可楽杯は高良木ひかるの「芝浜」。
どうでもいいが、これはどこまで行っても学生大会。
あかねの兄弟子こぐまのひとりごとにあるような「あの真打昇進試験と同じ空気」なんてことは、プロは口が裂けても言わないだろう。
空気が同じになるなんてあり得ない。
まあ、それ言っちゃうと物語の全否定になっちゃいかねないけども。
よく考えてみると、物語が始まってすぐ学生大会なのは、ジャンプお得意の「対決。そしてその後生まれる友情」以外に理由はない気がする。
芝浜って、落語普段聴いてない人のほうが期待しそうな演目である。
死神もそうかもしれない。
どうでもいいが、かなりはしょっても20分ぐらい必要だと思う。大会で出せるかどうか?
芝浜には、声優であるひかるが芝居の技法を持ち込んだという。
落語ってそんなものだろうと思ってる人も多いのではないだろうか。下手すると、日頃聴いていてもだ。
そういう人は、芝居っ気が薄い高座を「ヘタ」とか気軽に言っちゃう。
でもそういうもんじゃないの。
芝居の技法を使った落語もあるし、芝居でも、コントっぽい高座もある。そして、芝居と切り離された語り口の落語もある。
ちなみに私は落語ファンの中で最も、「棒読み」落語を高く評価している人間だと思う。
「棒読みでヘタ」なんてネット上には溢れてますがね。あかね噺にも、棒読みの上手い噺家を出して欲しいものだ。
あかねは熱くやらずに、静かにあっさり寿限無を進める。
それをよしとする。
こういうエッセンスを、たまに劇中にポンと出してくるマンガのセンス、侮れないと思うことがある。
いつも書いてるのだが、落語の高座からなにを引き出すかというセンスは、落語聴いた年数とはまったく比例しません。
初心者でも、独自のなにかしらを見つけていいのである。
だから「真打昇進が目標なんておかしい」という根本的な不満はありつつ、なかなかマンガから脱落しなかったのはそういう部分。
大会というよりは寄席だよと。
NHK新人落語大賞みたいな大会でも、気の利いた人は順番によってこんなことは考えますね。
たとえ時間を少々浪費しても、相手から気に入ってもらえば逆転の目がある。
噺家のカメオ出演は、今回は柳家吉緑師と、林家なな子師。
わからなかったけど。
今回はもう終わってしまったので、あかね小噺から。
扇子の使い方を、阿良川魁生が数え上げる。
- 箸
- キセル
- 刀
- 筆
- 盃
- 釣竿
- ほうき
- 傘
- 竿
- 手紙
- 担ぎ棒
- お銚子
- 槍
- しゃもじ
- そろばん
頻出の使い方が出てきた。
キセルは長短を始め、頻出。
刀の見立ては、立てて目線で扇子のぐっと上まで見据えれば完成。
ほうき、傘はあんまり観ない気がするが。金明竹でも使わない気がする。
手紙は、広げて使う。これが書物だと、手ぬぐいのほうがいい。
お銚子やしゃもじは半分広げて使う。
そろばんはやはり半分広げて、横にして使う。
盃は「試し酒」。全部広げ、端っこから酒を飲む。扇の要から飲んでしまうと間違いだそうで。
釣り竿は「野ざらし」。
出てないのでは、船の櫓。竿も見立てるが、川の中央に出てからの櫓で使う。船徳や夢金。
あと、かなづち。粗忽の釘など。
それから顔を隠すのが「百年目」「親子茶屋」。
「軽業」では指と扇子を組み合わせ、アクロバットの遠景を見せる。
「義眼」という噺では、医者が患者のケツの穴を覗くのに、半分広げた扇子を使っていた。
これ以外なにがあるかというと、新作落語でよく使うのであった。
三遊亭円丈は「はるかなるたぬきうどん」で、モンブランの岩場を登る際のピッケルに見立てた。
なお、古典落語では扇子は一本までだが、円丈は2本使っていた。
最近聴いた喬太郎師の「ハンバーグができるまで」では、やはり2本出してきて、ハンバーグを食べるシーンで使う。
最初、扇子をナイフに、手ぬぐいをフォークにして食べているが、「手ぬぐいじゃ食べにくそうね」というツッコミが入り、もう1本扇子を出してくる。
最も多く扇子を使ったのを見たのは、三遊亭ぐんまさんの「土底の英雄」。
モグラの爪を表すのに、計6本使うのだった。楽屋で他人のを借りてくるんだとか。
他にもいろいろある。手ぬぐいと組み合わせてピストルにしたのも見た。これは「豆腐屋ジョニー」のつる子バージョン。
柳家花いち師は、「アニバーサリー」で赤い手ぬぐいから中身(扇子)をにゅっと出して、「カニ」。
この人は、羽織の裾をまくり上げ、お客さんに尻を向けて「富士山」というすごい見立ても持っている。
私の一押し二ツ目である桂南楽さんは、ペン廻しならぬ扇子廻しが上手い。学校寄席に行ったら、噺は不評だったのに扇子廻しで人気者になったとか。
ではまた。