五街道雲助「お直し」

中村仲蔵/電話の遊び

副反応で微熱が出ていて、仕事やる気はしない。でもブログは書こうかなと。
調子悪いのに、朝からいつも以上に腹が減る。面白いことである。

オリンピックにおいては連日、多様性のアピール。
張本勲の好き勝手発言にシンパシーを感じるジジババは、いい加減うんざりしてるだろう。女のくせにボクシングだなんて。
しかしうんざりしたところで、日本の未来はあんたたちのものではない。
同性愛の権利も男女別姓も、世界の潮流に乗って、着実に実現していく。
多様性をアピールする革新政党はオリンピックをちゃんと見ず、いっぽう保守政党の総裁を目指す、男社会を生き抜く女性が男女別姓に蓋をしようとする。

そんなややこしい世界において、ひとつ廓噺でも味わってみてはいかがでしょうか。それも人情噺。
当ブログでも何度も書いている。廓噺は女性の権利を圧迫するから潰してしまえなんて論調があっても、まったく不思議には思わない。
世間の大多数がそう思うようになったとき、廓噺は滅びる。売り物にならないため、誰もやらなくなれば仕方ないのだ。
滅びるまでは、楽しみたい。
寄席がお上の圧力に抗したとき、共産党が寄席に乗っかってきた。ユーモアのセンスに欠けたあの人たちが落語の味方になりうるとは、私はまったく思わない。

落語研究会の無観客録画で、五街道雲助師の「お直し」を聴く。今年6月の放映。
無観客がまったく気にならない、スゴい一席。

お直しは、雲助師の大師匠である古今亭志ん生が芸術祭大賞を獲った演目。今はまったく流行っていないし、寄席や落語会で聴いたこともない。
雲助師も冒頭で、最近は廓噺自体少ないと語っている。
廓がわからないし。でも失くすには惜しいのだと。

とはいいつつ雲助師、本筋に関係ない用語はほとんど説明しないのであった。客の大部分、わからなくてそれでいいということ。
「入山形に二つ星だ」とか。遊女のランクのことである。
「羅生門河岸」「お歯黒どぶ」とかも説明しない。羅生門河岸は、鬼滅の刃に出てくるそうですね。
わからない単語が出てきて先に進めない人には楽しめないが、多くの落語好きはそんなことはない。

お直しの登場人物は、以下の通り。

  • 年を取ってお茶を引くようになった花魁(⇒ 遣り手ババア ⇒ 蹴転・けころ)
  • 花魁とデキてしまったが、一緒にさせてもらった若い衆(⇒ 博打に凝ってクビ ⇒ 蹴転のオーナー兼若い衆)
  • 気の利いた廓の主人(しかし二人により、顔に泥を塗られる)
  • 蹴転の客(左官)

花魁と若い衆がデキてしまうのはご法度もご法度。だが、親切な主人により二人は一緒にさせてもらう。
お茶引きの花魁は、おばさんとなって、若い衆の亭主とともにそのまま廓で働かせてもらう。
主人のおかげで、人生を逆転しかけた二人は、腰の据わっていない亭主により、カネも職も失い、どん底に落ちてしまうのだ。
亭主である若い衆、ようやく目が覚めたがもう遅い。自分のかみさんを最下層遊女である蹴転にして、どん底からのリカバリーを目指す。

自分のかみさんに遊女をさせるなんて、人として下の下である。クソである。
自分のせいで、恵まれた環境から落ちてしまったんだから仕方ない。
そんな人間のくせに、焼きもち焼きと来てるのだから、始末が悪いクソ亭主。
だが、自分のかみさんが客を取るさまを、冷静に見ていられる人間よりは、ずっと救いがあるのではないでしょうか。

亭主に愛想が尽いておかしくないが、かみさんには、お茶を引いて過ごした花魁末期の時代を優しく支えてくれた亭主に、まだ気持ちが残っている。
いろいろ思うところはあるが、夫婦の危機をなんとか二人で乗り切ろうというかみさん。
しかしながら、左官の客に「掃き溜めに鶴みたいないい女だ」と言われて、結構嬉しい。
もちろん手練手管でもって、客から巻き上げるためだ。でも自分自身を動かすエネルギーを得て、迫真の演技に亭主も騙される。

男が心の底から悔いていないと、成り立たない噺。
かみさんに迷惑ばかりかけた志ん生が、落語を借りて詫びるための噺でもあったとかないとか。

一方でこの噺、「生きていくとはどういうことなのか」を語る、凄みのあるネタでもある。
亭主は、自分のおかげですべて失ったのに、まだ気持ちが甘いところがある。
かみさんは、蹴転にさせられたのに、早々と切り替えている。
どんな客を引いてきたらいいのか、どう強引に捕まえたらいいのか、全部かみさんが亭主に指示している。
亭主はかみさんにプロの仕事を教えられ、自分がいかに甘かったのかを思い知るのである。

物語のこの後、どうなるんでしょうね。
登場人物に肩入れするなら、今に蹴転の店が回りだし、かみさんも再度の現役生活を終えることができればOK。
亭主も、若い衆を雇うか、または自分のかみさんでない女を働かせるかして、再度復活への糸口を見出すことができる。
ただ、そうでない未来も容易に想像できてしまうのだ。
ほろ苦く、深く重くもある噺である。

替り目/お直し

作成者: でっち定吉

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