林家たい平「幾代餅」

日本の話芸の収録に参加した東京落語会のうち1席目、桃月庵白酒師の「厩火事」が流れたところだ。
ちょっと本編短いんじゃないかと思っていたが、最後に時間調整のため、再度白酒師が登場していた。
改めて画面で観ると、いい内容でしたね。
ただ今日はちょっとだけ古いオンエアを先に出します。
すでに8月の放映である。林家たい平師の「幾代餅」。
まだ、スタジオでの非公開収録。しかしハンディは感じさせない。

林家たい平師はタレントとしては大好きな人で、深く敬意を払っている。
終わっちゃったが、「昇太秘密基地」でゲストたい平師の会が面白かったこと。
次の落語協会の会長をやって欲しいなんてこともずっと言っている。
たい平師は、喬太郎師と同時昇進の抜擢真打だ。
だけど、落語のほうは以前からそんなに好きじゃない。
なんだか、中途半端なギャグに頼った内容だなと。
そもそも落語協会の常任理事の割には寄席にあまり出ないので、取り返す機会もあまりない。

現在の笑点は、落語の上手い人が集まっている。
この認識はゆるぎないのに、たい平師の評価は、私の中でずっと分裂したままである。

しかし最近思い浮かべるようになった概念がある。「スターの落語」という。
もともと、三遊亭とむ改メ錦笑亭満堂師の披露目に行って思いついた。
満堂師の新作は以前から好きなのだけど、亀戸の披露目で出したのは古典落語の手水廻し。
ちょっと物足りないと思ういっぽうで、あ、この人はスターなんだ。スターの落語をしてるんだという閃きが飛び込んできたのだった。
満堂なんかまだまだ売れてねえじゃねえかと言ってはいけない。スター性を持っている人はすなわちスターなのだ。

スターの落語といえば、たい平師をおいてないのではないかと。スター候補ではなくすでに本物の。
たい平師の落語に私が勝手に感じる物足りなさを、スターの落語に当てはめてはいけないのではないかと。
そんなことをつらつら考えていたときに、この日本の話芸で出した幾代餅がピタッとハマった。

一見、工夫のさしてない幾代餅。ふつうの落語というイメージ。
ギャグもない。むしろ極力刈り込んでいる。
冒頭で、患っている清造がむにゃむにゃ事情を語る際に、おかみさんがWi-Fi環境が悪いみたいだねと言ってるぐらい。
噺に付随するクスグリすら、極力抑え気味。薮井竹庵先生に「病人だったら頼まない」と失礼なことを言うあたり、実にさらっと。

しかしこの、一見普通の落語から、スター性が飛び出してくるではないか。
水面下で大変な工夫をしていることを無視するわけではない。竹庵先生の鷹揚さの描き方とか。
でもあえて気にせず、表面に浮かんだものにフォーカスを合わせる。
そしてたい平師のスター性、どこに出るか。
ムダをそぎ落とし、純粋なラブロマンスを一切照れずに語り切る部分。
あり得ない話に魂を込めて語る。それがびんびん響く。なかなかできることではない。
よくできた人情噺だって、人情が噺の遠景に立ち上ってくるぐらい。表面に直接人情が溢れているなんてことは、あまりない。
番組冒頭の挨拶では、志ん朝のものをそのままやってみたかったということだが、志ん朝よりストレートさは高いと思うのだ。
志ん朝だって、語りながらどこか照れてしまうところがあったに違いない。

こういう落語、二ツ目さんがやりたがって、でもできないイメージ。
少々上手い二ツ目の肚では、こんな噺をストレートに語れないと思うのだ。
幾代花魁に懸命に真実を語る清造、これにピントを合わせようとして、なかなかハマらない。
仕方ないので挫折して、ギャグに逃げたり。独自のギャグでも入れておけば、努力した証にはなるし。

落語には人間性がすべて出るというが、まったくだ。
人間性を磨き上げたスターのたい平師だからこそ、このロマンスが堂々語れる。
落語の稽古だけしていても到達できない地位がある。
というわけで、スター落語の代表者、たい平師にもっと着目していこうと思うのです。
一之輔師みたいに、どこかで地方スケジュールを開け、寄席に集中して出て欲しい気はするが。

作成者: でっち定吉

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