大東文化大学落語と講演(上・講演「つなぐ」)

人が集まるイベントもいよいよ普通に開催されるようになった。そして、タダで落語を聴ける機会も増える。
大東文化大学の100周年記念で、落語と講演。演者は桂米團治師。
「桂米團治 落語と対談『つなぐ古典と現代 西と東』」というタイトル。
父君の人間国宝、桂米朝が大東文化学院出身である縁らしい。
確か、ブログのネタ拾いの過程で見つけたイベント。さっそく申し込んでおいた。
無料落語愛好家には、こうした普段の情報収集が大事なのだ。
ちなみに今月、無料落語4席め。

大学の企画は、2019年に二松学舎大で開催されたものに出向いて以来。
あれはなかなか刺激的であった。
それを起こしたのが、Yahoo!ブログでの最後の記事である。

大東文化大といっても都営三田線西台ではない。
東武練馬駅前の大東文化会館。
西台なら交通費安くあげられるんだが。
会場の会館はキレイな建物。東武練馬駅北側は谷になっていて、谷のヘリに建物が。
道路に面した入口は2階で、会場は1階。

150名が抽選で入れるとのことだったが、そんなに事前申込みはないだろうと思っていた。
その通り、200名ほど入れるのであろうホールには適度な空席があり、受付せずに入れてくれる。

講演荒又雄介
対談米團治・荒又雄介
(仲入り)
七段目米團治

メクリも出ていて立派。
最初に着物の司会者が出てきた。
メガネしてたのでわからなかったが、柳家三語楼師である。
大東文化大の国際センターで留学生向けの非常勤講師を務めているそうで。
師が大学のリクエストで、米團治師につなぎをつけたそうな。
軽く自己紹介。
ここ板橋区徳丸出身なのだそうで。

その後施設の長の女性が軽く挨拶し、最初の登壇は荒又雄介准教授。
ドイツ文学がご専門。
前座代わりにということで「つなぐ」をテーマにPPT資料を操作しながら。
つなぐとは、伝承される芸能をつなぐことであり、そして演者と客とをつなぐことである。
表現者と客とは、時間、空間、心情の3点により引き離されているので、これをつないでやらねばならない。
古典芸能である落語も、師匠から受け継いでいくが、徐々に変質していくはずである。
ただ、原典はちゃんと受け継いでいくべきだと。

荒又先生が音楽を習っていた頃(バイオリンかな)、先生に短調の曲につき「そんなロマン派みたいに難しい顔で弾くことはない。この音楽はバロックなのだから、もっと軽快に」と教わる。
よくわからなかったし、自分としてはもっとロマンチックにやりたいのだ。
だが、実際に先生の演奏を聴けば、徐々にわかってくる。オリジナルを解釈するためには、オリジナルを知っておかねばならない。
習うということは、倣うことなのだ。

マーラーの時代、ドイツではイタリアのオペラをドイツ語で演ずるのが通常であった。
マーラーもその習慣は変えなかったが、ただ劇で用いるドイツ語のセリフを、現代にブラッシュアップさせたという。
これが、舞台と客とをつなぐ試みのひとつである。

森鴎外の見事な訳詞を紹介し、しかし現代ではこの日本語がすでに難しいのだと。
原典を大事にしつつ、現代にもわかるように変えていかなければならない。
私も、翻訳の仕事をするときには、原典と客をつなぐ気持ちになることがある。この点、古典落語を客につないでいく噺家と一緒である。

咀嚼しながら聞いているので、でっち定吉の解釈が紛れ込んでいる可能性がある。
大きく誤解はしていないはずだが。それに、多少は紛れ込んでもいいのではないだろうか。原典である講演を、時間と空間を隔てたブログの読者につなぐ作業を、でっち定吉はしているからだ。
ちょっと牽強付会かもしれないが。

村上春樹は、欧米の古典文学が新訳により日本の読者のために生まれ変わるという話をしていたから、これを念頭に置いて理解はしやすかった。
外国古典文学の翻訳は、時間と空間、双方から隔たっている。これをつなぐことは不可能ではない。
オペラの日本公演や、歌舞伎の海外公演を例に荒又先生は語る。

そういえば、創作だけで忙しいはずの村上春樹、翻訳にも効能があると語っていたのを思い出す。
他人の精神に触れて癒される感覚があるのだと確か言っていた。この感覚は創作にはないのだ。
筒井康隆はエッセイでもって語っていた。山下洋輔などジャズの人は、自分の楽器で表現ができていつも楽しそうだと。
それに比べ小説家は孤独であると。読者から反応が返ってきたとしても、全部を理解してくれているわけではない。
今回の講演を聴いて思ったのは、小説家が孤独だとして、それは「つなぐ」作業を持っていないからではないかと。
小説家イコールオリジナルであって、オリジナルを読み手に伝えてくれる人はいない。自分だけ。

さらに思ったのは、新作落語、それも自作の人は、古典派より孤独かもしれないなと。
先日「小ゑんハンダ付け」で円丈作品集を聴いてきたが、円丈師が他人に自作を演じてもらうことを喜んでいた気持ちがちょっとわかる気がしてきた。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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