亀戸梅屋敷寄席40 その4(三遊亭兼好「風呂敷」)

続いての三遊亭ぽん太さんは、私の中ではもう評価は確立している人だ。
兼矢さんのおかげで、高座に出るなり笑われる。
なにかおかしいですかとご本人。
誰にだって趣味はありますよ。
今、かわいすぎるピラティス講師のちなつちゃんにハマってます。誰も知らないでしょうけど。

ぽん太さんの本編は、小6の息子に英語について尋ねられるというものだった。
芸協新作「英会話」でもないし何だこの噺と思ったら、主題は英語ではなくて、都々逸だった。
都々逸親子に、こんな入りもあるのだな。
ヒザらしく、軽くていいじゃないか。
金坊の、英語の宿題のほうはどこかに消えてしまう。

珍しい、ギャグ被りを起こしてしまう。
楽八さんが、「英語の歌」を速い車夫に歌わせたが、「河島英五」だったというクスグリを入れていたのだ。
その時刻にはいなかったのだろうぽん太さん、同じギャグを使ってしまう。
客に変な空気が伝わったが、演者だけはなんでだかわからない。あんまりウケなかったけどと怪訝そう。
ネタ帳だけでは、このギャグ被りは防げないのである。

出てくる都々逸は既存のものだけだったが、その代わり新たなサゲがついていた。
「喧嘩したときこの子をご覧。仲のいいときできた子だ」を膨らませているのである。

トリは兼好師。なんだか出囃子が鳴らず、太鼓を鳴らしてもらって登場。
私ぐらいになると出囃子要らないんですとのこと。
残り20分程度だったが、マクラ短めにして時間に収めてしまう。
マクラは暑さの話、それから本編につながる夫人の話。
喧嘩のない兼好師のご家庭では「ごめんなさい」「ありがとう」を常に大事にしている。これは爆笑。
本編もそうなのだが、マクラの段階から兼好師は「ボケっぱなし」の技法を使う。
そんなによく見る技法ではない。瀧川鯉昇師に行きつくのではないかと思う。

「三遊亭兼好 風呂敷」で検索すると当ブログがヒットするのであるが、現場で聴いたのではなく、配信であった。
現場で聴くのは初めてだ。
これは兼好師の演目の中でも、とりわけ面白いネタと思う。寄席でもっていいのに当たった。
古典落語なのに、中身を自由に作る「ラジオ焼き」の一つの例。これは兼好師を評するために私の作った用語。

配信でレビューしたのと若干内容が変わっていた。
かみさんは無実だったはずだが、今回、火遊びを匂わせていた。
露骨には語らず、かみさんの目線だけでギャグとして匂わせる。
結末も変わったかな? アニイのアイディア、うまく行くとは思えねえけどなあとつぶやく亭主。
この亭主のセリフ自体は、古くは存在した型だったはず。

ちょっと前に遊雀師の風呂敷を聴き、あれ、「エア手ぬぐい」なんだなと思った。
兼好師もエア手ぬぐいだった。配信でもそうだったっけ?

普通の展開と違うのは、「女三階に家なし」あたりのでたらめ格言を語る相手がかみさんであること。
やってきたお咲さん(名前は出てない)に言い聞かせると、「酒を買うと言って出てきた」ので急いでいるという前提と抵触してしまうのだ。
楽しいクスグリを導くためには、きちんとした理屈も必要なのである。
そしてアニイ、お咲さんが帰ってからも、ずっと解決策を考えている。解決策を考えているアニイをかみさんが邪魔しているわけではなく、かみさんとの雑談は、アニイがものを考える材料となっている。
実にムダがない。

やはり「きみこ危うきに近寄らず」「きみこは豹変す」はたまらない。
それから「春眠赤だしの味噌汁」。
もともと風呂敷という噺、ツッコミ役が存在しない、ボケっぱなしの噺である。この噺の構造をよく観察したうえで、そこにオリジナルギャグを加えているから面白いのだ。
私は近年、「ボケっぱなし」こそ一番よくウケるやり口だと考えている。だが決して新しい技法ではなく、昔むかしの落語に意外とボケっぱなしのものがあるなと思う。

噺の演出に感心しただけではない。
お咲さんのスピーディで細かい身振り手振りに思わずトリップしそうになった。
目の前で観てると威力倍増。
噺家の演技力自体には、そんなにいつも着目してるわけではない。でもこれは圧倒的だった。
兼好師の弟子の立場から見上げると、こんなの見せられたら師匠に感服するのは当たり前として、同時に絶望したくなるかも、なんてことをちょっと思ったりした。
「セリフと所作」との直接的な関連性がなさすぎる。所作自体が自立しているとでもいうか。
実際兼好師、弟子が5人いるが、師匠のやり方をまねる人など一人もいない。

兼好師、聴くと(観ると)必ず落語脳のどこかを刺激される人である。
師には昼間の会も多いし、もっと聴かなきゃいけないなといつも思います。

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