世界はクスグリで溢れてる。
3年ぶりの第3弾です。
子ほめ
「ジャワスマトラは南方だ」
八っつぁんは隠居から教わった「蛇は寸にしてその気を表す」がうろ覚えなので創作交じりで子供を褒める。
ジャワスマトラなんて時代じゃないけども、でもなんだか面白いから今でも入ってる。
ちなみに元のことわざのほうがずっとピンと来なくて、改めて調べ直した。
いっぽう、子ほめで納得いかないクスグリもある。
「時に竹さん、この子はあなたのお子さんですか」
これに竹さんがどう返すかは、演者の工夫のしどころである。
ただ、このセリフは隠居に教わったままで、八っつぁん別に間違えてない。
八っつぁんがシチュエーションを間違えてるという理解だろうけど、でもよく考えたらそうでもない。かしこまるから変に感じているだけで。
実はこれ、クスグリとして成り立ってない気がするのだが。
大工調べ
「カネだけ持ってって道具箱は取り上げババアか」
「ババアじゃないよ、ジジイだよ」
棟梁は面白いこと言おうとしてるわけじゃなくて、江戸っ子のごく日常的な言い回しをしてるだけ。
空気の読めない与太郎が律儀に訂正してくれる。
千早ふる
「川の名前でしょうね」
「それが畜生のあさましさ」
以前から、このクスグリがわからない。
「弥次郎」の同じクスグリは、イノシシのキンを潰して退治したのに、腹から子供が出てきたことを指摘されてのもの。
これは非常に理にかなっている。
千早ふるの八っつぁんに使うのは、いささかひどすぎやしませんか。
さすがに八っつぁん、「ひでえや。自分で言わせたんじゃねえすか」。
掛取り
年末の掛取り関係の噺に頻出のクスグリ。「鮑のし」にも入ってる。
「米も切れてる。味噌も醬油も切れてる」
「なんか切れないもんはねえのか」
「包丁が切れないよ!」
「そんなもんは切れたほうがいいんだよ」
これは私の好きなタイプ。
逆に、かみさんのセリフで最も嫌いなタイプは、これ。
「台所へ行ってごらん。菜っ切り包丁が切れないよ」
クスグリは畳みかけてこそだと思う。台所と菜っ切り包丁と、ムダが二つも入ってる。
鈴ヶ森
鈴ヶ森と、あと花色木綿(出来心)共通の冒頭で、新米泥棒が親分に詫びている。
「これからは真心に立ち返って悪事に励みます」
これに泥棒の親分が、「お前の言うことはちょいちょいおかしいな」と返すと、ごく普通のやりとり。
最近こうでないパターンをよく聴く。
親分のほうが「真心に立ち返って悪事に励め」と諭すもの。
ボケっぱなしなのが現代風で、とても心地いい。
二ツ目さんが始めたものと想像する。
鈴ヶ森でもうひとつ。
「親分、風呂敷がねえ」
「風呂敷なんか、向こうの出して使え」
「返すのが面倒だ」
「そんなもん、返さなくていいんだ」
「そりゃ親分、タチがよくねえ」
これが楽しいのは、最後の「タチがよくねえ」が、新米泥棒のツッコミであり、同時にボケでもあるからのようだ。
ちなみに鈴ヶ森、今から追剥ぎをしにいくのに、「しゅうと」(おにぎり)を持っていくのがわからない。
かつて、コソ泥のくだりが付いていたのだろうか? そんなの一度も聴いたことがない。
あと、ケツにタケノコを刺す噺になってしまっているのが少々。楽しいのは確かだけど。
今だったら、ここ抜いてみたほうが斬新な気がする。抜くと言っても、ケツの穴からタケノコを抜くという意味ではない。
質屋蔵
菅原道真公の化け物が出てきたのを見て、熊さんに番頭さん、二人とも腰が抜けて「抜けましておめでとう」。
これ、かなり好き。
そんな楽しいこと言ってる場合じゃなさそうだが。だからこそ。
出来心
「あっしには80を頭に4人の子供と、八つになる母親が」
うろたえた泥棒の言い訳。年齢はいろいろだが、元のセリフは「八つを頭に」が多いと思う。
もっと捻って、「四つを頭に8人の子供」でも、なんでもいい。
新作にも入っていた。古今亭駒治師の「車内販売の女」で、「8歳をカシラに15人の子供」。
うろたえて間違えてるのではなく、客の内心ツッコミを待つボケの機能を果たしている。
明烏/夢の酒
自分でも、なんで好きじゃないのかよくわからないクスグリがある。
「お前が笑って若旦那が泣いて俺が怒ってちゃ話まとまんねえだろ」
これは明烏だが、夢の酒だと若旦那が「お花」(嫁)になる。
あと、やかんなめに入れる人もいますね。
とにかく好きじゃない。好きな演者のものだとしても好きじゃない。
なので、入ってないと妙に嬉しかったりなんかして。
もともとは自然なクスグリだったのだろうが、今は予定調和のセリフになっているのが嫌いな理由だと思う。