銀治さんの高座も1年ぶりだったことに気づいた。前回神田連雀亭で聴いたのはやはり芸協新作の「女大学」だった。
宝が見える人にとっては、宝の山である。
続いて柳亭市寿さん。
2018年の鈴本で、前座として聴いたのが最後らしい。しかも、感想を書いていない。
特徴のない前座落語だったのだろう。
「神田連雀亭に出ていない」と昨日書いたが、辞めた人である。出ていた際に遭遇していないのは私の勝手。
一度、休演だった日はあるが。
というわけで、どんな噺をするのかまるで知らない。本格派ではあると思う。
「いばらく」で立川志のぽんさんと活動してるイメージがある。
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マクラは短め。
「情けは人のためならず」から、いきなり佃島の終い船の場面から始まる。
すなわち、戸隠さまの梨のエピソードはない。この時点で、サゲは変えるのだなと。
出どころは権太楼師だろうか? でも独自の味に溢れてるなと思った。
佃祭は、序盤に笑いどころがない。いつかの恩返しと、大惨事だから当たり前。
これを堂々語って堂々乗り切る。だからといって、人情を必要以上に強調したりもしない。
これだけでも、ただものではない気がする。この時点ではまだ、ちょっとだけだが。
助けた娘の家で酒をごちそうになる。
遠慮してから「じゃ、いただきます」でごく自然に客が沸く。
序盤のごく少ないウケどころとして、かつて助けた娘の亭主が「旦那さえ無事だったら船の全員死んだって構わねえ」みたいな不謹慎部分。
こういうのは嫌いらしくて、入れない。だからますます笑いは少ないのに、全然大丈夫。
市寿さんは、おはなしが語れるのだ。
上手い人だなと。
それも、万人にわかりやすい上手さ。
ただ、これだけで終わるようだと、いささか薄口だなとも思う。そんな予想は軽く外れた。
市寿さんは、常に引き算している。
次の、佃祭という噺を成り立たせるための大事な肝を強調しない。
- 事故の直後は船を出せない
- いくらなんでも、葬式の準備が早すぎる
- 助けた娘の亭主、わざわざ店前まで付いてきていながら引き返す
想像だが、演者が噺を信用できないと、演者の納得のために噺がくどくなる。
市寿さんは、ベテラン師匠以上に噺を信用している。
亭主も、「来客」だけを聞いて、再び現場に駆け付けた。
前半ぐっと我慢(でもないのだけど)し無難に乗り切って、後半からいよいよ笑いも増える。
笑いが増えるにあたって、ムードの断絶はない。
- 治郎兵衛さん死んじゃったんだって
- そういえば影が薄かった
- 昨日誘われたけども、仕事があるんで断ってよかった
- 悔やみで借金チャラの喜び
- 悔やみであろうことかかみさんのノロケ
- 与太郎は悔やみで泣くが、人情ではなく笑いとして(一番うめえ)軽く処理される
- 死骸を探す目印は、治郎兵衛さんの彫り物(たま、命)
- 主人が帰ってきて、一同大絶叫(繰り返しのギャグ)
- 「あなた帰ってきちゃいけない」と、治郎兵衛さん、空の棺桶に押し込められて、釘まで打たれる
治郎兵衛さんが親切に、事業資金を貸してくれた。それを、亡くなったからチャラですかねというくだりはあまり聞かない。
棺桶に閉じ込めるドタバタは、オリジナルでしょう。
もっとも江戸時代だと早桶だと思うので、現代ふうの棺桶ではない気もするが。
でもやたらと面白かったのだ。一同が、化けて出てきたと本気で思ってるからだ。
同時に刈り込みも見られる。坊主が読経してるなんてのはない。異変は忌中札だけ。
かみさんの悋気はかけらもないし、かみさんの悋気を煽るやつもいない。
かみさんが悋気やみすぎてこの噺ができない人もいるようだ。なら、作り変えればいい。
少なくとも市寿さんは、この噺の芯を見抜いた。
棺桶のくだりも、ちょっといい噺である佃祭の全体像を壊すような悪さではない。
ちょっとしたコメディ。
そして新たなサゲへ。
実に効果的な、いいサゲだった。三途の川と渡しを掛けたもの。
今後のスタンダードになるかもしれないなと思ったぐらい。
まあ、わざわざ戸隠さまを仕込んでから振る与太郎と梨のくだりも、なくならないとは思いますがね。
というわけで、柳亭市寿、ただものではない。
兄弟子の小燕枝師みたいな抜けた明るさがあれば、すぐ売れる。
まあ、これが一番難しそうな気はするけど。
梶原電停から都電に乗って、庚申塚へ。
今度はスタジオフォー、巣ごもり寄席である。
ちなみに都営の一日券を買ったので、この日は梶原へ、浅草から向かってみた。
池袋行きの草63系統である。ちなみにこの系統で、梶原から新庚申塚への移動も可能だが、バスはちょうどいいのがなかった。
都電はいつも混んでますね。
スタジオフォーに続きます。