立川生志「ひとりブタ」を読む

大型連休に入り、といいつつ別に自由業の私にとっては何の関係もないのだが、読書をしてみる。

立川生志師の「ひとりブタ」。もう、2013年の書物。
噺家さんの自叙伝としては、圧倒的に面白かった。
この面白さは、真打になるまでの、師の深い自省から生まれたものだ。

面白さの理由は、自分自身と、師匠談志に対する徹底した掘り下げにある。
前座の時代から世間に実力を認められ、その後もずっと人気を誇っていながら、真打昇進まで20年掛かるという悲惨な目に遭う生志師。
師はその境遇を受け入れつつも、理不尽な目に遭い続ける。

「上納金3倍返し」事件というものがあった。故・柳家小蝠、三遊亭全楽、雷門獅篭など、これで立川流を出ていったのである。
生志師、この事件を冷静に、談志が当時投資詐欺に引っかかったためと、それを理由と思いたくはないが結論付ける。
生志師も50万円取られたが、返ってきていないらしい。

だが、暴君として振舞いつつ、時として人間的な弱さ、迷いを見せる師匠。
師匠を許せない気持ちもありつつも、その生志師に対し、しばしばとても優しい師匠。
DV男の恋愛コントロール術すら想起させる。だが生志師、どこまでいっても師匠に対する冷静な視線を失うことはない。
恐らくそれゆえに、談志からすると扱いづらく、なかなか真打にしてもらえなかったのだ。
客観的には、裏面までも 含めて十二分に師匠を尊敬しているのに。
客を入れた真打チャレンジの場で、結論を引き延ばし、生志師自らに辞退をさせる姑息な談志。

不条理を味わい尽くしながら、ものを考えることを止めない生志師、考え抜いた結果、ついには暴君談志と精神的なスタンスを共有するまでに至るのだ。
強くたくましく、一皮むける生志師。
当の談志も、嫉妬や怒りこそ、立派な噺家を作るのだと言って聴かせる。

だからといって生志師、すべてを達観できるほどの悟りを開いたわけでもない。
立川流のハト派と高座で語る生志師、だが小倉の血がそうさせるのか、時として激しい怒りをたぎらせることがあるようだ。
簡潔な文章の背後に、人間の情念が渦巻いていて目が離せない。昔の兄弟弟子への怒りはおさまっていないものもある。
ちなみに、資料的価値も高い。

  • 談志が、生志師を追い越して昇進したある真打について、生志師に電話で「あれは間違いだ(からわかってりゃいいんだ)」と言った
  • ある先輩が、昇進できない生志師を週刊誌上で批判した。怒りのあまり本人に電話で抗議して謝らせた

私は立川流に造詣が深いわけではないのだが、これが誰を差すかはわかる。

「ある先輩」は、別に実名で書いてもよかったのにと思うのだが、明らかに志らくである。
生志師の落語をろくに聴いてもいないくせに批判する実に嫌な奴として、一瞬描写されている。
もっとも、本当に怒ってしかるべき記事だったのか、読者にとってはよくわからない。
内容は、「談志から三橋美智也を歌えと言われているのに、サザンオールスターズを歌っているようなものだ」。
いずれにせよ、兄弟子に食ってかかり、謝罪させる怒りの生志。

そして、常識人の志の輔師が、実質的に一門を取りまとめている姿が描写されている。
生志師のようやくの真打昇進を、わがこととして喜んでくれ、泣いてくれる志の輔師。
志の輔師に対する生志師の目線は、畏敬の塊。兄弟子というより、本来師匠に対すべき種類の敬意。
志の輔師は、談志の弟子の筆頭格ということになっている。だが、この師匠はどうみても談志に100%の心酔をしてきた人ではない。それが生志師の簡潔な筆致から読み取れる。
むしろ、談志に向き合う中で、常に冷静な視点を崩さなかったようだ。真打になった年数の長さは全く違っても、生志師と同じ感性の持ち主のようである。

現在立川流は分裂しているとされる。
志の輔、談春、生志の各師が、二代目家元振っている志らくから距離を置いているようであるが、その原因はこの書籍の行間にすべて書いてある。
決して談志心酔ではない人たちのほうが、立体的な談志の実像をよく知っている。
そして、事実上談志が後継者に指名している志の輔師が、談志を継がないであろうことまで想像がつく。

もっとも、生志師の視点もまた、全体の事象のごく一部に過ぎない。

併せて立川談四楼師の「談志が死んだ」も読んだ。これには生志師について、「立川流四天王」の5番目として扱われ、本人は不服だろうというシーンがあった。

また、談志死後、立川流解散を望んだ一派があったことにも触れられている。生志師がこちらの一派であったことは想像に難くない。

作成者: でっち定吉

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