山崎まさよしグダグダライブおかわり

僕は寄席にいる。でっち定吉です。
昨日好評だった山崎まさよし「歌いたくない」事件、調べれば調べるほど興味をそそられるので続編。
決してその場にはいたくないけれど。
聴衆の膨れがった期待と、それに掛けた各人の手間とを考えたとき、やはり返金を受けたとて精神的苦痛の埋め合わせはムリだ。
「千葉から来たのに!」と叫んだという女性は象徴的。
たかだか隣県じゃねえかなどと言ってはいけない。その人の期待と手間がやすやすと裏切られるさまに、悲嘆を禁じ得ない。

「不完全な芸の提供があり、その事実自体は面白いものの、決して満足度は高くない」という実例を、ひとつ思い出した。
ブログ始める前の、池袋演芸場の芸協の定席である。
ナイツを楽しみにしていったら、塙がなぜか柳亭楽輔師匠と一緒に出てきた。
なんでもツッチーが舞台を失念して、来てないらしいのだ。
一生懸命漫才らしきものをやっていたが、ついに塙がKO宣言。さすがにもうツラいですよ師匠と。

その後、テレビかラジオで塙からこのウラ話を聞いた。
この際楽屋で、楽輔師匠がノリノリで出ようと言ってくれたとのこと。舞台では楽輔師が無理に引っ張り出された体だったが。
椿事ではあったが、即席漫才の中身なんて覚えてない。満足したとはいえないな。入れ替わり立ち替わり出てくる寄席でもって、「金返せ」とは微塵も思わないが。
ちなみに通しで夜席をそのまま聴いていたら、二ツ目さんが出た後の高座返しを、ツッチーがやって頭を下げていった。
夜席から来た人には意味がわからなかっただろうけど。

水戸の前にあった座間のライブは、トーク多めだったが客は満足していたとの情報もある。
ちなみに座間の会場は、「ざま昼席落語会」と同じハーモニーホール。座間市ではここしかホールはないから当たり前だが。
座間ではまさよしトークが炸裂したのだろうか? そうは思えない。
こちらでは、しっかり数歌ったからに過ぎないと思う。
さらに座間と水戸で、大きく違ったことがあったと想像している。
恐らく水戸では、ツカミにおいて大失敗したのだ。
水戸で何が語られたか、次々情報が入って立体的になってきている。
トーク下手のくせにトークで乗り切れると思ったハンチクミュージシャンの最大の誤算。いや、今までの音楽活動が半チクだなんて言わないけどさ。
冒頭いきなり、「今日はトークを聴きたい客のためにライブを務める」という内容を語ってしまったのだ。
すなわち、「曲を聴きたくて来た方の望みは拒絶します」と宣言したに等しい。

もしかすると、とっておきのギャグだったのかもよ。
しかし結果として、自分のファンを拒絶してしまった。
これがすべての始まり。

もっとも、語りの本職である噺家も、マクラでしばしばしくじっている。
毎回のようにしくじる残念な人までいる。
ギャグのつもりで悪態ついて、本当に場を凍りつかせたり。
二ツ目の頃の桂宮治師からも、露骨な悪態をぶつけられ、ひどい目に遭った。意味がわからん。
伯山、鯉八、A太郎と、成金は困った人たちの多いユニットだ。小痴楽師なんか、攻めてもまずしくじらないけど。

さて、同じ事象の中の、違う方面。
今回、現場にいたさまざまなファンから貧相なトークの内容が集められて、だいたい明らかになってきた。
ツカミをしくじったのを取り返してもいないのに、延々とオチのない話をされたのだという。これはキツい。
それにしても、「オチのない話」を復元するのはとても難しいのだということが、よくわかるエピソードだ。
落語の本編に続けるためのマクラは、筋が通っているのでわりと復元できる。あっちこっちへ飛ぶと、とたんに頭に残らなくなる。支離滅裂だったという記憶以外。

私もいつも当ブログで、噺家さんのマクラを書いている。
最初からそういうスタイルを志向していたわけでもないのだが、年々覚えられる量が多くなり、具体性が増している。
日々アウトプットを繰り返していると、インプットが容易になるのだった。
最近は披露目の口上みたいな、割とフリートークに近いものも記憶できるようになった。
こういうやり方を見て、ごくらくらくご(いつも名前出してるけどな)みたいに「録音」しているに違いないと思っていたりするヤカラも世にはいる。
寄席でもってメモ取りまくっている客を見て、あれがでっち定吉だと誤認している人も、あるいはいるかもしれない。
なので、実に地味な逆襲として、カメイドクロック落語会に出かけ、終演後30分強で1本仕上げるなんてことを試みている。
ところで私も、本当にグダグダのマクラを復元しようとは思わないし、やったこともない。
通常はその価値がないからである。
今回、私もやらないことをみんなで頑張って、立体化したわけだ。頭が下がる。
山崎まさよしのしでかしたことは、大事にすべきファンに直接的な負担と、さらに間接的な大きな負担とを掛けたということなのだった。
実に罪深いわりには、反省が軽そう。

先週日曜に出かけた小ゑんハンダ付けでは、円丈を偲ぶトークコーナーがあった。
これ、もう少し面白く起こしたかったなとちょっと後悔している。実際のトークは実に面白かった。
資料を作ろうってわけじゃないのでね。

演者への忖度しか考えないごくらくらくごは、今回の騒動をどう思うかな。
「ライブの一部を切り取って拡大してはいけない。その場にいない人に誤解を与えてはいけない」とか言いそう。

作成者: でっち定吉

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