寄席芸人伝4「藪入り小せん」

今日も「寄席芸人伝」からエピソードをご紹介します。
紙の書籍は絶版になっており、中古のみ出回っています。電子書籍なら全巻読めます。
私も電子書籍で持っております。

第5巻から<第40話 藪入り小せん>

人気の人情噺「藪入り」の誕生譚。もちろんフィクションだが、史実は押さえてある。
奉公先から3年ぶりに帰ってくる息子を待つ、居ても立ってもいられない父親の溢れる愛情を描くのが「藪入り」という噺。落語における、親子の情愛は不滅のテーマだ。
これがもともとバレ噺「お釜さま」だったことは史実。
奉公先で番頭の慰み者にされ、代償にカネをもらっていた息子が、財布の中身を実家で見とがめられ・・・という噺だそうだ。聴く機会はないと思う。これ自体、天保年間に世間を騒がせた事件をもとに創作された噺だった。
現代人の感性にはおよそそぐわない噺ではある。歴史好きなら男色が盛んな時代の知識はあるから、最初の抵抗はクリアできるかもしれない。だが、「小児性虐待」までは看過できますまい。
こういうネタが「笑い」に直結した時代もあったということである。今に残っていないということは、時代を越えた「普遍性」を獲得した噺ではなかったということ。

マンガの舞台は、まだ「藪入り」が現実にあった時代。
実家に帰る小僧さんが、朝から好きな落語を聴きにきている。奉公時代を思い出す主人公柳家小せん。小せんも藪入りのとき、好物をたくさん作ってくれている母親を待たせ、いつまでも落語を聴いている小僧だった。
待っている親御さんを心配し、弟子に小僧を諭させるものの、小僧は帰らない。小せんは、落語で小僧を帰すことを思いつく。
「お釜さま」を改作し、待っている親の心情を膨らませることにしたのである。
前の晩、床についても、息子の金坊になにを食わせたい、どこに連れていきたいとあれこれ余念のない父親。会えば会ったでまともな口もきけず、涙が溢れるから目も明けられない。
にわか作りというものの、「藪入り」は素晴らしい出来。お客は泣き笑い。狙いどおり、実家を思い出した小僧さんも泣きながら帰っていった。
会心の笑みを浮かべる小せん。

「お釜さま」→「藪入り」への改作に当たって肝になるのは、金坊の財布にあった大金の始末である。
この部分はマンガでは触れられていない。小せんは前半だけ膨らましてその他の部分は使わなかったのではないかと、フィクションのことだが勝手に想像してみる。
鼠の懸賞に当たったという部分は、「藪入り」のハイライトではないと思う。
お父っつぁんが病気をしていて、金坊が手紙を書いたくだりも必要ではない。
前半をまとめられれば、客は満足するのである。

作成者: でっち定吉

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