「江戸落語と上方落語はどう違いますか」「同じです」

「落語協会と落語芸術協会の違い」と異なり、今日はマジメな記事です。
ごくマジメに、世間にない見解を主張する次第。

「江戸落語」という表記をしたがるのは西の人が多い。「東京落語」でもいいです。
いっぽう「大阪落語」とは言わない。「大阪の落語」ならいい。

「落語初心者の持つ疑問」というものを、最近改めて深掘りしているところだ。
「東西の落語の違い」という疑問も、初心者向けのWeb記事でよく目にするもののひとつ。
上方落語家自身も、高座で東西の違いをよく語る。

一般的に語られる東西の落語の違いとは、こんなものである。

  • 言葉が違う
  • 出自が違う(東はお座敷、西は大道芸)
  • 少人数にじっくり語りこむのが東、賑やかにして通りすがりの客の目を惹くのが西
  • 上方落語は見台と膝隠しが付く。拍子木を叩いてリズムを取る
  • 上方落語はハメモノ(劇中の三味線)が多い
  • 上方落語のほうが笑いを追求する。東京は人情噺の価値が高い。
  • 上方落語のほうがだいたい下品
  • 武家社会の江戸落語のほうが気取っている。上方落語のほうが庶民目線
  • 上方落語には階級(前座・二ツ目・真打)がない

というところ。どれを読んでもほぼ一緒の切り分け。
プロが語ることも、おおむね一緒。

だが、これらの違いは、真に重要か?
あまりにも、語る内容が紋切り型だ。「一般的にはこう思われているのだが、実のところ私はこうだと思う」という見解はまず目にしない。

上方落語界に階級がないなんていうのは、歴史上消滅してしまったという、それだけのことである。
ただの結果であり、東西の落語の本質的な説明にはならないのだが、こんなのも「上方は実力本位だから階級を欲しない」なんて説明が加わったりする。
エスカレーターのどちらに立つかと同じレベルの後付け説明である。
私はエスカレーターの立ち位置が確立された時代を覚えているが、東西で調整なく同時に勝手なルールを導入してしまっただけというのが真相だ。
あんなものすら、「武家社会だから刀が触れないよう左に立つ」みたいな後付け説明をする人がいる。

「上方落語は見台と膝隠しを使う」という極めて有名な事実すら、正確でもない。
本当は、「上方落語では見台と膝隠しを使うことがある」である。
なくたって噺はできるし、実際、する。
上方落語界における、極めてスタンダードな一席に「動物園」がある。人間がライオンに化けるあの噺。
このメジャーな噺を掛けるときは、見台は邪魔だ。ライオンの仕草が見えなくなるからである。

出自の違いも、現在の東西の落語の説明にはならない。
なぜ見台を使うかという説明にはなるが、それぐらいのこと。
今でも西の噺家は、客の足を止めるために大声なのか。そんなことはない。
東にだって、「前座はとにかく大きな声を出せ」という教えはちゃんとある。だから前座だけマイクが切られたり。

庶民目線云々も、まるで間違いとは言わないがなんだかなと思う。
東京には確かにさむらいの出てくる噺は多い。だが、侍も庶民目線で描くのが東京落語だと、少なくとも私は思っている。
目黒のさんまの殿さまは、支配階級に映る? 私にとっては仲間だけど。
松曳きなんて、四六時中粗忽のお武家たちの噺である。あれを支配階級の落語と見る?
それに上方にも、「佐々木裁き」や「宿屋仇」「鹿政談」など、楽しいお武家の噺がある。今後増えるだろうとも思う。
これらが西でマイナーな噺のままとどまっているのなら、上方落語は庶民を描くと言っても間違いではなかろうが。
だいたいですね。水戸黄門など権力を使ってスカッとする時代劇、関西人のほうがずっと好きでしょうが。数字も取るし。

なんでこんな、得体のしれない共通認識ばかりがまかり通っているのかな。
今日、ここに新しい宣言をしたい。

江戸落語も上方落語も落語です。ほぼ同じです。

私は本当にそう思っているのです。
東西の違いより、演者ひとりひとりの違いのほうがずっと大きいということを。
東西の交流が明治以降ずっと続いていて、渾然一体になって久しい。強調する違いなんてそれほどない。
今では東京でも出囃子が鳴るし、時としてハメモノも入る。
東京落語の多くは上方ルーツであり、これもまた自然なこと。

最近では、東から西への流入のほうが目立つようになってきた。
なにしろ、東京よりも上方で「野ざらし」が流行っていたりする。
中村仲蔵とか淀五郎までやってるものな。
いいことと思う。つい20年前まで、上方ではいつも同じ噺を掛けているなんて評価もあったわけで。
上方落語大好きの故・柳家喜多八が嘆いていたようだ。
その後関係者の努力により、東から噺をだいぶ持ってきた。
泥棒噺のエキスパートである笑福亭松喬師は、「転宅」とか東京の泥棒落語をすべてやったはず。

こんな時代になって、なお「上方落語はしつこいから嫌い」なんて言っていたら笑われますぜ。
上方落語でも最右翼のしつこい落語を掛ける桂雀々師は東京で活躍中。
私自身も、雀々師はちょっとこってりしすぎて胃もたれするなと思う。
だが雀々師を聴き「上方落語はしつこい」と声を上げるとしたら、こんな拡大解釈もないもんだ。
「この人はこってりした落語だな」という感想でいいのである。
上方落語にも、水のようなアッサリした落語もあり、東京落語にもしつこいのがある。
東西の違いなんて着目し過ぎずに、自分の好きなものを見つけていきましょう。
繰り返しますが、同じ落語です。種目が違うわけじゃない。

私も落語を聴きに大阪に行くつもりがずっとあるのだが、なかなか行けない。
でも、今度の春ぐらいには遠征してみたいと思っている。
東京でも上方落語を聴いていきますよ。

作成者: でっち定吉

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