高座冒頭では、「落語協会に挟まれた立川流」であることを断り、三三師のファンに最速で馴染んでもらうよう心掛ける吉笑さん。
このあたり上手いよね。
吉笑さんは立川流の前座(笑王丸、のの一)と、らくごカフェで会を開いている。そちらも前座の努力でお客さん来てくれるようになったが、この会にはかないません。
日本語警察から来たメール、お礼を言っておくのが無難なのでしょうが、腹に据えかねたこともありまして。
闘ってやろうかと思いました。「そうはおっしゃいますが、お客さまの文章もこれだけおかしなところがありました」と。泥仕合になりますが。
でも、悔しいことに1か所もおかしな部分がありませんでした。完璧なんです。
なのでお礼と、気を付けますと返信しました。
もう、「泥仕合」の使い方も合ってるのかなと気になってきます。
メールを読む際、演者の右から左へ指をすべらせ、改行して繰り返す所作入り。
ちょっとトリップしそう。
日本語警察にはいろいろ部署がありまして。慣用句係やアクセント係など細かく分かれています。
アクセント係も難物です。
私はもともと京都です。京都に20までいました。
その後東京に出て談笑門下になり、それから江戸ことばを覚えました。古典落語は江戸ことばですから。
ですが一度、指摘を受けました。「吉笑さんの江戸ことばには、訛りが3箇所ありました」
厳しいなと。だいたい、数えてるんですか?
15分の噺で3箇所だったら、むしろ頑張ってるほうじゃないでしょうか?
ぼくは40になりましたから、京都と東京が20年で同じです。普段は東京のことばですが、でも20まで京都で育った自分もいるわけです。
このあたり、カミシモというか、もう「東京落語家の吉笑」を下手に、「京都生まれの吉笑」を上手にそれぞれ置いて、ダイナミックな左右移動を見せる。
その間ずっと猛スピードの語り。
困ったことに、ぼくは関西弁の新作落語も作るんですね。これはネイティブですから。
ところが関西の人から、「吉笑さんの関西弁は訛ってますね」。
東京が長くなると、関西弁も喋れなくなるみたいです。
ちなみに当でっち定吉ブログにも、吉笑さんと同じ使い方の「煮詰まる」が多数あった。
今後も使い続けるとは思うけども、意識はしてしまいそう。
私の場合はそれより最近誤字がやたら増えて、なんだか毎日直してる気がする。
吉笑さんのアクセントに疑問を持ったことはない。
ただ、啖呵を切るような言葉使いの際に軽く違和感を持つことは正直ある。気になって仕方ないわけじゃないけど。
東西のことばを振って、本編へ。
若手落語家選手権を獲った演目、「小人十九」。私は未聴。
知を練り上げて作る吉笑さんの新作の中では、例外的といっていいぐらいのベタな噺だった。でも、やたら面白い。
江戸時代を舞台にした、感染症を扱った内容。こびと19。
北前船「金剛姫」(こんごうひん)丸からやってきた謎の感染症により、江戸はパニック。
船の名は放りっぱなしで、それゆえ笑った。
タイトルは見ての通り感染症の名前。
品川に浮かぶ金剛姫丸の船員が小人のように見えたという定吉のエピソードと、感染者の人数に基づいている。
奉公人の定吉が感染したらしいので座敷に閉じ込めておかねば。
しかしあっという間に番頭、主人はじめ江戸中に蔓延する。
中途半端なネタバレするぐらいなら、何も書かないでおこう。
シチュエーションが充実してるので、知ってて楽しめなくなることはないけど。
楽しいバカ落語である。
感染すると言葉がおかしくなるだけでなく、行動まで変わってきて、江戸の町はなんだかポジティブになるのだった。
盛り上がって仲入り休憩。
トリは三三師。
明けましておめでとうございます。本年も若手の会、よろしくお願いします。
「三三と若手の会」ですね。若手の会とか言っちゃうと、主役を若手に譲り渡しちゃうみたいですが。
吉笑さんすごかったですね。今の噺は、間違えたら終わりですよ。
徐々に言葉を混ぜていかないとならないわけですから。
吉笑さんと一緒になるのは楽しいです。
私もね、吉笑さんの粗粗茶って噺やったんですよ。
粗茶にさらに粗がついて、さらにつく噺なんですが、これも間違えたらアウトでしたね。
開演前に話してたんですが、新作は今まで150ぐらい作ったそうです。ただ、全部やれるわけじゃないんですね。
作ったときには行けると思っても、お客さまには響かないこともあるわけですから。
使えるのは半分から3分の2ぐらいじゃないかということでした。
この点古典落語はいいですね。先人の遺産を使わせてもらってます。
私も新作、多少は作ってます。今日はやりませんけど。
調べたら、昨年の「擬古典落語の会」で粗粗茶を出している。
吉笑さんはこの会で、小人十九を出したらしい。
三三師の新作ははるか昔に聴いたことがある。マサヒロだっけ。
あとわか馬さんはね。あ、わか馬さんじゃなくてあお馬さんね。
わか馬さんは師匠の小せんさんの前の名前です。
小せんさんは同い年ですよ。そうは見えないでしょうけど。いったいいくつなんだという感じですが。
小せんさんは大学出てるので4年後輩です。
彼が入るまでは、私は楽屋では若年寄の名をほしいままにしてたんです。その座を譲りました。