ヒザは太神楽で翁家勝丸・丸果。
メクリには、「勝丸」が大きく、丸果は添え物的に書いてある。まだ見習い身分だということであろう。
背が高く美人の丸果さん、3月までは前座をしていた。養成所出身で同じ境遇の日和さんとコンビ組むのかなと思ってたら、それぞれ師匠とのユニットだ。
出てきて最初に師匠が、丸果さんがまだプロになって3か月であることを話してしまう。
プロの技を今から見せるのに、そんなやり方あり?
あるのだ。
芸がまだこなれていないのはもう仕方ない。バチを落としたりもしていた。
だが一言断ることにより、客が一生懸命やる丸果さんをほほえましく見守る構図が最速でできるのだった。
そして、師匠は口ばっかり出してサボり続け、弟子にすべての芸を任せる。
面白いじゃないか。「私、頭脳労働専門」を思い出す。
五階茶碗の正式名称も、三たび弟子に言わせる。
そして、弟子を持つということは、芸人にとって実に大きなことなんだなと。
勝丸師匠自身が、芸人として一皮も二皮も剥けて映る。本当だ。
弟子は五階茶碗を片付ける際、師匠のほうを向けて返さないという手で地味に逆襲する。
徐々に自分の前に向かって返していくので、師匠は手を伸ばさないと回収できない。最後は弟子の腕ごとぐいと回して受け取る。
最後の傘の回し分けでようやく弟子は、「師匠、今日まだひとつもやってないですよ」と抗議。
仕方ない。最も難しい茶碗で師匠は挑むのだが、いつまでたっても茶碗が立ち上がらない。
もちろん最後の最後には、師匠も見事な芸。
「弟子を持ったら、一緒に舞台に出てこんなことをしよう」と、ずっと考えていたのでしょう。
そして、その考え通りの、見事なウケ。もちろん、トリの師匠に迷惑の掛かるようなウケ方ではない。
芸人の生きざまとして、なんだかグッと来てしまった。大げさかな。
もっとも今後弟子が成長するにつれて、今はまるで感じないパワハラ臭が出てこないとも限らない。
そこは柔軟に変えていっていただきたいなと。
まあ、「師匠がボケる」という最低限のお約束があればきっと大丈夫では。
トリは柳亭市馬師。
このトリフォニーホールは初めてだそうで、ちゃんと名前を憶えていない師匠。
5日間やってますのでぜひまたお越しくださいと。
私もちょっと行きたい気もしている。
最初から芝居の話を振るので、まあ、七段目かなと。四段目もあるか。
なぜか、中村仲蔵や淀五郎が出る気はまるでしなかった。そういう感じの、気の張った空気ではなかったということだろう。
休館した国立劇場はわりと安かったが、歌舞伎座は高い。2万円したりする。
そのお金があれば寄席に何回来れますか?
芝居しか行かない人と、落語しか行かない人、家庭が円満なのは落語のほうですよ。
芝居に行くといい男しかいない。隼人とか右近とか松也とか。
いい男を見てうち帰ると亭主がいる。そりゃ家庭も不和になります。
落語家の顔見てうちに帰ると、亭主がよく見えます。
勝丸やさん遊師がおしろい塗っても締まりません。
芝居キチガイの若旦那を振って、七段目。
若旦那、六方踏んで帰ってきたりはしない。
大旦那の小言に、ありとあらゆる芝居のセリフで返す若旦那。これはオタクの噺なのだ。
最近も聴いた、桂米團治師の七段目と中身が近い。
階段上がる際の、八百屋お七の人形振りも入っている。若旦那、いちいち階段を滑り落ちては来ないけども。
二階に上がると、ここで始めるのは芝居ではない。
芝居の襲名披露から連想が飛んで、落語の披露目を再現する若旦那。
披露目だか大喜利だかわからない披露目の口上。
下手に座った先代正蔵が、何言ってるのかわからない震える声で司会をする。
誰か特定の噺家の口上を述べてるようなのだが、聞き取れない。
遊びはここまでで、あとは楽しい二人芝居。
ハメモノも入って賑やか。
といっても、さらに芝居に深入りするふざけた噺ではあるが。
若旦那は、遊びじゃ気合が入らないので腰に真剣を指す。芝居が乗ってくると、興奮のあまりついこれを抜くのではなくて、ちゃんとしっかり縛った紐を丁寧にほどいてから抜いているのが楽しい。
袖(客席からは見えない)に誰か弟子が出てきて、ツケをバタバタ打っていた。
市馬師のおかげで芝居が観たくなってきた。
8月の歌舞伎座は、第1部が牡丹灯籠で、第2部がらくだ。どちらも落語関係。
どちらか観たい。もちろん幕見である。
らくだは火事で亡くなった、片岡亀蔵(春風亭一朝師の義弟でもある)追悼だそうで。