日が来たんだな」と。
この脇差は、浅草で買ったものではないだろうか。林家きく麿師が語った文鹿師のエピソードに出てきたものではなかろうか。
腹を切る覚悟で高座に上がっているのだと。
1969年生まれ。
芸歴はともかく、年齢で見ると、こんな人たちが同い年。
- 桂かい枝(同期でもある)
- 桂三度
- 三遊亭愛楽
- 林家彦いち
- 隅田川馬石
他にもいますが。
1970年の早生まれまで含めると、三遊亭兼好、柳亭左龍なども。
しかし噺家というものが本来的にそうなのだが、年取ってよくなりそうな人ばかりだけどな。
年取ってもよくならない、と判断するのは潔くはあるけども、実際に年取ってみたいとわからない気がするのは私だけか。