それにしても人間国宝・柳家小三治の批判は私もずいぶん書いたものだ。
今でも多数検索に掛かる。
いったいどこからあれだけのエネルギーが湧いて出たのだろう。
もう燃料は切れた。
春風亭かけ橋さんは、前座をやり直して超のつく売れっ子になった。
ちょっと上手い二ツ目「柳家小かじ」のままでは、恐らく到達し得なかったポジションにまで行った。
大師匠小三治に破門されたということになっているが、結果的には破門のおかげで大きくなったわけだ。
結果よしだなんて口が裂けても言わないが、でも過酷な経験で大きくなった噺家がいるのはひとつ事実。
最近は小三治の孫弟子を応援している。
小はぜさんも小はださんもひたすら上手いからだ。
こみち師も落語界に多大な貢献をしている。
直弟子の三三師も、最近ずいぶん聴くようになった。
なのでこのタイミングで小三治ネタを出すのは、私の都合ではない。
夕刊フジが今月末で休刊するからだ。オレンジ色のニクイ奴。
WEBメディアのZAKZAKも更新をやめる。既存記事も、いずれ必ず消滅するはず。
現在世間ではフジサンケイグループ自体大ピンチだが、そのことは特に関係ない。
芸は人なり…人間国宝・柳家小三治の評判 「誰も尊敬していません」の厳しい声
もう10年前の記事。
当時記事を目にして、非常に衝撃を受けた覚えがある。
スキャンダルもない噺家が叩かれた。そんなことがかつてあったろうか。
しかも人間国宝が決まったばかりで。
落語界、歓迎一色になるべきところだ。
最近の五街道雲助師受賞の際の全面的なフィーバーとは、だいぶようすが異なる。
記事自体はさして内容あるものではないのだが、噺家が叩かれるのは紛れもなく衝撃だった。
たとえば破門しまくることへの批判などというならまだ理解しやすいが、「尊敬されてない」などずいぶんと漠然とした低評価が並ぶ。
ただそれだけ、小三治会長への身内評価が当時低いものだったということだろう。
これだけの記事が出たら怒りを表明しそうな仲間もいそうだが、近い人にとっても別段意外な記事ではなかったようで。
私はこの記事テキストで保存しておくが、リンク先が消えたときのため要約しておく。
- 「芸は人なり」は嘘。芸と人は別
- 言っていることと、やっていることがあれだけ違う人は珍しい
- NHK新人演芸コンクールを獲ったのに抜擢してもらえなかった二ツ目がいる
- 会長なのに披露目に出ようとしない
- 人間として尊敬できない
- 下馬評では人間国宝は歌丸だったのに
「NHK新人演芸コンクール」じゃなくて当時の名称はNHK新人演芸大賞落語部門だが、これを獲ったのは鈴々舎馬るこ師。
「優勝して抜擢」という物差しが明確にあったかどうかはわからないが、一之輔、文菊という小三治抜擢に掛かった二人は優勝していた。それは事実。
馬るこ師の師匠が会長のままだったら、どうなっていただろう。
夕刊フジ、本当はもっとネタを持っていたに違いないと思っている。
「披露目に出ようとしない」批判は、ややとってつけたように映る。「披露目に出るのが会長の仕事じゃない」と反論できないこともない。
ともあれ市馬会長はよく披露目に出てたわけで、その点は事実上の反省があるのだろう。会長退任後の馬風師もなお。
ZAKZAK記事の最大の欠点は、小三治が身内に嫌われてるのが事実だとして、その出発点がよくわからないことである。
ただ、具体的に書けなかったのだろうと想像すると、なんだか腑に落ちる。
中身はともかく、振り返ってもやはり強烈な記事ではあった。
この記事の存在なくして、私は小三治批判を書いただろうか。
結局書いてる気もするが。
ただ、「言っていることと、やっていることが違う」はしばしば既成事実として取り上げてたように思う。
振り返るとこの記事の影響が強かったようだ。
小三治が「落語はこういうものだ」を発見したところまではわかる。
だが、あまり語るものじゃないのだろう。
実際には、あれも落語、これも落語なのだ。落語はこうあるべきなんて窮屈なだけである。
多様性に逆らう理念だ。
小三治逝去後4年になるが、現在あんな落語をする人など知らない。弟子にも孫弟子にも。
わずかに、春風亭朝枝さんに「高座での客の制圧」を感じるぐらいだ。
弟子を半分クビにしたのはやはりいただけなかった。そう思う。
破門にした中に優秀な人がいたのは間違いない。
自ら一門の発展を阻害してしまった。
柳家も結局、破門なんてしないさん喬、市馬の枝がメインで発展しているのだった。
コメント来ましたが、でっち定吉に対するただの悪口なので削除しました。
ご本人も承認されるとは思わないでしょうが。