暮れも押し迫った29日、仕事も片付いたので神田連雀亭ワンコイン寄席へ。
12月の落語は、1,000円、1,000円、2,500円、1,000円と来て、最後500円。
落語って安いなあ。全部がそうじゃないけど。
満員に近かった。驚いた。
誰目当てなんだろう。カデンツァのご贔屓?
粗忽長屋 | 花ごめ |
武智、腋臭やめるってよ | 鯉白 |
サオリ9号 | 竹千代 |
Zabu-1グランプリで準優勝のクレイジーな瀧川鯉白さん、私は一度も聴いたことがない。
今日はこの人を目当てにしてきた。
トリは桂竹千代さん。この人は二ツ目の中でも、かなり聴いているほう。
芸協カデンツァからふたりということだ。
トップバッターの女流・柳家花ごめさんは花緑一門のため結構聴いている。だが最近、いい高座に遭遇していない。
3年前にらくごカフェで聴いた「粗忽長屋」はとてもよかったな、なんて思いながら連雀亭へ向かう。
と思っていたら、その粗忽長屋が出た。パワーアップしていて、嬉しくなってしまった。
前説に出てくるのは、二番目に登場する噺家である。
鯉白さんがぬぼーっと出てきて、「諸注意を申し上げるところですが、みなさん大人ですから、しません」とクレイジーぶりをいきなり発揮。
「たまにこの、お客様から録音してもいいですかなんて訊かれることがあるんですけども、うまくやってください」
・・・なんてことを。
花ごめさんが出てきて、「録音するならうまくやってくださいなんて、初めて聴きました。鯉白さんはやっぱり頭おかしいですね」。
「いいらしいので、録音するならうまくどうぞ。見つかったらひどい目に遭いますけどね」
黒紋付だが、着物は花柄の鮮やかな女着物。
私来年、年女なんです。やっと12歳で一回りしました。その割には36年生きてきたような気がしますけど。
冒頭のシーンをカットして、いきなり八っつぁんが行き倒れの現場に現れる。
持ち時間は20分だが、花ごめさん、15分程度あったら粗忽長屋ができるようだ。
粗忽長屋は本当に難しい噺だと思う。
粗忽ものでは、松曳きと双璧をなす難しさとされるが、松曳きは悪いものを聴いたことがなく、こちらのほうがなんとかなるようだ。
いっぽう粗忽長屋は、それてしまうと達者な人でも結構グダグダになってしまう。
松曳きは、粗忽ぶりを振り返りながら進む噺。粗忽長屋は、最後まで自覚しない噺だという違いによるのだろう。
先日、M-1グランプリの記事中でも、落語の「飛躍」について力説した。新作落語に顕著だが、古典落語にもいい噺には飛躍がある。
ただ、粗忽長屋は飛躍が過ぎる。現実と接点がなくなってしまい、客が取り残されることが結構な確率であるのだ。
かつて聴いた花ごめさんの粗忽長屋、これを防ぐ工夫に、いたく感心したのである。
具体的にはどうするか。
花ごめさんは、町役人をA・Bに分け、異なる役割を与える。
役人Aは、従来型。八っつぁん熊さんのボケに、しっかりツッコむ役割。
だが役人Bは、ボケのふたりを最初からかなり面白がっている。
死んだ当人がやってくるわけのないのはもちろんだが、役人Bはどうみても八っつぁん熊さんに肩入れしている。トリオ漫才だったら小ボケ担当。
「この人だったら、本当に当人連れてくるかもしれないですね」。
落語の客は、もともと役人Aよりは本来の立ち位置が、だいぶ八っつぁん寄りではある。でも、さすがに「自分が死んでいると思っている」認知の狂いにまではついていけない。
だが役人Bがいるおかげで、通常よりもより、八っつぁんたちのほうへ連れていってもらえるのだ。
つまり、飛躍の大きな漫才の、いいツッコミの役割を果たすのは役人Aではなく、Bのほう。
その結果、客は噺のものすごい飛躍に楽々ついていけるわけだ。
錦鯉やモグライダーのツッコミの役割を思い起こせばいい。
落語では、大変な発明だと思う。
役人A「(連れてくる)当人ってなんのことでしょうね」
役人B「本人でしょうね」
このやり取り、大いにウケていた。
この日の後の二人はともに新作落語だった。だが古典落語においても、噺を作り上げるという労苦は、なんら変わらないことがよくわかる。
花ごめさんの、恐らく代表作が再び聴けて満足です。