トリは三笑亭夢丸師。
なかよしおじさんズの3人、私は同程度に好き。
ユニットでも好き嫌いに偏りがあるのが普通だろうが、この3師匠は個性が明確で、しかしながら共通した部分も持っている。
夢丸師の個性は、上ずったテンション高い喋り。
これで高揚させつつ、でもこの喋りで世界の柱が1本立つので、今度はこの中でちゃんと喜怒哀楽ができてくる。
この日は3人とも微妙に珍品寄りの演目。特にそう銘打った会でもないところに日常感も漂う。
新潟のことばの話。
私は新発田で、鯉橋師と違って田舎なんですよ(そうかな?)。
言葉も東北に近いんです。フランス語に似てます。
修業中、地元の友達と電話でちょっと話したあと、師匠に言われました。お前、地元の人間と話したな。
すぐ戻っちゃうんです。
なので師匠からは、1年間は地元の人間と喋るなと言われました。
言葉もそうですけど、もっとわからないのは江戸っ子ですね。
三方一両損なんて噺ありますけど、登場人物の了見はわかりませんね。いらないと言ってるんだから貰えばいいじゃないかと思いますね。
今日は、江戸っ子だらけの噺をやります。
八っつぁんが下駄屋の旦那を訪ねてくる。頼みがあると言う八っつぁんだが、ありがとうございます、旦那ならきっとうんと言ってくださると思いましたと勝手に納得している。
なんの用なんだよ。ちゃんと言わなきゃわからないじゃないか。
これは非常に珍しい、意地比べ。黒門亭で柳家さん遊師から聴いて以来だ。
岡鬼太郎作の新作落語。
夢丸師は、滅びかけている芸協新作の貴重な語り手。きっと意地比べも、芸協新作のくくりで出しているのだと思う。
一般的な芸協新作と比べると、意地比べは完全に古典落語の世界にある。その点、有利な気がする。
とはいえ三方一両損以上に「そんなバカな」なストーリーで、なかなか難しいみたい。
私のバイブル「五代目小さん芸語録」にも意地比べが取り上げられていて、読み返すと面白いことが書いてある。
この噺は珍しく、三代目小さんから四代目小さんに引き継がれた演目。本の中で、重々しい三代目はわかるが、能弁の四代目がなぜ得意にしていたのだろうという疑問が出ている。
小里ん師が、むしろサラサラ語る人だからこそ強情がよく現れていたのではないかと、音源はないから想像でコメントしている。
なるほど能弁といえば、まさに夢丸師。
実際、このナンセンスだらけの噺を聴きながら、八っつぁんや下駄屋、そして隠居の心情がにじみ出てグッと来ました。
こんなウソ噺にグッとくるとは。でもそれが落語というもの。
もうひとつの不思議。
前回のなかよしおじさんズで、青菜を演じる鯉橋師のうしろに、亡くなった春風亭小柳枝が見えた。
面白いなと思ったのだが、鯉橋師は小柳枝と顔もなんとなく似てるし、そして一門である。実際教わったのだろう。
ところが、まったく一門ではないし、スタイルもまるで違う夢丸師に、小柳枝師を見たのである。
小柳枝が意地比べをしていたかどうかは知らないし、そこから伝わったのかどうかもわからない。
だが、見えたのだから仕方ない。
他人の空似かもしれない要素に勝手にグッと来て。
江戸っ子の意地の張り合いの噺である。
商売が思わしくない八っつぁんは、年末の払いができない。
隠居の家にフラフラと遊びに言ったら、なにも言わないのに顔色だけ見て隠居が50円、あるとき払いで貸してくれた。
意気に感じた八っつぁん、この50円は絶対ひと月で返すと決意したが、ダメだった。
でも、決意した以上返さないと。それで下駄屋にやってきたのだ。
下駄屋に50円はない。本当にない。
だが一部始終を聞いた下駄屋の主人、町内歩き回って50円作ってくれる。町内の人間もみんな八っつぁんに感心し、出してくれた。
これを隠居の家に返しに行ったら怒鳴られる。できてもいないくせに。
借金のために駆けずりまわるのではなくて、返すためにいったりきたりの楽しく美しい噺。
この美しい思いにグッとくる。人情噺の体ではないのに。
隠居の息子というのもいいキャラなのだが、夢丸師のものはこれが孫のよっちゃんになっていた。
よっちゃんは、ハナを垂らしている。拭かないのと訊くと、右のハナと左のハナ、どちらが先に地面に着くか勝負してるんだって。
隠居と八っつぁんすったもんだの末、借金返済は認めてもらうことになる。
だが強情な隠居は、決めたひと月は明日だろうと。
仕方ないので八っつぁん、明日まで居残りするハメになる。ただ待っていても仕方ないから牛鍋でもつついて一杯やろう。
よっちゃんに牛肉を買いに行かせるが帰ってこない。
隠居が確かめに行くと、よっちゃん往来で向こうから来る男とお互い道を譲らず、動けなくなっていた。
上中下3回で、エンディングトークまで書けなくなっちゃった。
小助六師のマクラを思い出したことでもあり、もう1日延長します。