円楽弟子・三遊亭楽㐂の廃業を美談として読む気持ち悪さ

故・三遊亭円楽さんの弟子・楽㐂が廃業を発表 師匠の死受け「円楽の弟子のまま終わらせてください」 (リンク切れ)

通常、Yahoo!に転載のニュースは消えるのが早いので、元の記事のリンクを貼ることにしている。
だが今日は、ヤフコメの載っているほうを。

(※ Yahoo!のリンクが切れました。よろず~ニュースはこちら

円楽師の、下から3番めの弟子だった二ツ目の楽㐂(ラッキー)さんが廃業するというニュース。
ラッキーとは変な名だが、兄弟子の楽しい(ラッシー・現楽八)とセットだったのだ。
「喜」の変体字である「㐂」の字を付けた噺家はこの人だけだったが、その後落語協会から㐂いちと㐂三郎が出て、唯一ではなくなっている。
ちなみにワープロで出せない場合は「喜」で可。

二ツ目の廃業は、当ブログの読者の皆様が、非常に好むネタである。
昨年も林家扇、三遊亭遊里などが廃業している。2021年の暮れも暮れに辞めた林家扇兵衛もいる。
同じく2021年に、金原亭乃ゝ香(現古今亭佑輔)もいったん廃業。本人のキャリア的には一度も辞めていなかったような形でつながっている。
二ツ目は、羽織が着られ、自分で仕事を取ってこれる身分ではあるが、まだ一人前ではない。だから、二ツ目が廃業したからってそんなに大きく報道されるものでもない。
師匠の横暴により理不尽に辞めさせられたケースを除けば、本質的に大騒ぎするようなものではない。
私も、小三治門下であった小かじ(現かけ橋)、小ごとについては少々騒いだが、それ以外はさほどでもない。

冷たい?
でも、真打になってからまったく高座に上がらない噺家が無数にいることも忘れて欲しくない。今後もこうした人は必ず一定数出る。
形式上廃業をしなかったに過ぎない噺家の現在地はニュースですらない。亡くなってようやく報道される。
廃業する二ツ目、辞める時点での実力は千差万別。だが、最終的には辞めなかったところで、トランクルーム真打になってしまう人もいることはお忘れなく。

楽㐂さん、神田連雀亭に出ていなかったので回数は少ないが、両国・亀戸で過去3度聴いている。
そして、そのすべてを褒めている。珍しいことだ。
なら辞めて残念? それがそうでもない。
二ツ目として評価している人が、真打で必ずブレイクするなんてものでもなく。
二ツ目時点において「真打として評価」している人なら、間違いなくブレイクするはずだしそうでないと困る。
だが、そこまでではなく、あくまでも「将来が楽しみ」のレベルだった。
「将来が失われた」とまでの強い感慨は持てない。

師匠円楽が亡くなり3か月、もうそろそろ新しい師匠につかねばならない時期である。
師匠が亡くなった二ツ目・前座はいったん、実質無所属になる。
だが新しい師匠についたあとは、前の師匠の没後すぐに移籍したようなキャリアになる。
これは以前から不思議である。ただ、空白があると「二ツ目は師匠がいないと成り立たない」という原則に触れてしまうということだろう。
乃ゝ香さんの廃業の経緯と似ていなくもない。

さて、この空白の時期において、楽㐂さんは廃業するのだという。新しい師匠にはつきたくないのだと。
辞めるのは自由だ。
廃業後は家業を継ぐのだということで、そうなると、以前から考えていた廃業を、師匠の死をきっかけにして決断しただけの気もするのだが、それは私の想像に過ぎない。とやかく言いません。
ただ、新しく師匠になる人からすでに「うちに来るか」と働きかけがあったであろうことを思うと、「ぼくは円楽と心中します」はやや失礼な気もしないでもないのだが。

それでも、自由意志による廃業、ただそれだけのこと。
辞めたければ、辞めればよい。
だが、ヤフコメの気持ち悪さにめちゃくちゃ引く。それで記事にすることにした。
なんとまあ、師匠に殉じる廃業を美談と考えるコメントの嵐。

これって、「忠臣は二君に事えず」「貞女は二夫にまみえず」の価値観じゃないんですか?
それとも豪族が死んで一緒に生き埋めにされる古代の奴隷を良しとする心境ですか?
明治天皇に殉死した乃木大将でもいいや。
気持ち悪。ああ、気持ち悪。

落語界にこんな価値観ないわ。
師匠が亡くなって廃業したなんて事例は、師匠・6代目古今亭志ん馬が亡くなって辞めた前座の古今亭志ん吉ぐらいのはずだ。
この人は結局8年後に芸協で再入門した。三笑亭可風師なんだけど。
本当、これ以外知らない。
桂ひな太郎師の経歴は、師匠(志ん朝)が亡くなった際にいったん廃業したかのように書かれているのだが、現実の時系列とは明らかに異なっている。

噺家は、師匠が死んだって死なない。当たり前です。
美談になり得ない話に勝手に感動している人たちが私は怖い。

とりあえず二ツ目・前座は、真打になるまではどこかの一門に置いてもらう(預かり弟子)。
本当に形式的に置いてもらうだけの場合もあれば、または新たな師匠と強い絆で結ばれ直す場合もある。
後者は瀧川鯉朝師とか。

というか、このたびの廃業を美談として読む人からすると、三遊亭好楽師なんかどうなるのさ?
好楽師は、師匠の林家彦六(先代正蔵)が亡くなったときは真打になっていた。
この場合、新たな師匠を持つ義務などない。
だが林家九蔵であった好楽師、わざわざ5代目圓楽に再度入門したのだ。
しかも5代目は、落語協会からおん出ていたので、ここの門下になるため協会を辞めたのである。
その後の好楽師は、林家の噺と、圓生系の噺とを両方こなす噺家になった。
今でも二人の師匠に仕えた思い出を楽しく語る。

噺家には師匠が必要だ。
だが、師匠と心中するもんじゃないのだ。

作成者: でっち定吉

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10件のコメント

  1. 更新ご苦労様です。早速取り扱ってくれてありがとうございました

    楽㐂さんにしても別にお涙頂戴でこういったことを言ったわけではないのでとばっちりみたいなものですよね。

    落語家を辞める理由は色々あっていいと思います、師匠が亡くなったことで続けるモチベーションがなくなったという落語家さんがいてもいいでしょう。楽㐂さんが円楽師匠のことをそれだけ慕っていたことも別に悪くはないでしょう。

    ただ、おっしゃる通り楽㐂さんの記事を見て「楽㐂さんが師匠のことを尊敬していたんだな」と思うところまではいいと思うのですが「全ての落語家が楽㐂さんのようであれ」という師弟愛の押し付けみたいなのはさすがに行き過ぎだとは思いましたね。

    1. いやまったく。
      忠臣蔵のごとく、「忠」の概念に快を覚える感覚まで否定するものではありません。未来にも残っていくのでしょう。
      ですが今回の廃業、業界にはまったく伝わらないのではないでしょうか。
      師匠の死なんて、よくあることですからね。

  2. ヤフコメ見ました。
    気持ち悪いドラマをでっち上げているというか、妄想系スポーツ実況アナみたいな人たちがいるんですね。

    歌舞伎や文楽(人形浄瑠璃)でもそうですが、人間国宝クラスや幹部との師弟関係がないと襲名披露がしにくくなったりする一面もあります。そもそも、師匠につかないと名前をもらって使うことができませんから、師匠や一門の長から離れるというのは、もう、その世界でやる気が失せた、という意味にしか取れません。

    さて、つい先ほど「突撃!ヨネスケちゃんねる」で建て替えられるまで“最後”の正月寄席になった国立演芸場を取材した回を視聴しました。これといった圓楽さんの話もなく、圓楽党の噺家も出ていないのに、圓楽さんも新しい国立演芸場の高座で落語したかったろうに的な妄想系感動うるうるポルノ・コメントが早速あってうんざりしました。
    今年から2029年までに亡くなったり、病気になって高座に上がることができなくなる師匠たちの多くが(ついでに弟子たちも?)、感動ポルノの主人公に奉られそうで、新年早々かたまってしまいました。

    1. いらっしゃいませ。
      ああ、ヨネスケちゃんねるという、落語にいくばくかなじんでいるであろう層にも、妄想があったりしますか。
      いい悪いはよくわかりませんが、気持ち悪いものはもうそう言うしかありません。
      感動したいなら落語そのものから引き出せばいいと思うのですが・・・

    2. 私はヤフコメにも書きましたが、家業の工務店を継ぐと一瞬で理解しました。
      おっしゃる通り本人は、辞めるつもりでたまたまこのタイミングだった気がしました。

      1. いらっしゃいませ。

        ご本人が、辞める理由を師匠に求めるところまでは別にいいと思うのです。
        ですが世間はなんなんでしよ。

  3. なんか記事を読んでホッとしました。ほんと、ヤフコメ見てて辟易してました。
     
    楽㐂さん廃業のニュースを見た時、お別れ会の時の伊集院さんが代表して一門を紹介するニュースの動画をあらためて見ました。当然その中には楽㐂さんもいて、弟子全員で師匠円楽から受け継いだバトンを後世に引き継いでいくんだ、だから皆さんも今後ともご支援よろしくお願いします!的な誓いを立てたはずなのに。
     
    いつ廃業を決断したかはわかりませんが、あの誓いは何だったの?と小骨が喉に引っ掛かってます。

    1. いらっしゃいませ。

      まったくです。

      「真打になるまでなんとか弟子に置いてください」
      「そこまで言うならいいよ」

      なら、美談でいいと思います。

      「真打にはなりません。辞めます」
      「そうかい。仕方ないね」

      これのどこに美談の要素がありますかね?

  4. ファンが高じて落語の道に入ったはいいがその憧れの存在に理不尽に虐めを受けて裁判沙汰に持ち込み、受け入れる新しい師匠も見つからない現状の某氏に較べれば、
    ちょうど家業のこともある転機だし
    二師にまみえずで身を引く
    美談ではなく、ある意味師匠に似たクールな引き際なんでしょうね、元ラッキーさん。
    円楽師は「しょうがねぇなあ」とあの世で苦笑いしてそうですが

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