柳家小せん「金明竹」

更新するのは義務じゃないのだが、これだけ読者が増えてくると、ご期待に応えたい気持ちはちゃんとある。
ああー、わしも出したい、語りたい。語りたいけどネタがない。
困ったときは、テレビの落語から引っ張り出してくる。
探していたら、地味で楽しいものがありました。落語研究会の、柳家小せん師「金明竹」。
しかも、CS。2020年8月の放映。
たまたま無料放送中により録画できたしろものだ。BSでは流さなかった一席のはず。

小せん師、私は大好き。いつも、もっと聴きたいと思っている。
寄席では絶対に外さない、トリでも仲入りでも、ヒザ前でも、浅い出番でも難なくこなす。
アベレージの著しく高い人。外しようがないというか。
地味すぎて、いたかいなかったか後でわからなくなるような芸とは一線を画している。
落語に求めるものは人それぞれだろうが、特に寄席のような、バラエティに富んだスポットにおいて小せん師は実に強い。
「柳家小せん」の襲名は実にいいことだった。先代も、寄席で活躍した人。

今日までまったく気づかなかったが、小せん師匠、バイきんぐ小峠にシルエットがよく似てるね。
キャラは相当違うけど。

小せん師の金明竹は、ずいぶん前にちょっと取り上げたことがある
もっとも、二ツ目・わか馬時代の音源。
金明竹という前座噺、真打も二ツ目も結構掛ける。その分、巧拙が如実に現れる噺である。
言い立てを活かしたパロディも多い点、寿限無にも似ている。

【こんな金明竹は嫌だ】

  • おじさんが松公(与太郎)を叱りすぎる
  • 上方男が、わざとわからないように言い立てている
  • 演者が、どうだすごいだろうと得意げに言い立てている

柳家では松公と与太郎は別キャラで、金明竹では松公。ろくろ首もそう。
道具屋やかぼちゃ屋になると与太郎。
まあ、どちらも系統は同じである。よその一門では金明竹も与太郎でやるが、気にすることはない。
ちなみに、おじさんが松公を叱りすぎる代表が、人間国宝柳家小三治。
小三治のおじさん、松公が店にいること自体、本当にイヤそうだもの。
半分をクビにした自分の弟子への接し方が噺からうかがえて、聴いた私もひどく嫌な気持ちになった。
東京落語の大ヒーロー、与太郎さんになんて仕打ちをするのだ。

小せん師の金明竹は完璧だ。次の通り。

  • 松公はこの世の片隅で楽しく生きている
  • 松公は決してめげない
  • おじさんは呆れはするが、松公にさして怒らない
  • おばさんも優しい
  • 近所の人たちも優しく松公を見守っている
  • 上方男の言い立ては、4回とも実に自然
  • 言い立てに、自然な身振り手振りがついている

これだけ守れば、いい金明竹になるわけだ。決して簡単ではないけれど。
前座が、身振り手振りを入れた言い立てなんかできるはずがない。

小せん師のマクラは、今の噺家にしては珍しく、自分の話はしない。
「ボーッと楽しんでください」と挨拶。
「笑ってください」と客に強要している若手は見習って欲しい。
そして、馬鹿の兄弟、馬鹿の親子の小噺。「13か月」と「来年の節句」。
こんなもの、ウケるわけはない。だが、まったく頓着せずに振る。
小噺はウケのためではなくて、客を楽しい世界に連れていってくれる助走。しっかり、のんびり語れば、客はウケないマクラでいたたまれない気持ちになったりしない。

ちなみに、「あんちゃん」「なんだい弟」というのも、立派な馬鹿の会話。笑いたいという欲を持たなければ、結構楽しい。
羽織をスッといい形で脱いで本編へ。

掃除を始める松公。おじさんに注意されどおし。
だがおじさんは、あまりキツい小言は言わない。それどころか、笑顔すら見える。
なかなか、笑顔を見せながら小言は言えない。三遊亭遊馬師はそうだったはず。描く世界がよく似ている。
落語研究会だが持ち時間は短い。二階の掃除はしないで、店番に入る。

松公は現代でいう自閉症スペクトラムである。
「のきを貸せ」「顔を貸せ」の理解ができない。
だが、知性もちゃんと有しているのだ。だから、「傘の断り」を猫に転用する知恵がある。
知恵はあるのだが、矛盾して見えるコマンドを受けると優先順位を間違って暴走する。
おじさんも、断りようを教えてやるいっぽうで、「なにかあったらおじさんに言うんだぞ」と語るのがいけない。松公からすれば、矛盾したコマンドをもらっているのだから、暴走しても仕方ないのだ。
松公、ずっと笑顔な点は常人から外れているが、いかにもなパーではないのだ。
小せん師の金明竹は、知的障害者が福祉の精神の下で大事にされる、そんな噺ではない。松公は、この世界を常に楽しんでいる点がすばらしい。

横浜出身なのに、上方ことばが完璧な小せん師。さすが絶対音感の持ち主。
実に気持ちのいい言い立て。
音楽として聴き流しても、細かい言葉を追っていくのもよし。
楽しい言い立てに真顔になる松公。ここで客の緊張がサッとほぐれ、笑い声が上がる。
小せん師と一緒に言い立てを唱えてみたら、意外なぐらいスピードがあることに気づく。
スピードはあるのだが、そう感じさせないのである。言葉が明瞭だからだ。

小せん師の言い立ては生きている。無意味な言葉の羅列ではない。
最後の言い立てで、「風羅坊正筆」でいったん止め、「風羅坊、芭蕉のことだっせ」。こんなの聴いたことがない。
少々躓いても、なんら問題なし。生きた会話だから。
何度聴いても楽しい噺です。

先代小せん

作成者: でっち定吉

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