源平盛衰記の本筋は、義仲討伐から源平合戦、逆落しから扇の的へ。
時間がさらにあればまだまだ続けられるのだろうが、でもこんなに長いものを聴いたことはない。
義仲軍は、京都に上る際、渚ゆう子の「京都の恋」を熱唱。
そういえばもうひとつ文治師得意の地噺、お血脈では「京都慕情」を石川五右衛門に熱唱させている。
延々歌い続けて、「誰か止めてよ」。大分出身の噺家は歌が長いの。
脱線のギャグのほうが本筋である。
亡くなった米丸師は、生まれついて坊ちゃんでした。実家がなにせこれで。
当時東に須川組ありと知られた須川組の若旦那でした。
今輔師匠に入門しても、お付きのばあやが掃除していたぐらいなので、前座修業は一切しなかったんです。
お金の力で戦争行かなくて済んだんですよ。
コロナがなければまだ寄席に出てたのが残念でしたね。末広亭まで近いので、92ぐらいまで歩いて通ってました。
歌丸師匠より長生きでした。小遊三師匠も、遊三師匠のほうが元気ですね。
小遊三師匠、笑点休んでましたけど不整脈の手術だそうです。
柳昇師匠は、うちの師匠とは喧嘩ばっかりしてましたけども意外と仲良しで。
戦争の話になると、今度やったら負けないっていつも言ってました。
三笠宮殿下がよく寄席にお越しで、そのあとよく噺家を誘ってくださいます。
柳昇は殿下にも、今度戦争があったら私は志願しますと話してました。殿下が聞こえないフリしてました。
弟子をやたら獲っちゃうんです。(モノマネで)「ああいいよ、明日から寄席に起こしなさい」。
あんまり簡単に獲るので訊いてみたんです。「きみ、兵隊は数多いほうがいいだろ」。
金馬師匠と一緒に、国立演芸場を作った偉い人です。現在の状況、嘆いていらっしゃるんじゃないでしょうか。
三代目猫八師匠を引いて、私もウグイスできるんですよと文治師。
私は指笛でなくて、歯で吹くの。ホップスキッパジャンプ。
ドレミファソラシドから、うぐいすまで歯で吹いてみせる。
扇の的はしっかりと講談にして。「神田伯山ふうにやってみました」。
ここでちょうど私の時間になりましたということで、30分の長講。
演者も実に楽しそうな一席。
仲入り休憩のあとは、最近落語協会の寄席で大人気のダーク広和先生。
小型の机サイズの奇術箱を持って、和装で登場。どうも、手品師です。
高座の座布団は早々のけてしまい、お客に向かって、すみません。そちらに出ていいですか。
お客とヒザ突き詰めて、世間話しながらカードマジックをする。
なんじゃこりゃ。寄席の芸じゃないけど、やたらと楽しいぞ。
私こういう小さいマジックが大好きで。でも寄席ではできませんから。
黒門亭ではたまにやってます。私としては貴重な機会なんです。
文治師匠と菊之丞師匠とずっと話し込んでて、時間になったので慌てて上がってきたような次第です。
最後の方、時間大丈夫ですかねって言ってた。時計も見てないんだって。でも菊之丞師匠がなんとかしてくれるでしょう。ヒザがトリを頼りにしてたらダメですけど。
正月の寄席というのは、やっぱり緊張するんでしょうね。だからバカ話してるんですよ。ほら、下から大声聞こえるでしょ。
客の本当に目の前で、テーブルマジック。
トランプかと思ったら、「ミ」「ル」「ク」3文字が1枚ずつ書かれたカード。
ミルクをクルミに並べ替えると、カードから本物のクルミが落っこちてくる。
文治師匠もそういえば、クルミ2個握ってましたねとのこと。
赤いボンボンを左手に握りこむと、消えてしまう。
右手からボンボンが二つ出てくる。
この基本的なマジックだが、客の手から2個出して見せて、これはさすがにちょっとビックリした。
トランプ人揃いからクイーンを4枚出して、悪の道に落ちたスペードとクラブから、正義の女王であるハートとダイヤを守るというストーリー付きのテーブルマジックも。
広和先生も、昔の芸人の話を多数。
ダーク大和師匠に弟子入りし、日本奇術協会に挨拶に行ったら、当時の会長が脱出王・初代引田天功だった。
引田天功が会長をやった記録はないのだが、でもいろいろ事情があったみたい。
そして、アダチ龍光の使っていたカード入れを客に見せる。
自分でも作りたくなって、作ってみた。カードがぴょこんと飛び出てくる、ちょっとした仕掛け付き。
元日に寄席の代演に行き、最近協会に入った如月琉さんと話をした。
子供の頃初めて見たマジックが、実演販売でやっていた広和先生のものだったのだという。
ついに私も、そんな歳になってしまいましたと。
私も若い頃、ロンパールームに出て、若いお兄さんやってたんですよ。今では寄席の世界にどっぷりハマってしまいましたけど。
実に新鮮な体験でした。
続きます。