スタジオフォー巣ごもり寄席(下・柳亭市弥「粗忽の釘」)

NHK新人大賞の高座ではわからないことだが、この長講の場でバレてしまうことが。
市弥さん、マクラがつまらないなあ。
「今から面白い話をします」という体で語るからいけない。
誰も頼まないのに勝手にハードルを上げてしまい、そして大した話でもないという。
マクラを語る自分を、俯瞰できていないのだと思う。
なんだかおかしいなと、この時点ですでに悟る私。
マクラの内容は、ギックリ腰で、一蔵アニさんの教えてくれた整骨院に通った話。
「私生活でもって『冗談言っちゃいけねえ』を使った話」と断ったうえで振っていくのだが、「冗談言っちゃいけねえ」というシチュエーションなど最後まで出てこない。
「整体師のゴッドハンド」を語る話になってしまっているじゃないか。どうした。
それから兄弟子(名前をなぜか出さないが、来春昇進して燕三になる市江さん)の天然エピソード。
こちらは本編につながる。

ちなみに噺家以外で、「語る自分を俯瞰して見る」のが極めて上手い芸人として、私は吉本新喜劇、小藪千豊を挙げたい。
実際、「すべらない話」であったり、CSで観られる兵動大樹(矢野・兵頭)とのトークであったりと、常にハイレベルなトークを繰り広げている。
彼のトークを聴くと、前面に出ている劇団員小藪を操る、背景の大ボス・コヤブの存在を感じる。
私は芸能人がちょっと手を出してみる落語には興味がない。だが、座布団に座ってマクラだけ話す企画があったとするなら、小藪さんに勝てる噺家が果たしてどれだけいるだろうかと思うのだ。
木梨? 話にならないね。
もっとも落語においては、マクラが面白すぎると本編が尻すぼみになることもある。だから本職にとって、マクラが面白すぎることがベストとも思わない。
だからといって、つまらないマクラを語る必要はない。あえてつまらないようにマクラを語ろうなんて人はいないだろうが。

市江さんの粗忽のフリから、粗忽の釘。なんと3年前、最後に聴いたのと同じ演目。
同じなのは仕方ない。だが当時、決してつまらないとは感じなかったが、悪い印象も併せて持ったのだ。
3年経ってもなお、その悪い印象が、説明過剰落語のひとつの代表例として、ずっとどこかに残っているのである。
粗忽の噺なのに、主人公の八っつぁん(名前は出てこないが)のシュールさがことごとく失われている。
壁に釘を打ち込むときに、蜘蛛の巣を避けるという、詳しい理由付きなのだ。
まあ、そこまでは他の人の演出にもある。
だが市弥さんはなにしろくどい。一方で、引っ越してくるまでのシーンをばっさり切ったり、工夫はしているのだけど。
釘を打ち込むのもたっぷり、間違えて右の親指をしゃぶるのもたっぷり。
かみさんに諭され、隣に詫びるために家を出ていくまでも長い。
向かいの家に出向いてしまうのは今回省略していた。だから膨らませるいっぽうで刈り込む意識はちゃんとうかがえる。でも、膨らませた場面はやっぱりくどい。
向かいの家を省略した分、釘を打ち込んだ相手の家で、隣に越してきたものだとあらかじめ名乗る八っつぁん。
正体がバレてしまっているので、その後くっつき合いのなれそめを勝手に話し出しても、シュールな快感が物足りない。

マクラが15分ぐらい、本編20分の、実に長い高座。
長くて退屈したとまでは言わないが、長さに意味を感じない一席。
私以外の客にも、それほどウケてなかった気がするな。
それよりも大きな問題は、たまたまこの日だけよくなかったという感じに映ってくれないこと。
なんだか根本的に、私の感性に合わない高座であった。
NHKで味わった感動は偽物じゃないと思うのだけど、毎回こういう高座だったら、決して聴きにはこない。
私の基準が絶対ではもちろんないのだけど、どの基準だったらハマる?

世間の評価と私の評価、一致するとは限らない。それにしてもだ。
中には、びっくりするぐらい食い違うこともあるということ。
ひとさまの意見も聴いてみたいものですが。

トリの人も不満で、期待の高さと裏腹な結果の、さみしい落語会でありました。

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作成者: でっち定吉

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