志らくが見る地獄

金曜日のラジオ「あなたとハッピー」で語られていたが、NHKの演芸図鑑の新ホストが春風亭一之輔師になるという。
つまり、「春風亭一之輔の演芸図鑑」というタイトルで、1クール。
演芸図鑑の歴代ホストは、ベテランばかり。一気に若いホストの誕生だ。
演芸図鑑に限らず、今後「日本の話芸」への登場までありそうだ。
一之輔師、落語についてはマネジメントをゆだねていないということだから事務所がどこまでかかわったのかわからないが、ワタナベの噺家タレントが入れ替わる節目か。いや、今年のM-1審査員枠から、すでにそれを期待してたのだが。

さて、ワタナベ一押しのタレント噺家、古いほうは立川志らく。
その低視聴率番組「グッとラック!」がついに打ち切られるのだという。
なんだかTBS内部からのリークっぽい報道。

私は日中家にいるのだけど、番組は一度も視たことがない。
ワイドショー自体視る習慣がなく、朝はラジオを聴いている。番組が打ち切られようが続こうが、私の生活になんら関係ない。
それでも事実ならば、愉快だ。
そして世間からも、なんとなく喜びが伝わってくる。なにしろ世間に先んじ、報道側が喜んでいる。

世間を代表するメディアの反応、わかるようでわからない。
今まではずっと低視聴率を揶揄しながら、いっぽうでは志らくが語る逆張りコメントを、せっせと流していたのもマスメディアである。
私も、知りたくもないのに発言を読む羽目になる。小林麻耶報道しかり。
まあ、そんな中から、ネタもちょくちょく拾わせてもらっているのも事実。
例えばこれ。

伝統と捏造のあいだ

「江戸しぐさ」が、世間の共通認識として滅びた文化だということに、無知だった志らく。
知らずにコメントしたことを詫びればしまいなのに、日ごろからの自分の逆張りスタイルでもって乗り切ってしまおうとする。
結局ホリエゾンと同類の、「謝ったら死ぬおじさん」。誰が考えたか知らないが、すばらしい造語だ。

世間の行動も不思議だった。
垂れ流されるコメントや本人のツイッターには反応するのに、番組の視聴行動には一切つながらないという。
メディアの垂れ流す報道の数々により、いずれ来る「番組打ち切り」への喜びをせっせと蓄積していったのだ。変な構造。

打ち切りの原因は、小林麻耶の件があるにせよ、志らくに求める報道がほぼすべて。田村淳やフワちゃんには罪がないのだそうで。
知性があるフリをしていたが、すでにカラッポの中身はバレ、賞味期限も切れた。
他の番組に、志らくに司会をさせる需要があるとは思えない。とんがった東京MXなら呼びかねないが。
私が毎日聴いている「ナイツ ザ・ラジオショー」のゲスト出演は一度絶対ありそう。やだな。
でも、ラジオのレギュラー需要もないだろう。
テレビ以上に、パーソナリティの好き嫌いが重視されるメディアだ。毒舌自体は一向に構わないのだが、それがコア層に響かないといけない。

世間の人は、「これで志らくは落語界に戻る」と思うのだろう。
だが、そこに本当に需要があるか?
噺家も、還暦にもなってくれば確立されたスタイルを打ち立てなければならない。
若い頃のスタイルのままウケる人なんて、春風亭昇太・三遊亭白鳥の両師ぐらいだと思う。
既存の落語をぶっ壊すつもりでやってきた志らく、スタイルは確立したか?
そもそも、落語の領域は果てしなく広い。どんな過激に見えるスタイルも、意外と簡単に吸収され、ただの彩になってしまう。
談志にまっすぐ向かっていっても、二番煎じの烙印を押される。もう押されてるか。
「普通に落語をやる」ことができない人にとって、老後は厳しい道が待っているだろう。
落語をしながら、もう戻らない帯番組に思いを馳せ続ける地獄が待っている。

談志を襲名できれば大逆転だが、志の輔師がいる限り無理。
志らくに協力するのは松岡弓子しかいないだろう。立川流の誰も協力はしない。

先に名を出した一之輔師など、徹底した寄席育ちである。
師のアバンギャルドな落語は既存のファンも驚愕させたし、新しいファンも獲得できている。だが、師はいつでも、明日からでも古典落語を普通にやれる人。
20年後、メディアの仕事をすべて整理して寄席に専念することだって、やってできなくはない。
やる必要が生じるかどうかではなく、そんな道がいつでも開けている。
志らくにはそんな環境はないし、仲間もいない。

このたび実に面白い記事を読んだ。これは志らくのことを書いたものではない。

小林麻耶はなぜヤバいほうへ落ちていくのか、「自分にしか興味がない人」が見る地獄 (週刊女性PRIME)

記事を書いた仁科友里という人は、能町みね子と並び、志らくを政治的発言と無関係に批判してみせた得難い人である。
志らくの政治発言なんて中身はカラッポ。それ以外で批判するのは、目の付け所がさすがである。
この人が小林麻耶について書いたコラム記事、読んでいて不思議な既視感を覚えた。
この記事にちょっと出てくる志らく自体は、別に批判されていない。むしろ筆致は同情的だ。
だが、小林麻耶自身について書かれた内容は、そっくり志らくにも当てはまる。
弟子が寝床芝居に来ないために狂って全員前座降格という、誰のためにもならない処分をした過去も、カミーレ夫人との関係も、「自分にしか興味がない」「自己評価がムダに高い」ことを強くうかがわせる。
ちなみに志らくを洗脳する人はいないが、志らくが勝手によりどころにする人ならひとりいる。版画家の山本容子先生。
今やこの人以外に、著名人の志らくファン(噺家で志らくだけが好きだという人)を知らないのだけど。
山本先生も罪作りな人だ。もっと有益なアドバイスだってしてこれただろうに。

最後にひとつ。
木梨憲武が漫才に挑戦した「梨とリンゴ」って、演芸図鑑と笑点で収録したらしいが、いつまで経ってもオンエアされないですね。
演芸図鑑のほうは、お蔵入りして不思議ないことを予言したのだが、笑点についてはやや意外。
でも、流さないほうがよさそうだという判断、わかる気がする。
打ち切り報道との関係はわからない。あるのかもしれない。

作成者: でっち定吉

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