パワハラ防止策よりも「協会内フリー」を認めるほうが得策(中)

元・三遊亭天歌さんは一度も、「弟子が破門される仕組みが間違っている」とは言っていない。
弟子をサンドバッグとして使うぐらいなら破門しろという主張が先に来る。
師匠は、理由を問わず弟子をクビにする権利を持っている。このルールと闘おうというステージはこれまでも、今後もない。
これもまた、労使関係とはまるで違うものだ。師弟関係を労使のようにとらえ出すと、落語ファンはもう、誰もついていけなくなる。
破門があるからこそ、師匠のほうが偉いままでいられるわけだ。
いざというときに弟子をクビにできなくなるなら、誰も弟子は採らないだろう。なにしろ落語の師匠というもの、弟子を持ったら持ち出しばかりで、利益など皆無。

落語に詳しくない人の中には、この破門ルール自体に不快感を持つ人だっているでしょう。
有望な弟子が師匠の気まぐれで将来を奪われてしまうのなら、やがて伝統芸能は滅びてしまうと。
しかしよくしたもので、そんなことは今までも、これからもないのだった。

真に有望な人に対しては、どこからか助け船が現れるからだ。
桂しん華、春風亭かけ橋という人たちについて、「わざわざ芸協でやり直し前座を務めざるを得なかった」と捉えると実に辛そうだ。元天歌さんも、この例に言及している。
だが、前座を繰り返させた背景には、芸術協会の深慮遠謀がある。当人たちの今後を慮ったものなのだ。
実際、立川流から移ってきて前座を1年務めた立川吉幸さんは、短期間で真打になった。
前座を務めたおかげで、誰もこの人を悪く言わない。

真打になっていたから若干背景は異なるものの、現・三遊亭遊雀が芸協に移籍した事例など、救済措置の最たるもの。
落語協会と芸術協会が一緒になって、そうそうない移籍をお膳立てした。遊雀師の才能が埋もれてしまうことを、落語界全体が惜しんだためである。
どうでもいい人だったら救済はない。落語界自体が、最初からルールとは別の切り分けをしている。

師弟のどちらに問題があったとして、関係性に亀裂が入ってしまったときに、協会が「パワハラだ」と介入するイメージはどう見てもない。
そんなことより、師弟関係をトレードしたほうがいい。
今までもそうだったし、今後もそうしたケースはあるだろう。
落語協会は近年、破門者を協会内で拾うのを、申し合わせ事項として禁じていた(らしい)。
だから芸術協会に流れてしまう構造になってしまったのだが。
拾わない理由は、香盤がぐちゃぐちゃになるからなんだと。香盤(噺家の序列)とは、噺家を続けたい被破門者よりも優先されるべき聖域なのだった。
しかし久々に、金原亭乃ゝ香改メ古今亭佑輔という、破門移籍例が現れた。
状況から見るだに、協会が「元の師匠が明らかによくない」という価値判断をしたとしか思えないのだ。
こうやって、価値判断がルールを捻じ曲げることも珍しくはないのだった。
過去の救済事例と違い、「実力」についてはちょっと疑わしいのだけど。でもスター性はあると見たのだろうか。

圓歌は、移籍を画策した弟子(複数)を殴りつけて断念させたという。
まさに支配モンスター。
自分の支配から逃れることは絶対に許さないという、狂った了見。
だがこの際は、「暴力」が事実を決したのであり、「移籍はまかりならん」という沙汰が出たわけでない。この点気を付けられたい。
つまり、ルールとしての移籍が封じられたわけではないのだ。
この際行使された「暴力」を打ち破るのに、パワハラ防止を持ち出すのは、やや迂遠なのである。

「噺家を続けたい」という本人の意思はどこまで尊重されるべきなのだろう。
「師匠のおかげで噺家にしてもらったくせに、なにがパワハラだ」と考える師匠もいるはず。
ともかく、廃業を自己の意思で決定することはできるのに、「師匠から離れてやり直す」権利は現状ない。
人の意思決定を尊重するなら、この部分がもう少しなんとかなっていいかもしれない。

というわけで、ようやくタイトルを回収しますが。
「師匠のところを辞して、なお活動し続ける権利」ぐらい、あっていいのでは。
というのは「協会」の枠組みを外して捉えるのなら、これは古来そんなに不自然なことではないのだった。
いったん古い師匠と関係を断っておいて、それからゆっくり次の師匠を探すことは、落語界の掟にも必ずしも抵触しない。
「二ツ目と前座は、師弟関係が切れたら廃業」というのがいささか乱暴なわけである。
先の佑輔さんの事例は、明確にこれが認められたものだ。佑輔さんはいったん廃業して、時間を置いて新たな師匠に入門している。
公式には、空白は存在しないことになっているが。それは、トレードが決まってから移籍しないといけないというルールがいまだ機能しているからだ。

いったん協会員になった以上、師匠との関係を切ってからも活動できてもいいのではないか。
実は元・三遊亭天歌さん自体、現在これに近い状態になっている。師匠から破門されても、協会員ではいるのだ。
その資格で、落語協会の会合に出席しているわけである。
ただ、高座名がないので活動をしていない。
この状態で、落語をすることに本当に差支えがあるのだろうか?

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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