高座でひたすら酔っ払い続ける三遊亭遊雀「替り目」

最近三遊亭遊雀師を聴いてない。
と思っていた矢先に、浅草お茶の間寄席で師の「替り目」が出ていた。
5月中席夜後半、神田蘭先生の芝居である。昼席は真打の披露目だった。

遊雀師、先日も「熊の皮」で出ていたのだが、さすがにこれはもう保存しなかった。
師の独自のスタイルの「熊の皮」はあちこちに蔓延していて、芸協や円楽党で二ツ目さんからよく聴けます。
あと「宗論」。

遊雀師の替り目、現場でも遭遇しており、当ブログでも二つもレビューしている。
だが聴き飽きることはない。毎回毎回自由演技だからだ。
今回テレビなのに、なにがそうさせるのか、もうフリーダムの極致。
13分の高座のほぼすべて、1分弱のマクラ以外は酔っ払ったままという。
マクラでは、蘭ちゃんはとんでもない大酒飲みです。口説いた男はみな殺されてると振って、すぐに替り目へ。

高座の上の酔っ払いが、延々とクダを巻く。かみさんとうどん屋は素面だが、まともなこの人たちは出番を削られている。
俥屋なんて、ごく当然に出ない。
演者と主人公は一体なので、つまりこの高座は演者自体が酔っ払っているのである。
なんともけしからんことで。

師の替り目の主人公は、同時に噺家三遊亭遊雀でもある。
最初にこのスタイル聴いたときは驚いたものだが、今ではもう、最初から渾然一体になっているではないか。
古典落語と漫談のハイブリッド。いや、酔っ払ってやる漫談なんてないけど。
怖いかみさんにもう飲むなと言われる亭主だが、ここから延々、浅草の蘭ちゃんの芝居の客がよかったんだよと語り続ける。
客の数は決して多くないが、そんなのは関係ない、大事なのは質だ。年に1回あるかないかのいいお客だ。
しかも浅草お茶の間寄席の収録まで入ってるんだ。
千葉テレビでしか見られないわけじゃない。神奈川とか三重でも映ってるんだから蘭ちゃんも張り切ってる。
だからもう一杯飲ませろとなるストーリーだが、亭主は浅草の模様を語り終え、「ちょっと長かったけど」。

なんとか一杯ヒヤを出してもらって、「死んでもいい」と旨そうに飲む亭主。
「この噺いいなあ、酒飲んでるだけで時間が経つんだから」。
少ない客が、大爆笑。
このまま終わったら怒られるだろうな。でもこないだ本当にこのまま降りちゃった。袖で神田伯山に叱られたという。

替り目のハイライトである亭主の独白なんてくだりは最初からなくて、とっとと後半のうどん屋へ。
師はうどん屋に必ず入る。
だが、うどん屋のくだりもずいぶん短くなっていた。
燗付けてもらって、「冗談言っちゃいけねえ」でもうおしまい。

登場人物は酔っ払っていても、噺自体にはまともな視点を設けるのが従来の落語。
遊雀師は、世界の管理者である演者自体をグズグズにしてしまう。
かみさんもうどん屋も、酔っ払いワールドを邪魔しない。
まっとうな視点が消えてなくなってしまうのだ。
談志の唱えた「イリュージョン」って、まさにこれではないだろうか。

従来の落語で最も雰囲気の近いのを探すと、たいこ持ちかな。
たいこ持ちにイヨッとヨイショされるのはいい気持ちだが、でも素面。
酔っ払いは客を永遠にヨイショし続けられるのだった。

終戦記念日なので変な連想が働いた。
替り目は禁演落語ではないのだけど、戦中にこんな高座があったら真っ先に禁じられてそうに思う。

それにしても遊雀師、移籍してきたにしては、スタイルが芸術協会そのものだ。
落語協会にはこんな人はいない。
漫談だって、視点自体はしっかりしている。
でも芸協ではこんなスタイル全然OK。
桃太郎、蝠丸、笑遊、伸治、小南。演者自体がふざけている人ばかり。
昇太会長だって、やっぱりどこか演者の立ち位置が狂っているではないですか。

最近、落語協会と芸術協会の統合論について何度か書いている。
私はもともと統合反対論者ではなかった。
だが、これだけ個性の違う団体を一緒にしようなんてバチ当たりだよなあとつくづく思うようになりました。
芸協バンザイ。
遊雀バンザイ。

作成者: でっち定吉

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