パワハラ防止策よりも「協会内フリー」を認めるほうが得策(上)

元・三遊亭天歌さんはいまだ元師匠と係争中であり、落語の活動はストップ中。
事件が表沙汰になって、もう1年以上経つ。
FRIDAYに告発記事が出てからも、はや半年。
裁判、特に民事訴訟は時間がかかるものである。私もかつての勤務先を訴えた際に、和解まで1年掛かりましたね。
私の場合は本人訴訟だったので手間を掛けた分、十分儲かったし、なにより溜飲が下がった。
とはいえ一般的には弁護士費用も掛かる。勝っても満足とはなかなかいかない。

この師弟対決が始まってから、それまで大ファンであった師匠・圓歌が大嫌いになった。
人間として、極めて異常だとしか言いようがない。
見事な話芸の持主ではあるが、人間性に根本的な欠落を抱えた人の高座など、もう聴けない。
いっぽうで弟子の落語のほうは決して好きではなかったのだが、それでも当ブログでは全面的に弟子の味方をしてきた。

ただ署名活動に注力し出したあたりから、徐々に弟子の活動に対し私の中で心理的な距離が生まれてきた。
なんだか闘い方が違うんじゃないのという違和感が、このところずっとある。

整理しておく。

  1. 元天歌さんがどの門下で復活するか
  2. 元師匠との係争
  3. 落語協会にパワハラ防止策を実施させること

この3つ、本質的には同根であるにしても、それぞれ別個に進んでいる話である。
1は2が解決してからになるのだろう。

元弟子は、ひとまず元師匠に破門届を出させることには成功した。
元師匠が「自主廃業」で辞めさせようとしたのに抵抗したのだ。これは「クビ」宣告した師匠の言質を取ったものである。
破門により、弟子のほうは落語界のルール上、どこの師匠の元にも行けるようにはなった。
とはいえ、誰が採ってくれるか。
落語協会が一枚岩とは思わない。元師匠の世話になっている噺家がそこまで多いとも思わないので、係争が済んだら誰かは採ってくれると思うのだが。
それこそ、元天歌さんの味方の中にも真打がいるので。
名目だけの師弟関係でも、真打にはなれる。なってしまえばこっちのもの。

ところで労使関係だったら、雇用主に解雇を迫る闘い方は変則的。
皆無ではないが、一般的にはこれは雇用関係を失う代わりに多額の金銭を引き出す手段として使われるものだ。
すでに世間と、闘いの方法論が違っている。
そもそも根本から仕組みが違う以上、闘い方が違うのは当たり前。だが、労使関係のイメージを使ってアピールしないと世間には伝わらない。
初めから深刻な矛盾を抱えている。

一般企業や団体においては、労働者がパワハラ(セクハラでも)を訴える場合、合法的な圧力を背景にすれば勝てる可能性がある。
企業の決定権を持つ層の合理的判断に影響を与えればいい。
パワハラ側を守っていては企業イメージが失墜しかねないのであり、経営陣が合理的なら、パワハラ上司の側を異動させたり、時にはパワハラ加害者を追い詰めてトカゲの尻尾にしたりなど、いろいろ手があるわけだ。

2は、民事での損害賠償は確実。
刑事のほうは進んでいるのかどうか? 全然動きはなさそうだが。
ところで以前も書いた通り、元師匠・圓歌にとってどういった結論が出たとして、多少のダメージにはなるが、決定打にはならない。
師匠が廃業したり、協会を辞めたりすることもまずない。
寄席にも顔付けされ続ける。
私は師匠が出ていても行かないが、寄席に圧力を掛けて出演させないようにする闘い方も存在しない。

1と2は、なるようにしかならない。
協会から出て、例えば立川流に行く手段だってなくはないが、3がそれを縛っている。
現在、3が過剰に目立っている格好になる。

署名の内容はこちら(Change.org)

労使の場合は、パワハラ加害者と所属団体は同一の敵になる。
だが今回の場合、すでに所属団体は逃げ気味である。
師匠圓歌が理事を退任してしまった以上、落語協会と元師匠圓歌とは一応切り離された。
協会には、元師匠に対する直接的な責任はもはやない。
道義的なものを含めても、どうだろう。
業界団体として考えるなら、業界の名誉を貶めた構成員を処罰することはあっていい。だが、そんな規定もなくて。
団体だからといって構成員のライセンスを握っているわけでもなし。

だから、署名に行きついているわけである。
世論の喚起、そしてさらに大きい理由として構成員からの圧力を狙い。

でもねえ、と思う。
落語界にパワハラなどあって欲しくないのは、協会員だって同様だろう。ここまでは広く賛同が得られる。
だが次に、仕組みとしてパワハラの相談窓口を作ろうとなると、協会員としても思考が追い付かないのでは。
協会員すら及び腰なら、世間からの圧力もさして利かない。

理不尽な師匠がいるとする。
ご承知のとおり、圓歌ほど理不尽な人はそうそういないはず。近い人は何人か思い浮かぶけど。
特殊な例を引いて、落語界のパワハラを取り締まろうという発想が、そもそもピンと来ないのでは。

もう少し一般的な例だとして、弟子が師匠との関係に悩むとする。これはパワハラではないかと。
しかし、そこで「協会に相談し、師匠に指導してもらおう」と考えるまでには、相当に距離があるはず。
元天歌さんとしてみれば、「君は悪くない。悪いのは師匠なのだから、君が辞める必要はない」という主張だ。それはわかる。
だが、そんなシチュエーションが、天歌事例以外にあるのか? 果たして一般的なものなのか?
「師匠が厳しすぎるが、もうちょっと理不尽な行為をやめてもらえばまだ頑張れる」そう思う弟子が今後現れるか?
そのあたりが、違和感の最大の原因なのだと思う。
そして、「破門」という師匠側の切り札に対しては、パワハラ防止窓口を作ったとて、実は対抗策はない。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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