上原寄席(下・柳家小せん「崇徳院」)

仲入り休憩のあとは抽選会で、色紙が3枚当たる。
じゃんけん大会である。
扇太、美馬のふたりで盛り上げる。

柳家小せん師登場。
とにかくアベレージが高く、マイナス面のない人だが、突出することは少ないかも。
では地味かというと、そんなこともない。寄席ではチームプレイに徹しつつ、虎視眈々と爪を研いでいる。

この季節は粉のようなものが飛んでまして、もう名前も言いたくないですが。
喉は痛いし目はかゆいし、鼻は詰まるし。
頭の中身ごと水洗いしたくなりますね。

昔から四百四病と言いまして、病気の数は404なんですね。今のほうが増えていると思います。
ただこの中に含まれない病気がありまして。恋わずらいというものが。

恋わずらいというと、幾代餅か、崇徳院か。
崇徳院だった。春の噺というわけでもないだろうが、春めいた噺。
わりと普通の演目で、やや意外な気もしたのだった。寄席の小せん師なら普通だろうが。
だがこの一席、崇徳院の最高峰と言いたい、すばらしいものでした。もともと私は好きな噺です。
決してギャグに走らずに男女の想いにじっくり迫り、しかしながらとっておきのギャグも多少仕込んであるという。あくまでも多少。
まさに小せん師の個性が100%活きる演目。

細かい部分が丁寧だ。
若旦那がなぜ弱っているか。
清水さまでの出逢い以来、若旦那の目にはなんでもかんでもお嬢さんの顔に見える。ここまでは普通。
おまんまっ粒までひとつひとつお嬢さんの顔に見える。だから食べられない。
なるほど。理にかなっている。

床屋のシーンでは小せん師、ご自分の武器である頭を撫でまわす。もうどこも刈るところがない。
眉毛までなくなっちゃった。
床屋にもお坊さんと呼ばれている。本人もくたびれ果てていて、いちいち訂正しない。

最近聴くのはみな「水の垂れるようないい女」だったが、久々に「水の滴るいい女」だった。個人的にはこちらが好き。
どっちにしても、熊さんにかかるとビショビショの女ではある。
そして和歌は「瀬をはやみ岩にせかるる『たきかわの』」。
濁らないんだ。なるほどな。ここが濁らなければ、この歌すべて濁音がない。
こういうちょっとした部分が噺をゆすぶり、全部ためていくとちょっとしたズレになって実に楽しい。

「(お嬢さんが見つけられなかったら)主殺しであたしゃお上に訴えて出る。打ち首獄門の上市中引き回して遠島だ」。
その刑罰、無理があるんじゃねえすかという軽いツッコミが最高。
でも、こんなところ決して広げないのである。ラブロマンスには邪魔でしかないんだから。
「日本中に捜索部隊が出る」みたいなクスグリも、邪魔だよなあ。小せん師は入れない。

とっておきのギャグは、かみさんの使い方。
最終日の5日目、今日はあたしも動くよとかみさん。
お嬢さんと逢った清水さまの境内へ行って、あたしも「背をはやみ」やってくると。
最後のシーン、床屋で熊さんの出会うお嬢さん側のカシラが親方に語る。清水さまに行ってきたら人だかりだ。
おかしな女が「三軒長屋」と叫んでいたと。

そうなのだ。このかみさん、亭主の尻は叩くけど、自分も何かしたらいいのにと思わないでもない。
そこを解決し、かみさんも必死で動くのだけど、叫ぶ内容が間違ってしまうのだった。
本来だったらそこで解決していたわけで、さらに面白い。

「崇徳院」のWikipediaを読むと、五代目松鶴や先代春蝶が、サゲが気に食わないと考えていたという。
「割れても末に買わんとぞ思う」って、私はいいサゲだと思うけども。床屋だし。
いいじゃない、みんなが幸せになる結末のフレーズ、くだらなくて。

小せん師は、池袋下席の新作まつりの29日に「コブシーランド」でトリ。
コブシーランドのフルバージョン、聴きにいこうかな。

2時間のいい会でした。
再訪もあるかも。

帰りは代々木上原の駅に、坂を下りて向かう。実に平地に乏しい街だ。
ハチ公バスが目の前を渋谷に向かっていった。まあいい、電車で帰ります。

(訂正)「逢はむとぞ思ふ」に「ぞ」が入ってましたね。濁点あり。強調の係り結びですな。

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作成者: でっち定吉

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