米團治喬太郎よこはま落語会2 その3(柳家喬太郎「ハンバーグができるまで」)

喬太郎師のマクラはいつも楽しいが、今回はさらに「この客ならいけそうだ」を、早い段階でつかんでいたのではないだろうか。
師はもともと、横浜の会は多い。この会も2年目だし、初心者は少なそうだなと見たものか。
そして、昔やってた東急桜木町の廃止への怒りなど、まだまだ共感が得られる。
といっても、師自身「直通のおかげで池袋から来てるんで、助かってるんですけど」と述べてるように、本気ではない。
よその人の期待する横浜でなく、地元のための横浜でいいんじゃないかというくだりなど、深くうなずいた地元民も多かったのでは。

楽しいマクラの最後に、寄席四場を振って、寄席の近くに芸人は住みますという話。
そこから少々強引に昔ながらの商店街へ。
小さなスーパーにふらっと行くと、つい袋の焼きそば5袋とか余計なもの買ってしまう。
テンション高い肉屋に、バツイチでもって在宅ワークのまもるがやってくる。

なんと。ハンバーグができるまで。
浅草お茶の間寄席と日本の話芸で繰り返し聴いた演目だが、現場では初めて。実に嬉しい。
ある一時期、当ブログもこの演目の検索トップに躍り出たことがある。
商店街の肉屋、八百屋、スーパーはみな店主が個性的。
これらの人物からたっぷりギャグが放たれる。変えてない古いギャグはすべて知ってる。にもかかわらずたまらなく楽しい。
ドタバタ新作から、古典落語の味わいまでも漂ってくる。

最近、すみれ荘201号を聴き、夜の慣用句を聴き、そしてハンバーグ。
まだまだ最新作(もちろん質の高い)も作り続けている喬太郎師だが、古い作品に思うところがあるのでしょうか。
そのうち諜報員メアリーも聴けそうな気がする。

新しいギャグでは、こんなのがあった。肉屋の亭主とかみさんの会話で、讀賣新聞までは既存。

「あいつはな、料理しない。総菜しか買わないんだよ。そのあいつが食材買ってったんだぞ。しょくざいたって謝ることじゃねえぞ」
「ああ、なんか難しい字だろ」
「讀賣新聞、みたいな字な(贖罪)。それにしても、あの字はほかにどこで使うんだろな。そういうのあるよな。埼玉の埼とか」

八百屋に行くと、「ムッシュまもる」とか呼びかける変な店主。
玉ねぎとブロッコリー、そしてある種決意してニンジンを買うまもる。
店主は包装紙(古新聞)を選ばせ、こっそりリボンまでかけてくれる。

スーパーイズミにデミグラスソースなど買いに行くと、これまたテンション高いおかみさん。
従業員におかみさん、って呼ばれるのが嫌で「オーナーって呼びなさい!」。
舞台化されたハンバーグができるまででは、喬太郎師が演じたという。観たかったね。
店主3人はみな、この配役楽しかったろうなと思う。

3人の店主はいずれも、勝手にまもるが死ぬことにしたのではないかと考える。
あいびき肉を天日に干したりなんやかやすると、硫化水素が出るのではないか。
ニンジンの先端を尖らせて喉を突くのではないか。
なによりデミグラスソースには、「デス」が隠されている。

笑いに溢れる芝居から、徐々に人情も溢れてくる。
高齢の店主たちにとって、まもるは小さいころから知ってる子だ。
そのまもるのかみさんが出ていって、ひとりさみしそうな生活を続けている。当然気になるのだ。
「死ぬんじゃねえか」はもちろんギャグにしても、ハンバーグなのかメンチカツなのか、料理の材料を買いに来たまもるにただごとでないものを感じているのは本当だ。

買い物が済んで、ようやく視点はまもるに切り替わる。「ただいま」。
この時点で、すでに落語、というか芝居の客は、まもるの属性をすべて知っている。
そしてもちろん、家には別れたかみさんがいる。
突然やってきて、ハンバーグ作るから材料買ってきてと言うかみさん。

記憶にあるものと異なっている。元奥さんのサトミが「アポもなくいきなりやってきた」ことが強調されていた。
「別れた亭主の元をアポなしで訪ねるのは変」という意見でもあったのか。
すでにぶっ飛んだ店主たちで進んでいる噺のため、ここに違和感持ったことはなかったけども。
ともかくまもるは居職だから常に在宅だし、そしてサトミはきちんと顔を見て話したかったのだ。

やはり肉屋、八百屋、スーパーの順に、おせっかいな店主たちが理由をつけてまもるを偵察にやってくる。
この人たち、最後にもう1回出番がある。

面白いこと担当はこの人たちで、まもるはマジな世界の住人。
でも「ニンジンのグラッチェ」というとっておきのギャグがある。
笑いが大きすぎて、「ケーシー高峰」というツッコミが隠れてしまったが問題なし。
どうして大嫌いだって知ってるのにニンジンのグラッセ作るんだよと不満げなまもる。

これ以上ネタバレするのも気が引けるのだが、ひとつ考えた。
最後サトミが帰っていく際、一言だけまもるから「来てくれてありがとう」というセリフをぶっきらぼうに言わせたらどうだろうかなと。
こっちのほうがいい、なんて言うつもりはない。
ただ個人的に、こんなのもあっていいかなと思ったのです。
ともかく笑いに溢れた世界を、しみじみした情感が全部ねじ伏せてしまう。喜劇の王道。

続きます。

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