寄席芸人伝3「女学生殺しの朝次」

今日も「寄席芸人伝」のエピソードを紹介します。第2巻から。

<第21話 女学生殺しの朝次>
飛ぶ鳥を落とす勢いの、若手の二ツ目古今亭朝次。「崇徳院」「宮戸川」などがウケていて、今日も寄席は女学生で溢れんばかり。
売れっ子になって傲慢な朝次、楽屋に女学生たちが押し掛け、先輩たちが怒り心頭でもどこ吹く風。
師匠の朝馬が一計を案じ、朝次にしばらく「なめる」だけを演ることを命じる。女学生が喜びそうなお品書きではなく、誰もが嫌がる食い物を料理できて一人前だという師匠。
間抜けな男に女陰のデキモノをなめさせるバレ噺は、女学生には不評極まりない。
朝次は、デキモノの場所を女陰から乳房に移す工夫をこらし、クスグリも加えてうまく料理する。
楽屋に女学生はこなくなったが、そのかわり年増がやってくる。見事「年増殺し」になった朝次、ますます芸に磨きがかかるという一席。

「古今亭朝次」というのは、桂才賀師匠の二ツ目時代の名前だ。入門時の師匠、九代目桂文治が亡くなって、古今亭志ん朝門下に移るときに、師匠から一字もらって自分で付けた名前だそうだから、マンガは関係ないと思う。
ちなみに、志ん朝は「朝次」という名前を「すばしこい巾着切りみたいでいいね」と言ってたとか。
話を戻す。現代、「なめる」のデキモノは乳房になっている。その昔、江戸時代はオッパイに価値がなかったから、陰部でないといけなかったのではなかろうか。
現代の「なめる」は、バレ噺というイメージではない。江戸っ子の調子のよさが楽しく、もっと聴きたい噺だ。これを作り上げたのが、マンガの朝次だという設定になっている。
それにしても、計略に引っかかってデキモノの毒をなめさせられた若者、この後どうなるんでしょうね。

傲慢な朝次が、師匠の命令を聴く気になったのには理由がある。里う馬というみすぼらしい噺家が、かつては若い女を大いに沸かせたことを師匠から聴き、本人に教えを乞うたのである。
「芸が受けたのではなく、若さが受けていただけだということに気づかなかった」と述懐する里う馬。「崇徳院」「宮戸川」など、朝次と同様の噺をよく掛けていたものの、若さが消えてみると、芸は残っていなかったのだと。

「寄席芸人伝」には、同じテーマのリフレインがちょくちょくあるのだが、第5巻<第62話 老木の花 林家金蔵>でも、若さと噺の選択が扱われている。
四十代の噺家が「宮戸川」を掛けるが、いやらしい感じがして客のウケはよくない。老境の噺家金蔵が、世阿弥の「花伝書」を引用してたしなめるというストーリー。
なんともインテリジェンスに溢れているではないですか。

作成者: でっち定吉

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