へーへーホーホー:昭和こいる逝去

大みそかになって訃報が飛び込んできた。昭和こいる師匠。
昭和のいる・こいるのボケのほう。77歳。
本当に演芸会、亡くなった人の多い年だった。漫才だと、同じ落語協会のホームラン・勘太郎師匠とか。

たまたま早朝起きてニュースを目にしたので、今日の記事を入れ替えることにしました。
追悼記事を基本書かない方針でいた私だが、今年は川柳、円丈と例外を作ったばかり。
そしてこいる師匠もやはり感慨深い。
ずっと闘病中ののいる師匠より8歳下だが、先に亡くなった。

2016年に当ブログを始めるずっと前の話だが、よくのいる・こいるを目当てに鈴本に行っていた。
寄席の漫才師は当時も今も大好きだが、寄席に行く主目的にしていた漫才は、のいる・こいるが最初で最後である。
世間からすると、帯ラジオを始める前のナイツにそんな感じがあったと思う。
漫才が集客してくれると、噺家からの評価も上がる。

全盛期ののいこい、白熱の舞台はもう、本当に面白かった。
ツカミから爆笑だったものな。
のいる・こいる二人とも勝手に喋り出し、徐々に会話が嚙み合ってくる。
ちっともよくない事象に「よかったよかった」とこいる師匠がボケて、「ちっともよかねえよ」とのいる師匠がツッコむ。
「お前がしゃべったのはへーへーとホーホーとよかったねとしょうがないだけだろ」とのいるに追及されると、こいる「まあまあまあまあ」。
「掛け合い漫才」とはよく言うが、実は掛け合わないところからスタートしているところがすごい。
なぜかめちゃイケなどバラエティにも出て、ナイナイにいじられたりしていた。出ていたなという以上の印象はなかったが。

地球温暖化とか、トレンドの話題をのいる師匠が振るが、違う体系でもってこいる師匠が返す。

「あーあー、よかったね」
「どこがよかったんだよ。地球が熱くなるんだぞ」
「おれ、寒いの嫌いだもん」

なんのネタでも素材にできるから、ベテランの変なマンネリ感はなかった。
なんなら歌謡ネタとか、のいる師匠がこいるスタイルになっていつもの謝罪をしてみせる逆転漫才とか、無限の引き出しもあったわけで。

こいる師匠のへーへーホーホーが確立してくると、客に説明がいらない。最速でウケに持っていけた。
だが一度、ちょっと変だなという漫才も観た。いつものようにウケていたのだが、ちょっとやり取りがちぐはぐで。
一見、ボケ損ねのように見える。そのほうが客には流しやすい。
だが本当は、ツッコミが機能し損ねているのだった。
違和感を抱えていたら、その後漫才はツッコミ・のいる師匠の休養でお休みとなった。
恐らく、ちょっとズレた舞台がしばらく続いたのだと思う。
休養とは言うが、復活はなかった。

東洋館に行く習慣は今でもなくて、こいる師匠がピンでやっていた漫談は知らない。
あした順子師匠と組んだ漫才はTVで何度か観たが、順子・ひろしものいる・こいるも超えられないのはもう、仕方ないこと。
漫才師は、相方を失うとなかなか難しい。なのに熟年解散してしまうコンビもいるが。
新山ひでや・やすこや東京太・ゆめ子のように、奥さんを駆り出して夫婦漫才となり、売れた例もあるけれど。
大阪では現在横山ひろし・春けいこという夫婦漫才があるが、これは奥さんももともとプロだからちょっと話が違う。

その後東京漫才の帝王となったナイツによって、浅草のポンコツ師匠たちのエピソードが世間に着目されるようになった。
おぼんこぼんの仲直りエピソードも、ナイツが入念に種まきをした延長線上にある。
一方でのいる・こいるはすでに活動を休止しており、もういじれなくなっていた。
しかし東京漫才の系譜は着実に続いているのだ。少しでもそれを体感できたのは、感謝するしかない。

訃報で終わる2021年。
2022年も初日から更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

作成者: でっち定吉

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