雷門小助六「ひねりや」

昨日小ネタの中で触れた、コロナ禍のいっときだけ作られた雷門小助六師のYou Tube。
タイトルだけ載せていた「ひねりや」を聴き、いたく感銘を受けたので取り上げることにした。
やはり猫ちゃんは途中から登場し、主人の稽古を眺めてにゃあにゃあ鳴いている。

ひねりやは、戦前にはなし塚に埋められた禁演落語のひとつ。
戦後は解禁されたのであり、やっていいのだが、すっかり廃れてしまった噺。
そういう命運をたどった禁演落語は他にもある。

  • 突落し (日本の話芸で出た)
  • 磯の鮑 (NHK新人落語大賞で出た)
  • 廓大学
  • 搗屋無間 (あかね噺に出てきた)
  • 坊主の遊び
  • 白銅
  • あわもち (五街道雲助師がやるらしい)
  • 三人片輪
  • とんちき
  • 三助の遊び (柳家さん助師がやるらしい)
  • 万歳の遊び
  • 首ったけ (喬太郎、白酒両師が掛けている)
  • 一つ穴
  • つづら間男 (落語研究会で出た)

磯の鮑なんて近頃よく聴くようにはなったから、ここから外してもいい。
首ったけはそこまでじゃない。
噺というものにはしばしば寿命があって、むしろこれらの噺、禁演落語というレッテルのおかげで名前だけ残っているのかもしれない。
そんなわけであり、「ひねりや」格別の興味を持ったわけでもない。珍品得意の小助六師だから聴いてみたのだ。
稽古だが、こんなに面白い噺だったのかとびっくりした。

ひねりやには、現代で掛けるにあたり、さわりになる要素が次の通りある。

  • 廓噺
  • 唖が出てくる

でも、これだけなんである。
唖の問題は、近頃やたら「唖の釣り」が掛かるようになり、すでに解消したものと思われる。ひねりやのサゲも、唖の釣りとほぼ同じ。
現代はだいぶ成熟してきたので、落語が誰かの人権を直接的に傷つけようとしているとは捉えない。
廓噺については、別の問題がある。女性の権利を侵害するとやり玉に上げられることもある。
それでも、まだまだ現役。
そもそもこの観点からは、ひねりやなんてごくごく軽いほうである。
そして、禁演落語に含まれる羽目になったのは、また別の要素。
あまりにも人間がふざけすぎているからだと思われる。戦争に向かって国民を一気団結させるにあたり、ふざけすぎた噺は禁物。

商家「ひねりや」の大旦那は、人と違う、ひねったことばかりする人。
だが若旦那は商売の勉強をしようと、うちで本ばかり読んでいる。ひねりやの息子にはふさわしくない。
息子よ、よその息子のように吉原で遊べ。遊ばないと勘当だ。
若旦那もひねりやの息子だけあって負けてない。遊ばないで勘当になるなんて、ひねりやの息子としては面白い。やっていただきましょう。
結局、ひねった息子も遊びに行くことになる。ただの遊びじゃひねりやの名折れ。
大八車を雇い、大八を船に見立て、自分は山車の人形になって吉原へと繰り出す。
変わった料理を出せ、変わった女をつけろと若旦那。店の方も考えて、唖の女を出す。本当に唖ではないが、フリ。
とても食えたもんじゃない料理、飲めたもんじゃない酒が出てきて若旦那大喜び。
最後に唖の女が出てくる。

令和の耳でこれに当たると、ふざけた噺が、「ちょっと愉快な古典落語」として聴こえてくるのだった。
寿命の尽きた噺が、実は強い芯を持っていた。ふざけたとされる要素が、現代ではごく自然なユーモアとして通用するようになったらしい。
若旦那は、常に人と違った行動をせねばならないというタスクを背負っている。なかなか面倒そうだが、しかし悲壮感はかけらもない。
私が連想したのは天才バカボンである。バカボンパパの行動はひねりやに近い。さんせいのはんたい。
バカボンも、60年近く前に登場したときは世間のド肝を抜いたであろう。だが、バカボン的なエッジの利いた笑いも、時代が下るとユーモアに見えてくる。
もっと昔の古典落語がそう見えてきても、なんの不思議もない。

落語にひねくれものが出てくるとなると、たとえば饅頭こわい。それから天神山。
だがこうした登場人物は、ひねくれ気質ゆえにまわりを緊張させる役割を担っている。
それと比べるとひねりやの若旦那、なんの迷惑も掛けていないからすごい。
大八車の職人にだって、ちゃんと手間賃をたっぷりやっているのだ。もらった方も恥ずかしいが大喜び。
実に幸せな噺。

長井好弘氏が書いているところによると、ひねりやは小助六師が復活させ、浅草の禁演落語の会でも掛けたらしい。
そして知らなかったが、最近よく聴く「磯の鮑」も小助六師によるものだったのだ。
三遊亭志う歌師なんて、これでNHK獲ったものな。

古典落語は宝の山だ。
磯の鮑のように、なぜか時代が合ってきて蘇るものもあるのだった。やってみないとわからない。
そして今ではすっかり古くなった芸協新作も宝の山である。これは佐ん吉師など上方の噺家さんが古典落語としてやってみるといいと思っている。

作成者: でっち定吉

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