世の中の落語を探す(歩道橋編)

先日、品川区内を散歩していて、小さな交差点に掛かる歩道橋の撤去作業をたまたま見つけた。
第二京浜を挟んだ西側に以前住んでいたので、この付近のことは知っている。
ついに撤去かと感慨深い。
珍しい、コンクリート作りの歩道橋である。資料価値は高いかもしれない。
街歩きの人の感性に引っかかる歩道橋だったようで、ブログでたまに紹介されていた。

http://dokomichi.web.fc2.com/magome.html
http://blog.edayasuo.net/article/184444353.html

歩道橋がまたいでいる道路は、一方通行である。歩道橋の設置場所としてはあまり聞かない。
第二京浜から東に向かう三間通り。大井町行きのバスも走るので、通行量はそこそこある。
だが、現代視点からみて、どう考えても歩道橋の必要な場所ではない。

ただ、この交差点は小学校の学区内にある。
往時は、小学生に歩道橋の使用を、学校でも強制していたのでしょうな。
学級会で女子が、「中村くんはきょう、学校に来るとき歩道橋を渡りませんでした!」なんて吊るし上げたりなんかして。
もっとも現在、学区の小学校は人気がないようだ。
品川区は学校選択制なので、人気がないと通学予定者がどんどん他の学区に流出する。
もともとマンションが少ない地域だが、数少ない大型マンションはこの歩道橋をまたぐ場所にある。だが、よそに通っているようだ。
近年では子供が通ること自体、さらに少なくなっていたはず。
学校でもとうに指導は止めていたと思う。

落語のような歩道橋だなと以前から感じていた。トマソン物体でもある。
10年以上前、まだよちよち歩きで喋らなかったうちのチビと、ここに散歩に来たことがある。隣は公園。
チビは珍しい歩道橋を見つけて、とっとこ登りだした。
当時、歩道橋の脇にある大きな木(上の写真の左端)の上に、カラスが巣を作っていた。母ガラスは、誰も通らない場所なので安心していたのだろう。
外敵が来たというので、歩道橋の上でカラスに威嚇された。
母ガラスの怖い目は忘れられない。

冷静に振り返ると、このトマソン歩道橋を設置した、当時の思いというものもわかる。
現代、高齢者の事故が起きるたびに、年寄りは免許を持つなと大合唱である。それは確かに問題。
だが、かつてはもっとひどい交通戦争というものがあったのだ。交通遺児という子供たちもたくさんいた。
交通事故は、今よりはるかに身近なものだったのである。
もっとも被害を受けやすい子供たちを、空中に上げてしまうことによって事故を防ごうという発想。それ自体はまったく笑えない。

この歩道橋を題材にした新作落語ができないだろうか?
柳家小ゑん、古今亭駒治両師匠のテイストで。
あの歩道橋がついに撤去されるんだと聴いて、地元から離れていた同級生が久々に集まって名残を惜しむという。
俺、あそこで恐怖体験したんだなんていう奴。これは白鳥テイスト。

だが、そんな思いを持つ人などどこにも見当たらず、ごく普通に撤去されていく歩道橋であった。
まあ、そんなもんだろう。言ってしまえばただの通路。
その後また付近を通りがかった。
余計なものがなくなり、空がずいぶんと広くなった。
あるかないかでいうと、ないほうがずっといい。
タイルの色が違うところが橋脚の跡。

作成者: でっち定吉

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