丁稚夫人の落語観

私もこのところ、随分と落語に行くようになった。
ブログを始めた2年前は、月に1回から2回というところ。
最近は月に4~5回くらいが普通。もっとも、1時間の神田連雀亭ワンコイン寄席とか、短く安い席の割合が高いけど。
落語が聴きたくて仕方なくこのくらい行くけども、さらに頻度を上げようとまでは思っていない。
広瀬和生、堀井憲一郎といった人たちのように、もっと多く聴いてみたい気もなくはない。新しい世界が見えるかもしれない。
と思う一方で、これより多く聴いても、落語のことが、よりわかるようになるわけではないという予感も強い。
ブログを書いているおかげで、私は聴いた落語をいつまでも深掘りし続けられている。
自分で書いたものが楽しくて、自分でいつまでも読みふけっている。
だから、落語を聴いている時間に比して、落語のことを考えている時間はとても長いのだ。これでいいんじゃないか。
落語をより深く知るためには、むしろ落語以外の体験を増やしたほうがいいのではないかとも考えている。
とはいいつつ、芝居は高い。安いのは歌舞伎座の幕見くらい。あとは、子供がタダで入れる美術館やら。
財布の都合でもって、また今日も落語というところもあるんですがね。子供がもう少し大きくなればジャズライブに行くんだが。
まあ、今月はキャッツに行きますけど。

さて前置き長いのだが、人にはそれぞれ適切な、落語を聴く時間の長さと頻度があるのではないか。
小学生の息子は私によく似ていて、マニア志向である。落語が好きになると、落語の体系から歴史、芸人の師弟関係と所属、どんな芸人がどんな芸をするかまですべて知りたがる。
円丈落語全集とか、しょっちゅう読んでいる。
まあ、こういう熱中ぶりはわりとわかりやすい。
いっぽううちの家内は、落語の速記本を読むことも、落語について書かれた本を読むこともない。
TVラジオの演芸番組だって、そんなに聴きはしない。
演題はうろ覚えで、聞いた演目や噺家のこともよく忘れる。協会・団体の識別もよくわかっていない。
一緒に行くのは、これも最近は増えたとはいえ、2~3か月に1度というところか。
そんな家内は、それでも相当に落語を愛している。好きかどうか、自分にとって大事かどうかというのは、知識や頻度の問題じゃないのですな。
知識だけ身に着けても、本質を捉えられるとは限らない。一方では、自分で好きなところに焦点を当てて、落語の中身をそこから取り込む方法だってあるのだ。
こうした身近にいる一落語ファンのありようは、マニアな私からもなかなか新鮮である。

家内がしみじみ言う。落語があって本当によかったと。心の支えになっているのだそうだ。
落語から学んだことは、なんでもいいんだということ。いきなり深いな。先代金原亭馬生が五街道雲助師あたりに語っていそうなセリフ。
仕事でもって、人前で喋るときに落語のことを思い出すと、気楽に喋れるのだと。
変なハウツー本に出ていそうな、「スピーチはマクラを振ってオチを付けましょう」みたいな、形式重視の話ではない。
様々な噺家さんから学んだことは、きちんとしなきゃいけないわけじゃないんだ、ゆるくても全然いいのだということなんだそうだ。
仕事において上司とともに掛け合いのような司会をしたのがそこそこ評判だったが、これこそまさに落語だと思ったと。
その掛け合いの際には、かかあ天下のおかみさんキャラでやったそうである。
掛け合いだが、漫才ではないところがポイント。
誰の人生にとっても落語は深いですね。

私は正月より年末の落語が好きだ。もう1回家族で行こうかな。
家内の好きな噺家ベストスリーは、喬太郎、一之輔、菊之丞とのこと。その次が、小ゑん、白鳥、駒治だって。
一之輔師匠、ラジオは毎週聴いてるけど、生の高座はついに今年1年行かなかったな。

作成者: でっち定吉

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