江戸家猫八襲名披露@国立演芸場(下・トリの猫八)

爆笑の口上の後、再度幕が開いて林家彦いち師。
黒紋付から、いつものジャージ羽織に手早く着替えている。
口上とまったく同じテンション。
定番の学校寄席マクラを、口上で話していた「森」に例える。器用な人だ。
清水の女子高の森に飲み込まれた話。こわいー、かわいいー、ありえなーいの三連発。

羽織を脱いだのだが、「羽織を脱いだら噺に入ると思ったら大間違いです」。
いったん噺に入ろうとして、急にマクラを続けたくなったものと思われる。
正月に朝霞で聴いた、白神山地の赤石川において、個人情報と特徴を記載する話。
手短にとても盛り上がる。

彦いち師、改めて気づいた。他の噺家とマクラの進め方が相当違う。
彦いち師は、喋りながら解説を逐一入れていく。そして、これは以前から。
噺家が自分で喋ったネタの面白さについて解説し出すと、だいたい逸れてしまう。だが、ドキュメンタリー落語で鍛えた師にとっては、なんらハードルにならない。
先週いたく感銘を受けた文珍師とちょっと共通項がある。文珍師は解説は入れないが、語るネタの中身を「面白い」と自ら発する。
先月黒門亭で古今亭佑輔さんを聴いた際、なんでわざわざネタに説明を入れるんだろうと疑問に思ったのだが、結局話芸は人によるという結論。
スタイルが受け入れられれば勝ち。

本編は「みんな知っている」。
公開ネタ帳には「みんな知ってる」と書かれていた。タイトル変わった可能性もあるが、前座の書き間違いかもしれない。
短い時間でもできる師の定番ネタと思うのだが、寄席で聴くのは初めてだ。
テレビで最初聴いた際は、実はあまりピンと来なかった。サゲもなんだか変だなと。
サゲにつき研究を積んだ(野暮だ)今だと、実に落語らしいサゲの付け方であることがわかる。
隠し持ったエロ本の存在が、母親から町内、交番から学校にまで知れ渡るエスカレートの度合いは、上方の文枝系統を思い起こさせるものがある。
だが東京らしいのは、人物描写をしないところじゃないだろうか。
噺がそれだけ、軽くなっているのだ。

次の権太楼師は、ヒザ前でなくヒザだ。寄席で噺家がヒザなんてそうそうないこと。
つるを軽くやっていたが、寝てしまった。
権太楼師のつるなんて珍しいから聴きたかったのだけど。なにしろこんな際はほぼ代書の印象。
明治座まで冷やかしたりしてるからこうなる。
この日は1日券持ってるからアホみたいに歩いたわけではないのに、1万歩を軽く超えました。

トリは主役、江戸家猫八先生。
立ち高座であり、洋服に着替えている。いつものように軽やかに駆け込んで登場。
史上初の色物の50日間連続披露目、49日目である。

30分の高座を務めることは、寄席では通常ない。外ではあるのだろうけれど。
ともかく、それだけの長尺を聴くのは私は初めてなのだが、まったくダレるところがなくて本当に恐れ入る。
基本、リラックスさせる高座であるが、たまに今からマイナーな動物の真似をするぞとピリッとさせる。
その刺激もしかし、必要最小限で放り込まれるのでやはりリラックスさせてくれる。

もともと、寄席でもって客をリラックスさせるその腕の見事さに、早くから襲名を期待していた。
よく考えれば、落語の真打と比較しても決して芸歴長くないのにだ。

長い高座のため、あまり語られない二代目猫八の話が入る。
曾祖父(初代)逝去時、三代目はまだ若かった。初代の弟子が三代目までの間をつないでくれたのだと。
そして父である四代目の思い出。
子供の頃、お風呂で父がぼくの小指を咥えてウグイスを鳴いてくれたのは、大きな原風景。
あなたが嚙んだ小指が痛い。
ウグイスは何年練習してもまったく泣き声にならない時期がある。
だが、原風景のおかげで一切焦らない。やがて祖父にも父にもあった豆が指にできる。ウグイス豆。

師匠である父が教えてくれるのはウグイスのみ。
動物モノマネは、師匠のしているモノマネのマネではないからだ。
あとは、実在する動物自体が先生となる。その先生について学びなさいと。

あまり知られていないゴリラの声マネをついに身に着け、実際に動物園で会話を試みる。
本物から返ってきた反応は「あっち行け」。

舞台の上手には、披露目なので招き板が並んでいる。不思議なことに「江戸家猫八」と書かれた板が3枚。
話を聴いてわかったが、三代目と四代目の板なのだった。
「噺家は下手な二世ばかりでうんざりだ」なんて無責任に言い放つ人も、猫八先生の高座に親子4代の積み重ねが溢れていることには感じ入るに違いない。
だから梨園の特殊性だって、一方的に糾弾なんてできるものではない。

今やモノマネ以前に、大変な話術を身に着けている猫八先生。
ピン芸で最も共通項が見つけられる人が、ねづっち。
猫八先生もねづっちも、ネタがいかに生まれたか、その裏側をよく語るのである。
昔は私生活を見せるこういう手法は野暮とされたのだろうが、現在は舞台に奥行きを与えてくれるものだ。

先代が学校で「カバ」をリクエストされ、そんなレパートリーはないがまったく引かず両手でもって、口を開くカバを表し「カバー」と叫んでバカウケを得た。
しかし当代は、めったに鳴かないカバの鳴き声を求めて動物園に日参する。

お客様への感謝がジワジワ舞台に溢れ、思わず涙腺が緩む。
感動の30分でした。

今後寄席でもって長尺が聴けるとなると、池袋下席の落語協会特選会ぐらいじゃなかろうか。

仲入り後の短い時間、しかも途中寝てしまったが、大満足でした。

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先代の本です

作成者: でっち定吉

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