アニメ「うちの師匠はしっぽがない」完結 一挙放送もあります

お待たせしました。
「うちの師匠はしっぽがない」のカテゴリを作っていたのだが、中身がなかった。
年内で、「うちの師匠はしっぽがない」全13回が終了しました。
明日午前4時から、BS朝日で一挙6時間放送するので、ぜひ録画してご覧ください。
よかったね、まだ間に合いますよ。

後半はもう、毎回涙にむせびながら観ておりました。ホントです。
第2期はあるのかしら。アニメの中で解決していない事象がまだまだあるので。
それに主人公も、前座になったばかりだ。

「うちの師匠はしっぽがない」は、女狐の師匠と女狸の弟子まめだとの、落語での師弟愛を描いた話である。
なんだそりゃ?
狐も狸も、文明化されてきて化かしづらくなった人間たちを、落語でもって、真剣に化かそうとしているのだった。
設定の見事さについては、始まったばかりのときすでに書いた。
最初から狐狸を前提に緩く作ってある設定の妙で、逆にストーリーにリアリティが湧いてくるのである。
大正時代の大阪にいたはずもない女の噺家にもリアリティが湧く。
どんなマンガでもそうだが、架空の設定をリアルにしようと試みるたび、次々リアリティが失せていくことがある。真逆である。
そしてこれこそ、新作落語の作り方に親しいものでもあるのだ。

現実の落語界ときたら、レアな例ではあるにせよ、殺伐とした師弟関係が騒ぎになっている。
師匠が弟子をおもちゃとして弄ぶ特殊な事例とはいえ、ここまで大事になってしまったのは、師匠のやりたい放題が許される構造が解決されていないからだ。
人を支配したい異常な了見の噺家によって、不幸な関係が生産されていく。
そんな中、このアニメは純粋な師弟関係を描いてみせる。百合風味に騙されてはいけない。
ちなみに、主人公は「女の師匠と女の弟子」の関係だが、他にも「男の師匠と女の弟子」「女の師匠と男の弟子」もある。
性別に関係ない、親子関係とも友情とも恋愛とも違う、純然たる師弟の関係性が描かれているのである。
いずれも師匠の芸に惚れて入門しているが、意外と人間性は対等だったりする。博打ですってんてんになってばかりの破天荒な師匠を叱りつける女弟子なんて。
ぶつかって理解しあっていくなんてことはなく、ごく最初から師弟は強く結びついている。そこに涙する。

ストーリーも既存のマンガとひと味違う。
ストーリー進行のためのライバルや、悪役を用意しないのである。ジャンプマンガとまるで違う作法。
東京から来たヤクザの兄貴ですら、アッという間に味方になっている。
最終回において、警察と結託した落語家嫌いの金持ちに主人公まめだはひどい目に遭うのであるが、この、最大の悪役すら勝手に許してしまう。
悪役と闘って成長する、王道の展開はないのだ。
師匠のやることをよく見て、師匠に相談して、落語界でまっすぐ育っていく。
こんなことでドラマになるのか? なるんですな。
「落語に挑む」というテーマが明確に打ち出されているからだ。
そもそも主人公も師匠も、人間でない異形のもの。人間界の落語界という、ハードルが多い。
その中で成長していくだけで、ドラマになるのだ。

ただしまめだは、師匠が弟子は採らないという仲間内での約束に反しているため、いったん破門されてしまい、テストを受けさせられる。
これは物語の中の最大のハードルである。
だが、彼女は与えられたテーマをいずれも正攻法で突破する。
テストを審査する、師匠以外の四天王3人も、最終的には落語に挑む女前座にみな優しい。

毎回の副題も刺激的だった。
ラストの1話前、第12回「君が面白くちゃだめなんだ」という副題もまた。
どういうことか。
テストを受けるまめだの落語を聴き、四天王のひとりは「きみ、面白いね。不合格」。
意味のわからないまめだ。視聴者にも意味がわからない。
だが、説明を省いて語られている内容はなかなか重い。
演者が面白いのでは意味がない。面白いのは、落語の中の登場人物たちであるべきというメッセージだったのだ。
なかなか、日頃落語を聴いていても気づきにくい視線である。

というわけで、落語の本質の詰まったこのアニメ、老若男女問わずぜひご覧ください。

作成者: でっち定吉

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