【THE SECOND】ギャロップ林のひとり芝居は「質屋蔵」である

漫才の新たな大会、THE SECONDを観ました。
漫才のその中身は実に面白かった。
だが、ドラマ性を求めてM-1グランプリに注目する人たちからすると、ちょっと感情移入しづらいところもあったのではないか、そう想像します。
まあ、仕方ないですね。
仮に大会が無事4年ぐらい重ねられ、漫才師が確固たる目標として目指すようになれば、ドラマ性が勝手に湧いて出てくるようになる。
こればかりは、演出でどうなるものではない。むしろ、番組があざとくドラマを盛り上げようとしていなかった点はよかったのでは。
いきなり過剰演出気味のM-1を真似たら、1回目にして大コケしたであろう。

M-1グランプリとキングオブコントに関しては、お笑いとして語る私であるが、今日は落語絡みで。
優勝したギャロップの決勝ネタは一番面白かった。
ハゲネタオンリーでは疲れますからね。
報道によると、4分間ボケの林がひとりで喋り続けたのだそうだ。架空のフランス料理人の修業の様子。
で、これはまさに「質屋蔵」だなと。コロコロストン。
質屋蔵においては主人が番頭さんに、やむなく質入れした帯に恨みを残して死んでいったおかみさんの話をとうとうと語る。全部妄想なんだけど。
ところで落語の場合、番頭が消えてしまっても全然構わない。落語の客が、あれ、このシーン一体何なんだろと道に迷ってしまったとして、そんなのもいいだろう。
いっぽう漫才の場合、ツッコミの相方がいなくなってしまうわけにはいかないのだ。
消えられない以上、義務的になにかしら仕事をしなければならない。仕事をしないと、客が変な感想を持ち、妄想に没入できなくなる。
今回のギャロップ毛利、この仕事が絶妙に思えたのだ。
しっかり主張はしつつ、しかしボケの妄想の邪魔はしないという点で。しかしながら、漫才の客が「この人仕事してない」と思わない程度に。

1回戦に出ていたスピードワゴンも妄想ネタであるが。
こちらツッコミ井戸田は、有名人であるために、目に見える仕事をしなければならない。
その分、ボケ小沢の妄想が中断されてしまう印象を受けた。中断させに行ってるんだが。
難しいものだ。ギャロップの場合、もともと、ハゲフィーチャー・ボケ主導漫才なのが功を奏する。
他に考えられる手法が、ボケがツッコミを切り捨ててしまうというパターン。
これも笑いの手法としては存在するが、ただ、落とし穴だ。客の共感がしぼんでしまう。
この点、林はギリギリのところで相方を無視していない。

ギャロップのネタ、「質屋蔵」から引っ張ってきたのならいいな。たぶん違うけど。
ともかく漫才師たちも、落語から学んでもいいんですよ。
まあ、スピードワゴンがやっていたとおり、漫才でもたまにあるわけだけど。
スピードワゴンといえば、うちの高校生の息子がネタでの活躍時代をまったく知らなかったのが面白かった。「あまーい」も知らなくて、ハンバーグ師匠のイメージなんだって。

落語の妄想というと、野ざらしや湯屋番もある。
ただ野ざらしや湯屋番の場合、妄想の世界は自立していない。あくまでも、妄想に浸る男を周りが見守っているスタイル。
妄想ではないけど、ひとり舞台を延々と続けるパターンは、「近日息子」が似ているかな。

インタビューでギャロップ、「最近舞台の数が減っていた」と語っていた。
日ごろから面白いと定評のあるコンビですら、そうなんだと。
寄席の噺家さんも一緒ですけどね。一定の人気のある人なのに、気づくと顔付けが減っているという。

そのギャロップが最初に破ったのがテンダラー。
個人的には、こちらのほうが面白かった。
別に採点にケチをつける気は一切ありません。痛いお笑いファンは、まず審査にケチをつける態度から改めたほうがいいと思う。
テンダラー、いっときナイツのBSの番組に頻繁に出ていて、親しみを持っている。
大阪の漫才も、浅草漫才と親和性が高い(こともある)のである。まあ、吉本の漫才師が漫才協会に入ることはあるまいが(オードリー若林は入りたいらしい)。

あと、感心したのがトップバッターの金属バット。
ワクチン反対派など危険なネタを放り込んで、しかし変な感じにしなかったところに。
ネタの題材というものは非常に難しい。仮に爆笑問題があんなネタを入れて、ツッコミ田中が必死で否定しても、ネタ全体にやらかした感じが残るのではないか。
客の気持ちに沿わないネタを展開したら失敗なのだが、そんなのを「勇気がある」と褒めるわけのわからない茂木健一郎がいたりして。
だが金属バット、かなりやばいネタからほぼ無傷で抜け出してきた。
これは明らかに、二人の立ち位置のなせるワザである。
ワクチンネタをたしなめるツッコミ友保は、最初からボケ小林の対立軸にいない。最初から、同じ世界観をかなり共有している。
ことわざを教えてもらう八っつぁんと、隠居なのだ。
その隠居的ツッコミが、やばいネタの瞬間突然相方を否定する。これにより、同じ世界観が一瞬で常識のほうに振れるわけだ。
やばいネタを繰り出すボケの立ち位置も一緒に変容するため、変な感じ、突き刺さった痛みを残さない。
さらに、「ワクチンにICチップが入っている」という都市伝説をツッコミが採用することで、共有した世界は再びやばいほうに振れるのだが、客はいったん常識のバイアスを働かせているので、やはり変な感じにはならない。
なるほど、かつて彼らが人種差別ネタをやったというニュースを見て、ネタ自体は見ていないのだが、そらよくないなと思っていた。
だが当時も、同じ方法論で行けると思ったんだろう。

この、「共有する世界自体を揺すぶる」方法論こそ、落語のほうでも使えそうだなと思ったのだ。
強いツッコミでなく、ごく緩やかにたしなめていくことで、客の変な気持ちを救うことができる。
春風亭百栄師とか、使えそう。

マシンガンズは技術的にはすごいなと思った。
しかし本人たちも言うように、準優勝がマシンガンズなんて、どんな大会だよとふと我に返ってしまう。
特需はありそうだから、名実ともに売れたらいいんだ。

来年は大会に、ドラマ性が少しは加わっているだろうか?
ギャロップ、今さら東京に出て来ることもないだろうし、特需があっても変化が見えそうにないのだけちょっと残念。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. ギャロップの最終決戦の漫才と「質屋蔵」との親和性、なるほどと感嘆しました。
    漫才だけではなくコントやR-1グランプリ等のピンネタにおいても落語から学べることは意外にもたくさんあるかもしれませんね。

    1. いらっしゃいませ。

      落語から学べることは多数あると思いますが、お笑い界の若手はあまり聞いてないでしょうね。
      不思議なことに、ある程度頂点を極めてからでないと、みな落語には気づかないようです。
      お笑いから落語に入ってくる人はもちろん気づいたのでしょうけども。

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